「御霊信仰」の原像 ―怨霊と祟り―・10

正直にいえば、僕は、「御霊信仰」に関する文献なんか、なんにも読んでいません。
ただ、小松和彦氏の「悪霊論」という著作の中の「支配者と御霊信仰」と題された論文にたいして、そんなことあるものか、と思う個所がいくつもあって、その根拠を「異論」として書いてみようとしているだけです。
僕にとって「御霊信仰」の解釈は、非業の死を遂げた者の「怨霊」を祀り上げようとする信仰、それだけでじゅうぶんです。そのセオリーをどう捻じ曲げようとする趣味もない。そのセオリーから思いつくことを書いているだけです。
僕は、原理主義者であって、小松氏のような分析家ではない。あれこれ文献を当たってそれを分析してゆくような趣味はない。たんなる一般常識としてのセオリーにたいして、直感と想像力を自分なりにはたらかせているだけです。そうやって、「人間の原理」のようなものを探り当てたいだけです。だから、原理主義者です。知識と解釈と分析で生きているわけじゃない。そんなことは、想像力が貧困な学者先生に任せます。考えることは、自分でやる。
歴史と出会う、とは、文献に囲まれて解釈や分析にうつつをぬかすことではないでしょう。世の中には「硬直した原理主義的思考」などという言い方がかっこいいみたいな風潮があるが、頭の中がすっからかんのやつの尻軽な解釈や分析などから教えられることなど何もない。解釈や分析だけで何かがわかったつもりでいるほうが、よほど硬直している。
僕には、わかっていることなど、何もない。だから考える。
僕が解釈する対象は、「人間」であって、「文献」ではない。
セオリーさえ教えてくれたら、考えることはいくらでもある。
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支配者は、共同体というみずからの「身体の輪郭」の内部として、民衆を監視している。
それに対して日本列島の民衆は、共同体という「身体の輪郭」に鈍感だから、公共心がない。彼らが支配に従順であるのは、それほどに支配者を「違う人種=異人」として祝福しているからであり、海に囲まれた土地柄もあって、それほどに効率よく監視されているからだ。
日本列島の支配者にとって民衆は、違う人種であるからこそ、ほおっておいても自分を祝福してくれる存在になる。それに、海に囲まれた島国だから、逃げられる心配がない。また民衆は、ほかのタイプの支配者もほかのタイプの民衆も知らないから、他愛なく自分たちの支配者がゆいいつ理想の支配者であると思い込んでしまう。
M・フーコーによれば、もっとも効率的な監視のシステムを持った刑務所は、中央に「監視塔」を置いてまわりに受刑者の牢屋を配置するのだそうだ。そしてその牢屋は、外部は壁ばかりにして遮断し、内部に向かって窓をつくっておく。そうすればまんべんなく監視できるし、受刑者のほうも監視されているという自覚を平等に持たされる。
たとえば、家畜を飼うときは、柵の中に集めて外から監視する。だがその場合、中央の家畜は監視されているという自覚が希薄になるし、まわりの個体に閉じ込められているという閉塞感も募ってきて、ヒステリーを起こしやすくなる、人間ならそこで謀反が計画されたりする。
中央に集めるのではなく、まわりに散らばらせる、これが、もっとも効率的な監視のシステムなのだとか。外部に向かって解放するのではなく、中央に向かって解放する。
とすれば、日本列島は、まさしくこのシステムが機能するような環境になっている。外は海だから、外からの視線も外に向く視線もさえぎられ、そのぶん中央からの視線ばかりが気になる。外部からの声がないし、外部に対する関心もないから、中央の命令が、一挙に隅々まで届く。中央の支配者はもう、いながらにして、まんべんなく監視できる。
江戸時代の鎖国の制度がちゃんと機能しているころは、薩摩藩津軽藩でさえ、幕府の監視や命令から逃れられなかった。また、細長い日本列島が分裂することなくひとつの国としての歴史を歩んでくることができたのは、この効率的な監視のシステムによるのかもしれない。
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われわれが街中を歩いているとき、すれ違う人は知らない人ばかりで、共同体の外部をさすらう旅人(異人)の気分になっている。そして家や会社に戻って、共同体の一員になる。家や会社の自分は「監視」されているから、笑顔をつくって他者を祝福し、その鬱陶しさから逃れようとする。「怨霊」は、共同体の中にいる。
「怨霊」とは、「監視するもの」です。
誰もが共同体の中にいるかぎり、監視する怨霊になると同時に、祝福することによって監視されてあることの鬱陶しさから逃れようとする者にもなる。
支配者にならないかぎり、監視するだけでは生きてゆけないし、監視することにカタルシスはない。それは、カタルシス(終わり)のない永久運動です。言い換えれば、カタルシスを喪失した者が「支配者」になるのだ。
「監視する」ことは、前近代であれ近代であれ、人間社会のもっともむずかしく大きな問題のひとつであろうと思えます。
人は、つねになにかを監視して生きているし、つねになにものかに監視されてもいる。
古代の権力者が「怨霊」を恐れたように、もっとも強く監視する者が、もっとも強く「監視されている」という強迫観念に捕まえられてしまう。監視する者であり続ける彼は、監視されてあることに対する免疫がない。監視されてある自分を処理する方法を知らない。
それは、監視することで相殺できるというようなものではない。それによっておおかた忘れることはできるが、すべてではない。そういうどうしようもなく「排除」仕切れない「怨霊」を処理するメンタリティを持っていない。ない。
それに対して、支配されてある民衆は、生きる知恵として、その情況からカタルシスを汲み上げてゆくすべを知っている。それが「祝福する」ということです。
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人は、たえず「死」に監視されて生きている。権力者はひとまずそれを忘れて生きることができるが、最後には、どうしても忘れてしまうことのできない事態を迎えねばならない。そのときに「処理する」トレーニングをしてきていないから、権力者ほどうろたえる、という現象になる。
暑いとか寒いとか痛いとか苦しいとか空腹であるとか、身体の変調は、苦痛として知らされる。身体の苦痛は死の予兆である、とわれわれは思っている。だから、苦痛が起きることを回避して生きようとする。
しかし、それらの苦痛のほとんどは、やがて消えてゆくのであり、かならずしも死の予兆とは言えない。むしろ、それじたいが、生きてあることの自覚をもたらすものであるのかもしれない。苦痛によって、われわれははじめて身体の存在に気づく。
だいいちわれわれは死んだことがないのだから、死のことなどわからない。死の予兆など、知りようもない。それを死の予兆ととらえることが、支配者の思想であり、それを模倣してゆく民衆の社会的な観念のはたらきです。
社会の動きは「先を読む」ことによって成り立っており、その観念によって、死の予兆という認識が捏造される。先ばかり読んで生きているから、死を捏造し排除してゆかねばならなくなる。
先を読まなければ、死もまた「わからない」ものでしかない。
われわれの社会的な意識は、「死」から「この生」を監視している。
人類の歴史で、そういう社会的な意識をいちはやく持った者が、群れのリーダーになっていった。リーダーの「先を読む」資質は、「監視する」資質でもある。その監視する資質が、「怨霊」と出会う。
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海に囲まれた日本列島では、地理的に、監視しようとする衝動や監視されているという強迫観念が生まれやすい条件が存在している。そういう条件の地域だからこそ、監視されてある状況をどう緩和してゆくかという日本的な人づき合いの知恵も生まれてきたし、監視する「怨霊」がつよくイメージされることにもなった。
人は、海(水平線)の向こうを、実在感を持ってイメージすることができない。海の向こうは、他者を追い払うことのできるところでも、自分が逃げてゆくことのできる場所でもない。したがって、日本列島の住民はもう、どんなに監視がきつくても、たがいに祝福しあって生きてゆくしかなかった。
大陸では、監視していないと、相手は地平線の向こうに逃げていってしまう。また、邪魔なものは、地平線の向こうに追い払えばいい。だから、監視しようととするかたちで人づき合いの作法がつくられている。「見つめる」文化である西洋人の「まなざし」の濃さは、日本人にはない。彼らが、見つめ合い抱きしめ合って挨拶するとすれば、この国では、見つめることをやめて、深くお辞儀をする。見つめない=監視しない、というかたちで他者を祝福してゆこうとする文化です。
日本列島の住民は、他者を排除することのあきらめと、監視することのためらいがある。おそらくそういう文化の土壌から、「怨霊」も、最終的には「祝福し祀り上げる」というかたちになっていったのでしょう。それは、「怨霊」に対して、深々とお辞儀をする行為です。「怨霊」を、「排除」することも「よい霊」に変えてしまうこともできない。祀ることを怠れば、すぐ祟って出てくるのだ。日本列島では、どうあっても「監視し合う」関係から逃れられない。だからこそ、「見つめない=監視しない」作法の文化が育ってきた。
怨霊を排除するのではない。深々とお辞儀をして見つめないこと。それが、「怨霊を祀り上げる」ことだ。怨霊に監視されてあることからは、逃れられない。そして、怨霊は、怨霊であることをやめない。怨霊を「御霊」に変えるのではない。怨霊であることじたいを「御霊」であると認めうやまうこと、それが「御霊信仰」の精神であろうと思えます。相手をどうこうするのではない。こちらの態度を変えてゆくのだ。しかしその変え方にしても、西洋では「懺悔」というかたちをとるが、日本列島では、相手を「祝福する」という態度になる。悪霊だろうと怨霊だろうと「祝福する=肯定する」という作法、それが、「御霊信仰」なのではないだろうか。深々とお辞儀をすることは、相手を「肯定する」という作法なのだ。
怨霊は、祟りつづけるのです。こちらが、「祝福する」という態度ををやめれば、たちまち祟るのだ。すなわち、支配者が怨霊の祟りを恐れるという強迫観念から逃れるためには、民衆の「祝福する=肯定する」というエネルギーが必要だったのであり、そういう情況から「御霊信仰」が生まれてきた。