河童の原像

「異人論」の著者である小松和彦氏は、「民俗学は、ナイーブな民俗社会賛美だけにとどまるのではなく、“忌まわしい部分”もちゃんと把握しておかなければならない」という。それは正論です。しかしその根拠が、民俗社会の人びとがその心性の根底に抱えている「異人に対する恐怖心と排除の思想」が「異人殺し」の伝説や昔話になり、恐ろしい「妖怪」のイメージを生み出したのだというのであれば、直ちに納得することはできない。つまり彼のいうように、忌まわしい現代社会の「いじめ」の水源は、民俗社会の「異人に対する恐怖心と排除の思想」にあるのでしょうか。
そりゃあ、のどかな民話語りだけではすまないでしょう。そんなことくらい、誰だってわかっている。しかし、民俗社会の「忌まわしい部分」は、外部の異人との関係にあるのではなく、たとえば「村八分」などの内部で起こす自家中毒にあるのだ。
「異人殺し」は、あくまでもつくられた話であって、じっさいに起きた事件ではない。じっさいに起きた事件など、口をつぐんで闇から闇に葬り去られるのが民俗社会の習俗です。そして「妖怪」にしても、それは、日本列島の歴史において民俗社会から生まれてきたのではなく、まず支配者層のあいだで生まれ、そこから民俗社会に下りてきたのがはじまりです。それは、支配者層の「忌まわしい部分」なのだ。「悪霊」や「怨霊」は、権力者たちの強迫観念からイメージされていったのが起源です。
村八分」にしても、支配者たちの権力闘争から下りてきた習俗であって、村に先験的に存在していたそれではない。支配者たちは、政敵を排除したり、庶民を被支配者のがわに追いつめ共同体の中に閉じ込めるということを、古代から繰り返してきたが、村八分の制度が生まれてきたのは、やっと近世になってからのことです。
村人は、支配者の圧制が苦しかったから、その手法を模倣して村八分の制度を生み出した。つまり「いじめ返す」ということを、村の第三者に向けた。それはたしかに現代の小中学校で頻発している「いじめ」によく似た構造を持っているとしても、「いじめ」の水源そのものは、人間が「権力」というものに目覚めたところにあるのだし、だいいち民俗社会の人々の漂泊する異人に対する心性とはまったく別の次元の話です。
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権力者は、「異物」を排除する。その排除された「異物」が、権力闘争に破れた貴人であるのなら、他国の民俗社会で「まれびと」として篤く迎えられる。身体障害者や罪人や反抗的であるために排除された者たちなら、民俗社会の人々によって共同体の周縁に居場所が与えられる。あるいは、みずから山の中に入ってゆく者や、諸国を放浪することを選ぶ者もいる。諸国を放浪する生き方が成り立つのは、民俗社会に彼らを歓待する習俗があるからでしょう。山のなかに入っていった者たちの暮らしだって、「ほかいびと」のようにときどき村にやってきて芸能活動をしたり、年に1、2度開かれる村はずれの市で交易したりして、民俗社会との関係は保たれていた。
山に入っていった者たちを、真っ先に「鬼」だの「狐」だのと呼ぶようになったのは、支配者の社会です。民俗社会の人びとが一反もめんだの座敷わらしだのという妖怪を独自にイメージできるようになったのは、おそらく近世になってからでしょう。それまでは、権力者の世界から下りてくる悪霊や妖怪をアレンジしてイメージしていた。
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「河童」という妖怪のことを例にとって考えてみます。
小松氏は、河童のイメージは、民俗社会の人びとが、前近代の「川の民」すなわち「非人」とか「河原者」と呼ばれる人たちを妖怪視していたところから生まれてきた、といっています。
では、川に近いところで暮らしていた民俗社会の人びとは、そうした「川の民」と没交渉で口もきかなかったのでしょうか。そんなはずがない。口もきけば、川魚と大根や人参と交換したりもしていたでしょう。水田耕作をしていたのなら、さらに川とは無縁でいられない。町なかの河原乞食ならともかく、農村近くの川の民は、ただの浮浪者ではないのです。ほとんどが漁民だったはずです。そんな相手が、どうして「妖怪」に見えるのか。
民族社会の人々は、川の民に対して、彼らを妖怪視しなければならないような強迫観念は持っていなかったはずです。
河童には、人や馬を川に引きずり込んだり、人の「尻を抜く」といった悪さをする一方で、椀や膳を貸してくれたり、怪我によくきく薬を持っているという属性も与えられています。
椀や膳を貸すのは、通りかかった旅人にたいしてでしょう。そして怪我をした人がいれば、治療をしてやった。これこそ、川の民によってもたらされたイメージではないかと思えます。そうやって民俗社会の人びとは、支配層から下りてきた邪悪なだけのイメージを、自分たちの心性にしっくりくるようなものにアレンジしていった。
川の民とふだんはほとんど交渉のない権力の中枢にいる者たちなら、遠くから眺めるそんな人々を気味悪く思うこともあるかもしれないが、民俗社会の人びとにとっては、川の民はあくまで川の民、河童は河童だったはずです。
柳田国男によれば、古代の水神というのは小童で姿をあらわすことが多く、それが零落して河童という妖怪になったのだとか。河童は、どの地方の語り伝えでも、子供みたいに小さい姿でイメージされている。
子供は、水遊びが好きですからね。いつの時代も、そんなところで遊んでいるのは、子供ばかりだったのでしょう。古代の人びとは、水遊びをする子供を眺めながら水神をイメージしていったらしい。
では、そんなのどかな水神が、いつどこで気味の悪い妖怪のイメージに変質していったのか。
変質させたのは、民俗社会の人びとではない。
一説によれば、奈良時代に呪術を使って権力社会で暗躍した「役のお角(えんのおづの)」の手下の悪霊たちが川に住み着いて河童になったのだとか。
もうひとつの説では、平安朝の陰陽師・安倍清明は京の一条戻り橋の下に恐ろしい姿をした人形を隠していて、それを操って政敵を追い詰めていったのだが、彼の死後、放置されたその人形たちが河童になった、と言われています。
いずれにせよ、河童という妖怪のイメージの源は権力社会にあった、ということです。権力社会の者たちの、役のお角や安倍清明の怨霊を恐れる強迫観念から生まれてきたのだ。
そこから、民俗社会に下りていった。
そうして江戸時代には、飛騨の匠や大工たちは人手が足りないときは人形を作ってそれに手伝わせ、用済みになったら河原に捨てるということをしていたために、それが河童になった、といわれていた。これなどは、安倍清明の話からアレンジされていったのでしょう。
しかしじっさいには人形が役に立つはずがなく、町で浮浪児を拾ってきて手伝わせ、工事が終わったら川の民に引き取ってもらった。あるいは、浮浪者がたむろする都市の河原に捨てた、というようなことだったのかもしれない。
河童は、すぐ手が抜けるのだとか。これを小松氏は、もともと人形だったからだと説明するのだが、子供に肉体労働させれば、脱臼したり手をくじいたりすることは、しょっちゅう起きていたはずです。そういうことからイメージされていった属性ではないか、と思えます。
とにかく、川の民を「妖怪視していた」と推測できる根拠などどこにもない。川の民をそのままイメージしても、河童という妖怪にはならない。河童は、河童なのだ。権力者たちが恐れた悪霊や怨霊のイメージがアレンジされていって河童という妖怪になっただけでしょう。
民俗社会の人々にとって川の民は、社会的な身分がなんであれ、同じ人間としてたがいに交流し、共存を図ろうとする相手だったはずです。民俗社会の周縁は、外部と交流する場所であって、遮断するものなど何もなかったのです。おたがいの領分を認め合って、必要以上になれなれしい付き合いはしなかった。あいつらは非人だと差別し、変なやつらだと思っていたとしても、妖怪視するほど気味悪い存在ではなかったはずです。川の民は川の民、河童は河童、あいつらは河童と一緒に暮らしている変なやつらだ、と思っていただけでしょう。
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民俗社会の「忌まわしい部分」は、彼らが厳しい支配を受けて共同体に閉じ込められている、というところで生まれているはずです。それが、彼らの意識を歪ませる。
「異人にたいする恐怖心と排除の思想」というが、いったい彼らが異人から何をされたというのか。外部からやってきて祝福してもらっていただけじゃないですか。
支配者の強制や搾取される苦しみ以外に、彼らの意識を歪ませるいったい何があったというのか。彼らの「恐怖心と排除の衝動」というルサンチマンは、支配者に向けられていたのであって、村を訪れる漂泊する「異人」に対してではない。そして、自分たちの手で支配者を排除できないのであれば、そこで生まれるいじめ返そうとする衝動は、日常的にいじめることのできる村の内部の者に向けられる。そうやって「村八分」が生まれる。
また彼らは、村の乱暴者をみんなでみんなで殺してしまったり、間引きした子供を家の中のみんなが踏みしめる場所の下に埋めて霊が出てこないようにするとか、そういう内部的な強迫観念=自家中毒を強く抱えていた。
内部に穢れが蓄積されているという強迫観念。彼らはつねに、内部の穢れを排除しようとしていた。村には、死霊や怨霊があちこちに漂っている。そのけがれを彼らは、「異人」を殺してしまうような忌まわしさを持っていたのではない。内部の者を殺してしまうことを余儀なくされながら、その地を這うような歴史を生きていたのだ。
であれば、村を訪れ祝福してくれる旅の「異人」は、そういう忌まわしい観念行為からいっとき解放してくれる存在であったはずです。
現代の小学校や中学校に外国からの留学生が来れば、みんなで歓迎するでしょう。それと同じです。しかしそんな彼らが、なぜクラスの中で陰湿な「いじめ」を繰り返さねばならないのか。それほどに親や学校から支配されてしまっているからではないのですか。
河童のイメージに、民俗社会の人びとの異人にたいする悪意などなにもない。民俗社会の忌まわしさが妖怪を生み出したのではない。それは、支配者層の強迫観念という忌まわしさから生まれてきたのだ。
民俗社会の忌まわしさは、「外部=異人」との関係を喪失してたときに、内部的な自家中毒を起こすことにある。そしてそれは、「いじめ」の温床になっている現代の学校の忌まわしさでもある。