「異人論」 穢れ

いじめ」の問題についてもう少し考えていきたいと思っています。しかし僕にとってそれは、解決法を見つけることではなく、「異人論」をきっちり把握することだと思っています。解決法なんて、僕にわかるはずがない。誰かひとりでもいい、このレポートを「いじめ」の問題として読んでくれる人がいれば、と願っています。
「異人論」の著者である小松和彦氏も、「異人論序説」の赤坂憲雄氏も、民俗社会の人びとの心性の根底には「異人に対する恐怖心と排除の思想」がはたらいている、という前提で語っています。
もともと外部の存在である異人を、どうやって排除するのですか。外部から、どこに排除しようというのか。勝手にやって来て勝手に出て行く者たちにたいして、排除しようとする衝動なんか持ちようがないじゃないですか。
「異人をいったん引き込んでおいて排除するのだ」と、小松氏は言っています。もちろん赤坂氏の言い方も同じニュアンスです。
そんな悪意で来訪する異人と付き合っていたら、異人だってすぐ来なくなるでしょう。民俗社会の人々は、遊行の宗教者として村を訪れる異人をいじめていた・・・・・・それが小松氏の「異人殺し」論のテーマであるのだが、そんな関係で、遊行の宗教者や旅芸人という異人が村を訪れるという習俗が1000年以上も続くはずないじゃないですか。彼らの言い方は、人間というものを愚弄している。
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よそ者がある村に移住してきて同じ村びととして認められるためには、何年もかかるし、そのあいだにいろんな手続きとしての義務が課せられる。祭りの寄付をしたり、村の会合に酒を持って参加したり、といろいろやこしい通過儀礼がある。
このことを赤坂氏は、村びとの異人にたいする悪意だという。
その前にまず、この習俗は、小松氏の「いったん引き込んでおいて排除する」という分析と矛盾しています。小松氏のいう通りなら、すぐに村びとにしてやって、そのあといじめたり追い払ったりすればいいだけです。
しかし村人は、そんことはしない。異人をすぐに引き込むというようなことはしない。
そして赤坂氏は、この手続きは、異人としての穢れを清めさせるための儀礼である、といいます。
小松氏や赤坂氏のいうように、民俗社会の人々は、自分たちは浄化されてある存在で異人は穢れている、とはたして思っていたでしょうか。そしたら、異人を村の中の入れるというようなことはしないでしょう。一歩も入れさせるものか。
ひとまずであれなんであれ、その来訪を受け入れる習俗を持っていたということは、異人を穢れた存在などとは思っていなかったことを意味する。
村人はむしろ、自分たちこそ穢れた存在だと思っていた。そして外部の異人たちは無垢な存在であると思っていた。
村人であるとは、村の歴史や伝統や、支配者に支配されてある嘆きや、貧しいことの苦しみや、付き合いのうっとうしさや、そういう穢れを身にまとっていることです。だから、そういう村の穢れをまだ何もまとっていないよそ者がいきなりやって来て、すぐ同じ村びとだと認めてくれといわれても、そうはいかないのです。
よそ者=異人とは、村の暮らしの穢れを身にまとっていない者のことです。
彼らが同じ村人になるためには、村の暮らしの「垢」を身につけなければならない。たとえば、村の長者を妬んで一緒に悪口を言うとか、雨が降らないことを共に嘆くとか、そういう暮らしの「垢」を数年間かけて身につけ、はじめて村の一員だと認められる。
それは、赤坂氏のいうような、異人としての穢れを洗い流すための通過儀礼ではない。村人としての穢れを身にまとうための通過儀礼なのだ。
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「異人にたいする恐怖心」というが、それが「排除」の行為になるのは、「窮鼠、猫を噛む」というような追いつめられて切羽詰ったときだけでしょう。民俗社会の人びとは、来訪する異人にそういう追いつめられ方をしていたでしょうか。追いつめられていたら、とにもかくにも「いったん引き込む」というような余裕のある対応はできない。
民俗社会の人びとが追いつめられていた相手は、圧政を強いてくる支配者です。だから、追いつめられて「窮鼠、猫を噛む」ような一揆となって恐怖心が爆発する。
異人は、支配者のように、民俗社会を監視している存在ではない。人は、そういう存在にたいして恐怖心を抱くのであって、「差異」を持っているからではない。
初期の一揆のほとんどは、遊行の宗教者である異人の手助けによってなされていた。このことと「異人にたいする恐怖心と排除の思想」と、どう関係があるのだろうか。なにもない。
遠野物語」の人びとの、山人は人食い人種だといううわさは、山人はそれほどに無垢な存在であると認識していたことを意味する。人食い人種であることはひとつの「ファンタジー」であって、「穢れ」ではない。「遠野物語」の人びとは、山人は野蛮人であるとは思っていただろうが、穢れた存在だとは見ていなかった。
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他者を排除したりされたり、排除しあったり、そうやって人は穢れてゆく。排除するとは、つまるところ「死」のがわに排除することです。「我ら」と「彼ら」、「こちらの世界」と「あちらの世界」。「あちらの世界」とは、つまるところ「死の世界」のことです。民俗社会の人びとは、支配者から「死」のがわに排除されて存在している。「支配される」とは、そういうことだ。そして他者を支配したがるのも、「支配されている」という自覚の代償行為としてなされるのであれば、支配することもまた「穢れ」を負った行為であるといえる。
空腹であるとか暑い寒いとか痛いとか苦しいとか、意識は身体の苦痛を知覚する装置です。それは身体からの支配(いじめ)を受けている状態であり、すなわち身体の苦痛とは、身体から「死」のがわに排除されている状態です。
「苦痛」とは、「死」のメタファーです。
人は根源において「穢れ」を負って存在している。
ようするに「穢れている」とは、浮き世の垢にまみれていることです。
支配者の圧政を甘んじて受け入れたり、気に入らない者を村八分にしたり、田んぼに引き入れる水の権利を取り合ったり、生まれた子供を間引きしたり、そういう暮らしの「垢」のことを「穢れ」というのでしょう。そういう暮らしそのものが、他者を「死」のがわに排除したりされたりするいとなみにほかならない。小松氏のいう「民俗社会の忌まわしい部分」はそういうところにあるのであって、「異人にたいする恐怖心と排除の思想」にあるのではない。民俗社会にそんな心性はなかったのであり、「排除」するべき「穢れ」は、あくまで「内部」にあったのだ。
民俗社会の人びとは、共同体をひとつの「穢れ」として自覚している。支配されてある者は穢れた存在であり、支配されてある者が存在するということにおいて、共同体はひとつの「穢れ」なのだ。
したがって民俗社会の人びとは、共同体の外部の存在(異人)を、穢れた存在であるとは思っていない。
小松氏や赤坂氏がいうように、善や美は清浄で悪や醜は穢れだとか、そんな単純なものじゃないでしょう。
そんな程度の低い分析をしているひまがあったら、民俗社会の人々はなぜ異人を歓待したのか、ということを考えたほうがまだ建設的であるように思うのですがね。