踊念仏・かなしみとときめきの文化人類学21


きらめくものに対する愛着、すなわち心が華やいでゆく体験とともに人類史が流れてきた。
中世の「無常」という言葉の流行もまた、じつはそういう体験でもあった。
人の心は、死に誘惑されるようにして、きらきら光るものに魅せられてゆく。
「無常」は、「世界の終わり=死」に対する親密な感慨とともにあった。そして当時のこの感慨体験を思想的にリードしていったのはもちろん宗教者であり、そのもっともラディカルな実践者は一遍率いる「踊念仏」の人々だったのかもしれない。
一遍は「捨て聖」などともいわれている。
「捨てる・棄てる」、禅宗であれ念仏宗教であれ、この国の中世の宗教者は、とにかくこの言葉が好きだった。「捨てる」というと何か能動的な行為のようだが、それは喪失することでもあり、人間は避けがたく喪失感覚を生きる生態を持たされてしまっている。
観念的にはいろんなものに執着して生きているのが人間だが、無意識のところの普遍的な生態においては、捨てたあとの「世界の終わり=終わりの世界」を生きるかたちになっている。それは喪失感覚です。人は旅に出るのが好きだし、子供は家族を捨てて恋や友情に目覚めてゆく。じっさいに家族を捨てるかどうかという以前に、そうした「ときめく」という心の動きは、ひとつの「捨てる=喪失感」から生まれてくる。
人間は、存在そのものが「喪失感」の上に成り立っている。
「捨てる」ということ、すなわち中世の仏教は、受動的な「喪失感」に浸されたところに立ついとなみだったのであり、それはもう人間の自然・根源に遡行するというようなことだった。
捨てるということすらも捨てる、というのか、禅宗すらも、能動的な自力のはたらきを捨てようとしていった。つまるところ受動に徹するのが中世の仏教というか思想的潮流だったのであり、誰もがそこに立って「世界の終わり」を見ていた。「世界の終わり」から生きはじめ、そこから心が華やいでいったのが、中世という時代のムーブメントだった。



時宗の開祖である一遍に率いられた中世の念仏衆たちは、村も家族も捨てて「南無阿弥陀仏」と称え、踊り狂いながら日本中を行脚していった。そのとき一遍の活動は、寺を持たない漂泊の旅だった。まさに何もかも捨てた「世界の終わり」から心が華やいでゆく現象であり、その遊狂の世界は、もっとも過激で本質的な人間の自然だった。そこに中世の健康があった。
その起源においては、踊りの様式が定まっていたわけではなく、ただもう着物をはだけたりしてけもののように踊り狂っていただけだともいわれている。捨てたものたちの心は、そうやって華やいでいった。
もちろん誰もがそれを一生続けたというわけでもなく、気がすんだらひとまずやめて村に戻ったり、村はずれに小屋を建てて暮らしたり、橋の下の河原者になったり、乞食や旅芸人になったりしていったのだが、それと同じだけ新しく参加してゆくものもあとを絶たなかった。
そういう「遊狂・遊行」の気分が日本中を覆っていた。心が華やいでゆく体験が人間を生かしている。そうやって文化や生産活動などの中世のダイナミズムが生まれていった。
まあ、一遍が時代をリードしていたというのではなく、彼はもう時代の真っただ中に立っていたということです。
そしてそのムーブメントは、一遍が死んだあとは、だんだんほかの宗教と同じようにお寺という拠点を持った普通の宗教活動に変質し衰退していったわけだが、少なくとも一遍が生きていたときは、一遍とともに時代の気分が鮮やかに浮かび上がったという現象であったはずです。
人の心は「世界の終わり」の地平に立った「喪失感」から華やいでゆく。
なのに現代社会は「世界の終わりはあってはならない」と大合唱している。そしてその大合唱が新しい時代をつくると一部では信じられたりもしているのだが、じつはその信憑こそが現代社会の「閉塞感」の実体でもある。そんなことばかり合唱しているから、心が華やいでゆかないで閉塞感ばかり募ってゆく。閉塞感で心が硬直し、自分は正しいと信じ込むことに精を出しながら、世界や他者を裁くことばかりしている。
自分を捨てたところから心は華やいでゆく。しかし現代人は、ひたすら自分に執着してゆく。そんなことばかりしていたら、心が硬直しないはずがない。べつに社会の状況のせいで閉塞感が生まれているのではなく、必要以上に自分に執着し、心が硬直化してしまっているだけのことです。
そりゃあ、封建時代の中世のほうがずっと閉塞的な社会状況だったはずです。まあだからこそというべきか、心が華やいでゆくムーブメントが豊かに起こっていた。
心が華やいでゆく体験が人間を生かしている。人間は、きらきら輝いているものが好きなのです。おそらく、その思いが、中世のムーブメントをつくっていた。



一遍の思想や活動は、日本国内よりも海外(とくにドイツ)で高く評価されているらしい。つまり、それだけの普遍性を持っている、ということでしょうか。「世界の終わり」から生きはじめるということは、親鸞禅宗よりも徹底していた。それはまあ、ドイツ人の好きな現象学的にいえば、「超越論的主観性」の問題であるのだとか。何もかも捨て去ったところから、心が華やぐという根源的な「主観」が浮かび上がってくる。
そのころの仏教は、ひとまず「極楽浄土に往生する」ということが共通のテーマだったわけだが、一遍の場合は、南無阿弥陀仏を称えれば極楽浄土に行けるというのではなく、南無阿弥陀仏を称えて極楽浄土に行くという願いも捨ててしまう、というものだった。人が極楽浄土に行くのではなく、南無阿弥陀仏が極楽浄土に行く。その南無阿弥陀仏に生きながら溶けて消えてゆく、というのが、彼らの踊念仏だった。死んでゆくということは、極楽浄土に旅立つことではなく、この世界の自然の中に溶けて消えてゆくことだ、というようなことを一遍はいっている。たとえば「火が火を焼くように、水が水を飲むように、この生はこの生において完結している」と。そうやってこの生はこの世界の自然に溶けて消えてゆく、と。
ただ、一遍の著作は死ぬときにぜんぶ自分で焼き捨ててしまったから、まわりの人びとの記憶(「一遍上人語録」)として語り伝えられているだけらしい。一遍としてはもう、そうしないと溶けて消えてゆくことにならなかった。溶けて消えてゆくことこそ本望だった。なぜなら心はそこから華やいでゆくのだから。
一遍の活動は、悟りを開くための活動ではなかった。ひたすら心が華やいでゆくことを体験してゆく活動だった。そのための念仏踊りであり、死は心が華やいでゆく体験である、と気づいていった。これは、仏教的な悟りというより、日本列島の縄文以来の文化風土であり、じつは人類の普遍的な無意識(=超越論的主観性)のかたちでもあった。
なんにしても、世界が輝いて見えればそれでいいじゃないか、ということ。それが日本列島の伝統であり、「世界の終わり」から生きはじめるものは、避けがたくそういう体験をしてゆく。人の心はそういう体験をするようにできている、と一遍は気づいていった。
まあエリート主義の出家仏教と違って、在家の庶民と一緒になって活動しているのであれば、「悟り」などというものにはこだわっていられない。ひたすら人間性の自然、人間であることの必然性に降りてゆこうとする。



「心の華やぎ」といってもいろんな位相があるわけだが、たとえば、この世界がモノクロームにしか見えていない生き物もいっぱいいて、そこから進化した生き物が色彩を持った世界として見えるようになったということは、心が華やいでいったことの結果だともいえる。ドイツの哲学者たちは、一遍がそういう普遍的根源的な問題を探求していたと考えているらしい。すべてを捨てるということは心が消えてなくなるということではない、そこから「超越論的主観性」が生起して世界の色が見えてくる、と一遍はいっている。
一遍語録の「山川草木、吹く風立つ波の音まで念仏ならずということなし」ということはつまり、この世界のすべてが念仏のようきらきら輝いている、ということでしょう。
「火が火を焼くように、水が水を飲むように、この生はこの生において完結している」と彼がいったことだって、べつに観念的な悟りの境地でもなんでもなく、人間の無意識の普遍的な心の動きをいっているだけかもしれない。まあ日本列島の宗教者はおおむね「私はこう考える」というような言い方はしない。「自分を捨てる」ということが彼らの基本的なコンセプトなのだから、いえるはずがない。一遍はとくにそういう態度を徹底した人だったわけで、つねに人間の無意識の普遍的な心の動き(=超越論的主観性)をいっていた。ドイツの哲学者や宗教者たちは、日本列島の中世で一遍ほど純粋に深く人間の無意識と向き合った人はいなかったと考えているらしい。一部では、親鸞道元よりももっと高く評価されている。
日本人だろうと西洋人だろうと、誰だって心の底に「死ぬことはこの世界の自然に溶けて消えてゆくことだ」とか「消えてゆくそこから心が華やいでくる」という感慨を持っている。一遍はそういう境地に達したのではなく、そういう人間の無意識(超越論的主観性)を汲み上げたのだ、と多くのドイツ人研究者から理解されている。
西洋人は、あまり「境地」というようなものは問わない。どこまで問い詰めたかで評価する。
宗教者道元は格調高い風雅の詩人でもあったが、一遍はひたすら無邪気な探求者だった。
やはり、宗教者なら、衆生を救済する、というテーマを持つ。法然親鸞道元日蓮も、みなそうだった。しかし一遍の関心は、あくまで「人間とは何か」とか「意識とは何か」ということにあった。人間が無意識のところで何を見ているのかということを考え、説き続けた。
彼はもう、衆生を救済するという使命もすでに捨てていた。もしも救済するということがあるとすればそれは「南無阿弥陀仏」がするのであって、自分のなすべきことではないという立場にいた。「一代聖教の所詮は、ただ名号(南無阿弥陀仏)なり」と。すなわち「南無阿弥陀仏」を唱えながら山川草木の自然に溶けてゆく、と。
自然と合体するというのではない、自然に溶けて消えてゆくということ。このことを彼は「生きながら死する」といった。これは、なんとなくわかる。心はここから華やいでゆくということを、彼はよく知っていた。衆生を救済する「自分」など存在しなかった。自分という心が消えていったところから生起する心がある。「我執なくして念仏申すが死するにてあるなり」という。
そうして、
■ともにはねよ かくてもおどれ こころごま みだのみのりと きくぞうれしき
というとき、すでに宗教そのものも捨てていた。そのとき一遍においてはもう、心が華やいでゆく体験に対する感動があっただけなのでしょう。彼らにとって南無阿弥陀仏を称えることは、何はともあれ心が華やいでゆく体験だった。
「ともにはねよ」というくらいだから、かなり騒々しくとびはねる踊りだったらしい。おそらく一遍のあとからついてゆく民衆が、勝手に踊りはじめたのでしょう。踊りださずにいられない心の華やぎがあった。
たくさんのたのしみに囲まれた現代人と、いっさいを捨てて「世界の終わり」から生きはじめる一遍率いる念仏衆と、いったいどちらの心が豊かに華やいでいるだろうか。
人の心は「世界の終わり」と向き合っていないとうまく華やいでゆかないようにできているし、誰もがじつは無意識のところで「世界の終わり」と向き合っている。彼らはそういう無意識に遡行しようとしたし、現代人はその無意識を観念によって封じ込め、「世界の終わりはあってはならない」と合唱している。



一遍が死んだあと、ひとまず念仏踊りの集団が日本中を漂泊してゆくというムーブメントは収束していったが、念仏踊りそのものは各地の時宗の寺を拠点にして続けられていたし、さらに広く日本列島の踊りの芸能と融合していった。
現在の盆踊りだって、念仏踊りが起源になっている。徳島の阿波踊りなどは、そのにぎやかさにおいて、より原型に近いかたちを残しているのかもしれない。
祭りとは「世界の終わり」から心が華やいでゆく体験です。
人間なら、誰の心もそういう華やぎを持っている。それを一遍は、「南無阿弥陀仏」といった。歴史家はその心が華やいでゆく体験を宗教的法悦などというが、そうじゃない。宗教以前の体験なのです。日本列島の宗教は、宗教でありながら、宗教の高みを目指すのではなく、宗教以前のところに遡行してゆく(下りてゆく)というかたちで推移してきた。まあそうやってあれこれの中世の日本的な仏教が生まれてきたわけだが、現在の仏教がただの葬式仏教になっているということだって、それでいいのです。日本人にとっては、宗教よりもただの葬式のほうがずっと大事なのです。
神(仏)はこの世界をつくりたもうた、という。そんなこといったって、日本列島の伝統は、「世界の終わり」から生きはじめるところにあるのです。葬式はまさに、「世界の終わり」から生きはじめる作法です。原初の人類は、そうやって埋葬という行為をはじめた。「世界の終わり」から生きはじめることこそ普遍的な人間性であり、それはまあ、宗教や近代的な自意識とは矛盾している。つまり、「世界の終わり」があっては、宗教や近代的な自意識は成り立たないのです。
なんのかのといっても宗教は、神がいて霊魂があって死後の世界があると決めているのだから、「世界の終わり」はないのです。そしてその世界観が近代人の自意識と結託しているのだから、いよいよ宗教は安泰です。
しかしそれでも人は、「世界の終わり」から心が華やいでゆく体験を普遍的に持っている。そういう普遍に遡行しようとする率直で原始的な文化性は、日本列島がいちばん色濃く残っている。だからこの国では、宗教が根付かない。根付いているように見えて、よく見るとどこか上滑りしている。
一遍の踊念仏だって、いわば宗教の解体だった。彼らは無心に信心していったのだけれど、だからこそ無意識のところですでに宗教を解体し、宗教以前の原始性に遡行していた。
日本人は、無意識のうちに宗教や自意識を解体して原始性に遡行していってしまう。現在の「かわいい」のムーブメントだって、ようするにそういうことです。戦後社会は世界的近代的な自意識を称揚してゆく文化潮流に沿って歩んできたのだが、ここに来て若者たちのあいだから自意識を捨てて「かわいい」とときめいてゆく文化潮流が芽生えてきた。これは歴史への回帰であり、日本列島にはどうしても自意識を称揚しきれない文化風土がある。お気楽で知能指数が低そうに見えても、ひとまずそれは「南無阿弥陀仏」の踊念仏と同じメンタリティなのでしょう。
まあ現在の若者たちだって、バブルの崩壊とか、家庭や学校の崩壊とか、まわりを見渡せばぶざまな顔をした大人たちばかりだとか、いろいろと「世界の終わり」を見てしまっている。
日本列島だけのことではない、人類は、「世界の終わり」のところに立ってそこから心が華やいでゆくという生態を普遍的歴史的にそなえている。
心が華やいでゆく体験が人間を生かし、死んでゆくときの拠りどころにもなっている。
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