衣装の起源と「羞恥心」


どう考えても、衣装の起源は、人間が二本の足で立っている存在であるということとリンクしている。このこと抜きに衣装の起源は考えられない。
直立二足歩行の起源についてはほとんど物的証拠がないから問題にすることはできないといっても、このことから離れて原初の人類の思考や行動を考えることはできない。このことを考慮に入れていないから、言葉の起源をはじめとするさまざまな起源論がいいかげんになってしまう。
直立二足歩行の起源を問わない古人類学者なんか、よほど頭が悪いか横着かのどちらかである。
それは、証拠がないからといって逃げるわけにはいかない問題なのだ。
科学的な学問の成果にならなくてもとりあえず仮説を立てることからはじめるしかないし、それは、原始人の思考や行動の問題だけでなく、われわれ現代人にも通じる人間存在の根源の問題でもある。
原初の人類が二本の足で立ち上がったのは、生き延びるためでも種族維持の本能とやらがあったからでもない。それによって人類は猿よりも弱い存在になってしまったし、猿という種族であることを放棄したのだ。
そしてそれは、本能を喪失したことではない。生き物の本能に「生き延びる」とか「種族維持」などという目的など組み込まれていない。生き物の本能は、すべての「今ここ」を生まれてはじめて出会う新しい事態として「出たとこ勝負」をしてゆくことにある。そういう本能で立ち上がっていったのだ。
「生き延びる」とか「種族維持」などという目的意識は、文明人のたんなる観念のはたらきにすぎない。
何はともあれ生き物はみな、「出たとこ勝負」で生きている。次の瞬間にどんな事態が現れるかということなど、誰にもわからない。
そういう意味で直立二足歩行の起源は、本能が壊れる体験ではなく、より根源的に本能に遡行する体験だったのである。
生き物にとってのすべての「今ここ」との出会いは「生まれてはじめての体験」であり、その「とまどい=羞恥心」の上に命のはたらきが成り立っている。二本の足で立ち上がってより根源に遡行していった人間は、そういう「とまどい=羞恥心」がことのほか強い存在であり、そこから言葉や衣装などの人間的な文化が生まれ育ってきた。



起源としての衣装が「坊傷防寒」の道具であったことは考えられない。
現在の未開人は、その必要をまったく感じていないのに、ペニスケースとか入れ墨とかボディペインティングとかパンツとかの衣装をまとっている。それらは、たんなる「だて」の衣装であり、「道具」ではない。そして彼らがそんな衣装をまとっているということは、彼らにだって人間として衣装をまとう契機がある、ということだ。
ネアンデルタールの先祖が寒い北ヨーロッパに移住していったのが約50万年前で、そのときそのあたりにはライオンやハイエナやカバなどもそこに生息していたといわれている。とすれば人類の祖先だって、同じように毛むくじゃらの裸の体で生息していたのだろう。
衣装をまとうようになったから北に移住拡散していったのではない。裸のままでも棲もうと思えば棲むことができたのだ。
そして衣装をまとったことによって、体毛が抜け落ちてゆき、寒さに耐えられない体になっていった。
ネアンデルタールの祖先は、寒いから衣装を着たのではない。
人類の体毛が抜け落ちていったのは比較的最近だといわれている。だから、今でもまれに先祖がえりした毛むくじゃらの子供が生まれたりする。
おそらく人類が北ヨーロッパに移住していった50万年前以降のことだろう。
現在の地球上でもっとも毛深いのはネアンデルタールの末裔であるヨーロッパ人だろう。彼らの遠い祖先は、体毛によって寒さを克服していた。寒さを防ぐためなら、その上に衣装を着る必要はない。寒さに耐えられないのなら、体毛の少ない個体はさっさと死んでいって、体毛の濃い個体ばかりが生き残ってゆく。しかし彼らだって、猿に比べたらどんどん体毛が少なくなっていった。
寒さに耐えられなかったら、体毛が少なくなるはずがない。耐えられたから少なくなっていった。
それは、体毛の上に衣装をまとったからか。
それとも、氷河期に耐え抜いた体毛は、温暖期になればもう必要がなくなっていったのか。
いずれにせよ、ほかの動物の体毛は、そうなっても抜け落ちてゆかなかった。
人間だけが抜け落ちていった。
それは、気候のせいではなかった。身体の表面に、体毛が抜け落ちるようなストレスがあったからだ。
まあ、見られることが恥ずかしかったから体毛が抜け落ちてゆき、なお恥ずかしくなったから衣装をまとうようになっていったといえば、ひとまずそういうことなのだろうが、じゃあなぜ恥ずかしかったのかという問題が残る。
人間の二本の足で立つ姿勢は、他者の身体から心理的な圧力を受けることによって安定が保たれている。
だから、見られることが恥ずかしい。生き物としてのレベルにおいては、それは不安定な上に急所を外にさらして攻撃されたらひとたまりもない姿勢であり、見られることにはそういう存在の不安がともなっている。
人間は、二本の足で立ち上がったときから、そういう「とまどい=羞恥心」とともに歴史を歩んできたのであり、けっきょくそれによって体毛が抜け落ちてゆき、衣装を着るようになっていった。
しかし人類の全歴史のほとんどの時代は体毛に覆われていたわけであり、そうなるにはやはりそれなりの契機があったのだろう。
身体の表面のストレス大きくなる契機とは、集団が大きく密集していったことにあるのだろう。



北ヨーロッパは、そのころの人類拡散の行き止まりの地だった。だから、年月を経ればとうぜん人口が密集してくる。しかも寒ければ人はたくさんで寄り集まって温め合おうともするだろう。もっとも大きな集団は北ヨーロッパにあった。つまり、身体の表面のストレスをもっとも強く体験している人たちは北ヨーロッパにいた。
遺伝子学によれば、40〜50万年前ころまでの人類は全地球的に血が混じり合っていたらしい。それは、人類が旅をしていたということではない。集落から集落へと遺伝子が手渡されていったからだ。
つまり、50万年前までは南の遺伝子の個体でも北の地で生きてゆくことができたということであり、それは全地球的に体毛に覆われた体をしていたということだ。
しかしそれ以後、南の遺伝子のキャリアの個体はもう北の地で生きてゆくことができなくなり、北の遺伝子と南の遺伝子が混じり合うことはなくなっていった。
なぜそうなったかといえば、人類の体毛が抜け落ちてしまったからだろう。
体毛が抜け落ちてしまえばもう、北の遺伝子の体質を持った赤ん坊でなければ生き残ることができなかった。ただでさえ赤ん坊の死亡率の高い地域だったし、体毛のない南の体質の赤ん坊を育てることは不可能だった。体毛がなくなれば、体質だけがその地で赤ん坊が生き残れるかどうかの分かれ目だった。
人類の体毛が北と南のどちらで先に抜け落ちていったかといえば、大きく密集した集団をいとなんでいた北の方が先だったはずである。
南の地だって、体毛がなければ肌に直接強い日差しを受けて、けっしてその方がいいとはいえないはずである。だから、北よりも早く抜け落ちたとは言い切れない。
現在、アフリカの黒い肌をした人たちの方がヨーロッパ人より体毛が薄いということは、それだけ肌が受ける生理的なストレスが大きい土地柄だということであり、それはむしろアフリカの方があとから体毛が抜け落ちていったことの傍証だともいえる。
人類の体毛が抜け落ちた契機は、身体の表面の心理的なストレスにある。とすればそれは、大きく密集した集団をいとなんでいた北の地で先に起こったと考えるしかない。
おそらくそのころの北のちでは、人類がかつて体験したことがないほどの大きく密集した集団が現出した。それは、人類史においては大きなエポックだったはずであり、かつて体験したことがないほどの大きなストレスを体験したのだろう。もちろんその事態は、ただストレスだけがあったのではなく、そのストレスを引き受けるに足るだけの豊かなときめきもあったわけで、そういう人類史のエポックを画するような集団の文化が花開いていった時代でもあったにちがいない。そのような状況で体毛が抜け落ちてゆき、衣装をまとう文化が生まれてきたのではないだろうか。



氷河期の北の地では、たくさんの人が寄り集まって暮らしていた。抱き合って体を温め合うという生態も盛んになっていったことだろう。
しかし寒いということは、体毛が抜け落ちる契機にはならないし、体毛があれば衣装は着ない。
そうして温暖期になったときに彼らは大きく密集した集団を解体していったかといえば、そのときはすでに大きな集団の文化が出来上がっていたのだから、そんなことはしなかった。たくさんの人と出会っておしゃべりをしたり共同作業をしたりセックスをしたりという文化がすでに出来上がっていた。しかしそれは、そのぶん大きくなった体の表面のストレスを引き受けることでもあった。
50〜30万年前の北ヨーロッパにおけるネアンデルタールの登場は、人類が限度を超えて大きく密集した集団をいとなむ歴史を歩み始めるエポックになった出来事だったのかもしれない。その出来事ともに、人類の体毛が抜け落ちてゆき、衣装や言葉の文化が生まれ育ってきた。
人類の世界での遺伝子の拡散は、原初以来つねに起きていた。30万年前は最北のネアンデルタールの遺伝子と南のホモ・サピエンスの遺伝子が混じり合うことはなくなっていたが、その中間の地域には両者の遺伝子がどんどん入り込んでいた。だから、そのころのヨーロッパ南部とアフリカ北部との個体の形質の違いはほとんどなかった。
おそらく、人類の体毛が抜け落ちてゆくという現象は、大きく密集した集団の中で暮らすようになった北からはじまって、その遺伝子が世界中に広がっていったことによるのだろう。



人類の体毛が抜け落ちてゆき衣装を着るようになっていった時代は、もともと人間として他の生き物以上に深く抱えこんでいたこの生やこの世界に対する「とまどい=羞恥心」をより強く体験していった時代でもあった。つまり、他者との関係がより豊かでややこしいものになっていった。
身体が体毛に覆われていたころの人類にとっての身体の輪郭(表面)の自覚は、体毛の先にあった。体毛を持っている生き物なら、みなそうだろう。
体毛の下の皮膚に対する意識は希薄だった。
まず、温暖期になってもまだ大きく密集した集団の中にいるストレスによって、体毛が抜け落ちていったのだろうか。
体毛を失えば皮膚を意識するしかないのだが、それによってもともと抱えていた身体の表面のストレスがより際立ってくることになった。
最初は性器の周辺が落ち着かなくてパンツを穿いていったのだろうか。そうしてほかのところは入れ墨やペイントを施していった。
人類にとっての身体の表面が、体毛から皮膚に代わっていった。それが、衣装をまとうようになる契機になった。
最初から皮膚が身体の表面になっている生き物なら、象のように皮膚が分厚くなったり爬虫類や魚のように鱗を持ったりしながらその「環境世界に対するとまどい」を克服してゆくことができる。
しかし人間は、途中から、まあ「いきなり」ともいえるようなかたちで皮膚が体の表面になってしまった。そしてもともとみずからの身体やこの世界に対する「とまどい=羞恥心」がほかの生き物以上に大きい存在だったのに、さらにその「とまどい=羞恥心」を大きくする結果になった。
人間の皮膚は、心理的にも生理的にも、もともと環境世界に直接さらされることに耐えられるようにはできていなかった。
男にとっては、とくにペニスが厄介だった。その過敏になった環境世界に対する「とまどい=羞恥心」によって、以前よりももっとかんたんに勃起してしまうようになった。用もないときに勃起してしまったら困る。ペニスケースは、ペニスを誇示するためというより、いつ勃起してもそれを保護したり隠したりするために生れてきたのだろう。狩りの途中で興奮して勃起し、そのままの格好でブッシュの中の走りまわるのはいくらなんでも具合が悪いだろう。
世界に対する親密さは、「とまどい=羞恥心」というストレスと裏表である。いったん大きく密集した集団をつくってしまった人類はもう、後戻りはしなかった。体毛はどんどん退化してゆき、大きくなった体の表面の「とまどい=羞恥心」も衣装を着るなどしてそれを引き受けていった。
人類が衣装を着るようになった契機は、体毛を失って身体の表面(皮膚)におけるストレスが耐えがたいものになったことにあるのだろう。人間のような二本の足で立っている猿は、皮膚で身体の表面=輪郭を感じることに耐えられない。耐えられるような皮膚を持っていないし、もともと耐えられない気持ちがほかの生き物以上に強い存在の仕方をしている。



衣装は、世間でいわれているようなただの「防傷防寒」の「道具」として生まれてきたのではない。もしも北のネアンデルタール人が生み出したものだとしても、それは厳寒の氷河期ではなく、温暖期になってから生まれてきた。
寒かったらけっして体毛は抜け落ちないし、体毛が抜け落ちなかったら衣装をまとう契機は存在しない。寒かったら、体毛の濃い赤ん坊ばかりが生き残ってゆく。
衣装が防寒の道具として生まれてきたということは原理的にありえない。衣装をまとったから防寒が必要な体になっていったのだ。
衣装は、身体的生理的な道具として生まれてきたのではない。あくまで心理的な「とまどい=羞恥心」をなだめるためのものだった。
吉本隆明氏は、「衣装は身体的生理的な『防傷防寒』の道具からはじまって心理的な『霊魂の衣装』になっていった」といっているが、まあこれが一般的な衣装の歴史に対する共通認識なのだろう。
しかしこれでは、順序が逆なのだ。
衣装は、その起源からすでに心理的な「とまどい=羞恥心」をなだめるためのものだった。なぜなら人類は、原初の二本の足で立ち上がったときからすでにみずからの身体や世界に対する「とまどい=羞恥心」とともに歴史を歩んできた存在だったのだ。
その人間的な「とまどい=羞恥心」が衣装を生み、言葉を生み出していった。
人間が人間になったことの証は、「道具」を生み出したことにあるのではない。手に棒を持つとか、道具くらい、猿だって使っている。二本の足で立ち上がった人間は、生き物としての根源であるこの生やこの世界に対する「とまどい=羞恥心」をより深く抱えていったことによって人間になった。言葉や衣装はそこから生まれてきたのであって、いわゆる「道具」としてではない。
すべての生き物は生きてあることの「とまどい=羞恥心」をなだめずにいられない存在であり、それが生きるいとなみの根源のかたちなのだ。べつに「生き延びる」という目的で生きているのではない。
生きてあることの「とまどい=羞恥心」から生き延びようとする衝動が生まれてくることは、論理的にありえない。そんな「とまどい=羞恥心」なしに「生き延びる」という目的に邁進できるなんて、人間としての「普通」の心の動きを失っている証拠なのだ。その生き延びようとする衝動=欲望がエスカレートして「死後の世界」をイメージしてゆく。文明社会の制度性はそういう欲望がエスカレートするようになっているとしても、それによって人間や生き物が生きてあることの根源のかたちを決めつけられたら困る。
生き延びるための「道具」として人間の新しい文化が生まれてきたためしなどないのだ。人間社会のイノベーションは、いつだってより深くなった生きてあることに対する「とまどい=羞恥心」をなだめようとして生まれてきた。ネアンデルタール人が埋葬をはじめたり洞窟に壁画を描いたりするようになってきたのも、つまりはそういうことだ。それらを「生き延びるための道具」として説明したって無意味で無駄なだけだ。
生き延びようとする衝動が旺盛で知能が高ければこの世界で生きてゆくには有利だろう。しかしそんな人間は、既成の「道具」や「情報」を使いこなす能力には長けていても、そんな人間が社会のイノベーションをもたらしたことなど一度もない。そんな能力が人間社会に言葉や衣装や埋葬や壁画をもたらしたのではない。彼らは、人類史において、すでに存在する言葉や衣装やもろもろの文明を「生き延びるための道具」として使いこなしながら生き延びてきたにすぎない。



生き延びる人間が人間としてよりより本質的で根源的であるのではない。彼らには、人間社会にイノベーションをもたらす能力などはない。
いやまあ、そんな大げさなことでなくても、目の前のその人にセックスアピール(魅力)を感じるということは、ひとつのイノベーションに遭遇する体験である。魅力的な人は、存在そのものがイノベーションなのだ。そういう人を前にすると、われわれはこの生に対する「とまどい=羞恥心」がなだめられる。またそういう人自身がこの生に対する「とまどい=羞恥心」ともに生きてきたから、そういう魅力的な気配を持っているのだ。
そして、この世の「道具」や「情報」をただ生き延びるための「道具」として使いこなすことに長けているだけの人間は、往々にして「いやなやつ」と評価されたりする。そういう人間とは、この生に対する「とまどい=羞恥心」を共有できない。そういうものを持っていないなんて、なんか嫌味ではないか。
この生に対する「とまどい=羞恥心」もなく生き延びることに邁進できるなんて、人間として何かが欠落しているのだろう。つまり、生きてある「今ここ」に対して意識の焦点が結ばれていない。そういう人間が生き延びることに邁進できるのであり、はたのものがそんなさまを見れば、気味悪いともいやなやつだとも思う。生きてある「今ここ」に対して意識の焦点が結ばれていないから、「空気が読めない」とか「人の気持ちがわからない」というような評価をされる。
まあ共同体の制度性とは生き延びようとする欲望を共有してゆくシステムだからそういう人間がリーダーになることも多いのだが、彼らによってイノベーションが生まれることも、彼らが魅力的な人間であることもほとんどない。
ともあれ人類の歴史は、この生やこの世界に対する「とまどい=羞恥心」をなだめてゆくいとなみだったのであって、生き延びようとする欲望に邁進してきたのではない。生き延びようとする欲望でイノベーションが起きてくることなどないのだ。そんな欲望をたぎらせてえらそうなことをいっても、彼らに「人間とは何か」ということの真実に推参できる能力はない。彼らは人間の「例外」であって、彼らのもとに人間性の普遍があるのではない。
たとえば、「人間は観念でセックスをしている」とか「人間は本能が壊れた存在である」などという彼らの語る人間像なんか、人間の「例外」であって「普遍」ではない。
人類の歴史は、生き延びることに邁進してきた歴史ではないのだ。なのに現代人はそういう前提ばかりで語っている。
「人類の歴史は生き延びることに邁進してきた」という前提が合意されているこの世界の迷妄の壁は厚い。そんな前提で語っている起源論など全部嘘だと思えるのだが、まあみんなそういうことにしておきたいのだろう。
自分は特別だと思いこんだり思いたがったりしている人間がたくさんいる世の中である。その通りだ、あなたたちは特別であり、人間の「例外」なのだ。「普通」でも「普遍」でもない。
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