夜になって洞窟の中に集まってきたネアンデルタールたちは、いったい何を語りあっていたのか。
彼らがもっとも関心を持っていたのは、「寒さ」という気候のことだったでしょう。
まず、空のこと。明日は、晴れるか、雪が降るか、風が強いか・・・それを語るのは、年長者か、もっとも行動範囲が広い者か、そういうリーダーがいたのでしょう。そして、明日の狩の場所や方法を決めてゆく。
自然と和解しないと生きてゆけなかった彼らは、自然に対してとても関心があったにちがいない。
そこで、人々が出会ったさまざまな自然について語り合うことになる。
とても寒かった冬のこと、木の幹をまっぷたつにした雷のこと、マンモスとライオンが戦っていたこと、渡り鳥のこと、そういう自然に対するおそれやあこがれを表現しようとして、言葉が生まれてくる。
そしてそういう感慨は、やがて「神」という言葉が生まれてくる下地にもなっていったはずです。
彼らにとって自然は、不思議なものであり、怖いものであり、しかも親しいものであった。これは、われわれが死者に対して取る態度と同じです。
彼らの寿命は短かった。だから、祖父母のことを知っているものは、ほとんどいない。
しかしその祖父母たちは、彼らの洞窟の下に埋まっている。
彼らは、決して会うことのできない人と一緒に暮らしていた。会うことはできないのに、、常に洞窟の下から見られている聞かれているような気がする。親しくもあり、怖くもあり、不思議でもある・・・彼らは、つねにそういう感慨とともに生きていた、土の下の死者に対しても、自然に対しても。
そういう「畏れ」、ですね。それが、「神」という言葉を換び起こす。
そしてそういう「畏れ」を、洞窟の中の火を囲んだみんなが共有してゆくことによって、「神話」が生まれてくる。
神話とは「畏れ」の表現である、と小林秀雄も言っています。
ギリシャ神話を生み出したヨーロッパは、もしかしたらネアンデルタールの時代に、すでに「神話」を持っていたのかもしれない。
日本の古事記の神話にだって、数万年前から語り継がれてきたテイストが混在していないともかぎらない。
文字を持っているわれわれは、文献にしてそのままほったらかしにしてしまうことも多いが、文字がなかった時代は、つねに人の口から口へと語り継ぎ続けられてきた。
もしかしたら、文字のなかった時代のほうが、かえって精神や文化は長く引き継がれてゆくのではないか。
ネアンデルタールの文化が数万年以上変わらなかったことにしても、「語り継ぐ文化」が充実していたからかもしれない。
そしてわれわれ現代人は、文字によって精神や文化を引き継いでいっているようでいて、じつはその便利さで、置き去りにしてしまっているだけではないのか。

人気ブログランキングへ