1・ペットにする
ネアンデルタール人は、犬を飼っていたらしい。
これもまた「癒される」体験の問題だろう。
ネアンデルタール人はわれわれ現代人よりずっとしんどい生き方をしていたから、われわれよりもずっと切実な「癒される」関係を犬とのあいだで結んでいたことだろう。
研究者たちは、このことをなんと説明しているのだろう。僕は不勉強だから、よく知らない。
これは、「知能の発達」では説明がつかない問題である。なぜなら、ペットを飼おうとする気持ちは、いつだって子供の方が強いからだ。基本的には、子供の領分の心である。
そして犬も狼も、子供にはあんがい心を許す傾向がある。子供が持っているイノセントやこの社会における「弱者」として存在していることの「嘆き」は、犬や狼にだって通じるものらしい。
現在の未開人の子供だって、小動物を拾ってきてペットにするということをよくしている。
子供は、ペットを飼いたがる人種であるらしい。
子供は「弱者」だから、「癒される」ということをよく知っているし、「癒される」体験が必要な存在である。
ネアンデルタールの場合だって、まず子供が狼の子供かなんかを拾ってきて育てたことがはじまりだったのだろう。
そして狼=犬は、ほかのどんな動物よりも人間社会になじんでいった。
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   2・犬と人間の親密な関係
もちろん最初は、飼い馴らそうとするような発想はなかったはずである。ただ可愛かっただけだ。
その従順さと人懐っこさに、人間は癒された。子供だけでなく、大人にとっても癒される何かを持っていた。
狼は、集団で行動している。その習性によって培われた独特のメンタリティを持っている。
彼らの心は、完全に集団にフィットしている。人間社会に入れられれば、たちまち人間社会にフィットしてゆく。
まあ子供にとっては、いい遊び相手だ。子供は、一日中遊んでいないといられない存在である。
しかしネアンデルタール人の母親は多産系で、子供が乳離れすれば、すぐ次の子供を受胎し出産の準備に入るから、あまり子供にかまっていられない。
そして乱婚社会だから、父親なんか誰かわからないし、男たちはいつも狩りに出かけていた。寒さをしのぐためにそれほどにたくさんの栄養を取らなければいけない環境で、激しい運動の狩に熱中していれば寒さを忘れられるということもあった。
大人の男たちは、家にじっとしていられなかった。
だから、子供の面倒は子供たちで見ていた。ここに、「弱い者どうしが助け合う」という人間社会の原点になるかたちがある。また、子供がペットを飼いたがる傾向だって、弱い者どうしが助け合って生きてゆこうとする心の動きにちがいない。
とはいえ小さい子供はむやみに連れて歩くわけにもいかない。
そんなとき、犬が子供のお守をしてくれたのかもしれない。そうして子供は、自然に犬と一緒に遊ぶことを覚えていったのかもしれない。
犬=狼は、監視の能力が発達している。だから、お守としては人間の子供よりずっと有能だったのかもしれない。小さな子供がみんなと一緒に遊べるようになるまでのお守役として、犬が家畜化していったのだろうか。
また、外敵の侵入に対しては吠えたり戦ったりするという戦闘性もそなえているから、その戦闘性や嗅覚や辛抱強く監視するメンタリティは、狩のときにも大いに役立ったのかもしれない。
彼らの狩の成果が飛躍的に上がったのは、犬のおかげかもしれない。ヨーロッパ人は、狩のときは必ずといっていいほど犬を連れてゆく。
ネアンデルタール人も狼も、集団で草食獣の狩をするということにおいては同類だった。だから犬の方もスムーズに人間の狩に参加してゆくことができたのだろうし、同類としての親近感も生まれやすかったのだろう。そこのところにおいて犬は、馬や牛よりもずっと人間に近い。
とにかく、人間と犬との親密な関係は、ネアンデルタール人のところからはじまっている。
しかし、ひとつの集落で何匹くらいの犬を飼っていたのかは、わからない。なぜなら犬も一緒に洞窟に埋葬することはごくまれなことだったろうし、犬を食べていたわけでもないからだ。
もしかしたら考古学の発掘証拠よりももっと早くから、もっとたくさん飼われていたのかもしれない。
犬を居留地にたくさんつないでおけば、テリトリー意識を持つ狼が寄ってこない、ということもある。犬たちが居留地のまわりにたくさんマーキングしておけば、子供たちは安心してそこで遊べる。
もしかしたらネアンデルタール人は、われわれの想像以上に犬との親密な関係を持っていたのかもしれない。
犬と人間が仲良くなることは、とても自然でかんたんなことなのだ。
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   3・人間と狼との関係の歴史
人類史において狼を最初に犬として家畜化していったのは中近東あたりだという説がある。なぜなら、小型の狼が多く生息していたからだ。現在の犬のほとんどは中近東の小型の狼がルーツになっているのだとか。
しかし、子供のときから飼っていれば、大きくなってからでも人間になつく。大きな狼が犬になっていったという例がないわけではない。
少なくとも、狼を家畜化してゆく契機は、北ヨーロッパの住民がいちばん色濃く持っていたはずである。
現在、北ヨーロッパの人々と中近東の人々とどちらが犬との親密な関係を持っているかといえば、前者の方だろう。もしかしたら北ヨーロッパの人々の方が犬との関係の長い歴史と伝統があるのかもしれない。
狼にだって心がある。その心を開かせる能力は、死と背中合わせの過酷な環境で生きていた北ヨーロッパの原始人の方があったはずである。
人間と動物だって、生きてあることの「嘆き」が共鳴し合って親密になってゆくのだ。
氷河期極地のネアンデルタールの子供は、半分以上が大人になる前に死んでしまい、大人になることを保証されている存在ではなかった。そのかなしみというか存在の傷ましさは、なんとなく狼にも伝わる。
狼や犬だからこそ伝わる、というべきだろうか。現代の人間の大人の男なんか、子供が持つ存在の傷ましさなんかなんにも感じていない。子供を支配することばかり考えている。だから、狼や犬に警戒される。
人間が狼を家畜化していったのは何はともあれ両者のあいだに心の交流があったからであり、その契機は、もっとも過酷な環境を生きていた北ヨーロッパネアンデルタールとその祖先たちこそもっとも豊かにそなえていたはずである。
そして大型草食獣の狩を手伝わせるのなら、シェパードのような大型の犬の方が役に立ったはずである。
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   4・狼との心の交流
大型の狼は危険で、小型の狼なら人間に危害を加えないとか、そういう問題ではないだろう。どちらも最初は人間にとって危険な存在だったはずで、人間と狼の戦いの歴史があったにちがいない。その歴史から、たとえば逃げ遅れた狼の子供を拾うとかして、狼との親密な関係が生まれてきたのではないだろうか。
もともと人間と狼は同類のライバルどうしであり、その熾烈な戦いの歴史から家畜化するという関係が生まれてきたのではないだろうか。狼の群れに襲われて食われてしまう人間だってたくさんいたことだろう。狼にとって、身体能力が劣った人間ほど狩のしやすい獲物もなかった。
現在の狩猟愛好者たちがやたら狼を撃ちたがる傾向があるとすれば、ただのスポーツ的な娯楽というだけでなく、太古の、狼におびえなが生きてきた歴史の無意識だって残っているのかもしれない。
おそらく、50万年前に人類が氷河期の北ヨーロッパに住み着いていった当初は、圧倒的に狼の方が強かったのだろう。
集団で獲物を仕留めるというノウハウは、人間よりも先住者である狼の方がずっと高度であったのだろう。ネアンデルタールによる、集団で大型草食獣を窪地に追い込み、相手が弱ってゆくのを待って仕留めてゆくというやり方は、まさに狼から学んだ方法にちがいない。
彼らは、狼から学びながら集団の狩を覚えていったのかもしれない。狼はハイエナよりも弱いから、ハイエナよりもさらに巧緻で我慢強い狩の仕方をする。そういう意味で、ハイエナよりも狼の方がずっと人間の手本になり得たにちがいない。
人間にとって狼は、もっとも憎むべき相手であると同時に、もっとも親密になれる同類の仲間でもあった。
ネアンデルタールの遺跡から、ハイエナや狼の骨がたくさん出てくることがある。彼らがそれらの動物を食べていたかどうかはわからない。ライバルだったから、ただ殺しただけかもしれない。
ネアンデルタールが飢えていたということはあまり考えられない。飢えたらかんたんに死んでしまう環境だった。飢えていなかったから生き残っていったのだろう。
とにかく、人間が狼を家畜化していった歴史は、そうかんたんには語れないにちがいない。
何はともあれ、生きるか死ぬかのせっぱつまった狼との深い心の交流があったのだ。人間が戦争をはじめたことだって、狼との熾烈な戦いの歴史が基礎になっているのかもしれない。
同類の仲間だからこそ殺し合うという人間の習性は、ただ「本能が壊れた存在だから」とか、そういう安直なパラダイムで説明がつく問題ではない。
われわれは、根源的には「生きられるかどうか」という問いともに他者と関係を結んでいる。われわれの意識のどこかしらで、そういうせっぱつまったいわば「魂(=命)のやり取り」をしているのであり、そういう関係として狼を家畜化してゆくという歴史が生まれてきたのだ。
狼にだって、そういう関係を結ぶことのできる心があったのだ。
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