今年の冬は、ますますキャンドルブームであるらしい。
それは、人類がまだネアンデルタール人であったころの、洞窟の中で焚き火を囲んで語り合っていたときの記憶だろうか。
われわれ現代人はなぜかくも「ほっこり癒される」という体験を欲しがるのだろう。
「競争社会」を生きるほかないことの不安があるということも決して小さくない理由のひとつだろう。
それは、ただ社会経済だけの問題ではない。
「生き物は生きようとする本能を持っている」ということが信じられるのならもう、「死にたくない」という不安からは逃れられない。こんな本能などあるはずがないのに、あると合意されている社会の構造から、避けがたく「死にたくない」とか「生き延びたい」という思いを持たされてしまっている。そうしてこの気持ちを携えて競争社会に飛び込んでゆく。
それは、人間の本性でもなんでもない、競争社会という構造が生み出している心の動きなのだ。
人間にそういう心の動きを持たせているかぎり、競争社会はひとまず安泰だ。
人間は経済で動く生き物だから経済社会をつくっているのではなく、経済社会が経済で動く人の心の動きをつくっているのだ。そのようにして人は「死にたくない」と思ってしまう。
原始社会はもちろん経済で動いていたわけではないし、現代人だってけっきょくのところは、「経済=競争」が無化されたところで生きた心地を汲み上げている。そうやってほっこり癒されている。
ほっこり癒されてしまうほどに、「競争」にさらされて生きることを余儀なくさせられている。
競争を無化する文化を持たなければ、競争社会を生きることはできない。
言いかえれば、競争社会は、競争を無化する文化の上に成り立っている。つまり、人間社会の「文化」はそのように機能している、ということだ。
生き延びようとする「文明」と、それを忘れてこの生を「いまここ」で完結させようとする「文化」。この相互作用がなければ人は生きられない。生き延びようとすることは「自然=本能」でもなんでもないのだから、生き延びようとする衝動(=文明)だけでは生き延びられない。
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競争を無化する「文化」を基盤として持っていなければ、競争することすらできなくなってしまう。
競争を無化する「文化」をしっかり基盤として持っている社会では、むやみな競争は起きてこない。
むやみな競争が起きている社会では、競争を無化する「文化」を基盤としてしっかりと持つ必要が生まれてくる。
「健全な競争」それ自体が「むやみな競争」なのである。アンフェアな競争の方がずっと「むやみな競争」にならない。
「健全な競争」が必要なのではない、「競争を無化する文化」が必要なのだ。それなしには「競争」も成り立たない。
われわれは、「競争を無化する文化」を失った。そしてそれによって、競争する能力そのものも失っていった。これが、バブル以後の「失われた20年」であるらしい。
ろうそくの灯りでほっこり癒されたいということは、「競争を無化する」体験がしたいということだ。
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「治療する(セラピー)」とは、「競争を無化する」ということだ。
「苦痛」とは、「競争する」ということだ。つまり、体のはたらきが、はたらきを阻害しようとしている新たなはたらきと、どちらが主導権を持つかと競争している状態だろう。その「競争」が「苦痛」として意識される。
飯を食っているときは、げんに飯を食っているのだから、飯を食いたいという衝動は起きていない。むしろ、飯を食いたいという衝動が無化されているという、その「この生の完結性」が、飯を食うための動力になっている。
誰だって、けがしている最中の競争状態がうれしいわけではないだろう。早く楽になりたい、と思う。そうやって競争状態にけりをつけてしまおうとする衝動こそが生きるための動力になっている。その「完結性」を希求する意識こそ「生きられる意識」であって、競争しようとする意識ではない。
その商品を買うことは、その商品を買おうとする衝動を無化する行為だ。無化しようとする衝動がなければ、その「買う」という行為はぜったい起こらない。
買おうとする衝動そのものは、苦痛なのだ。なぜならこの生が完結しないで宙ぶらりんになってしまっている状態だからだ。
欲望が人を生かしているのではない。欲望にけりをつけてしまおうとする衝動によってわれわれは生きているのだ。
現代社会は、この生が完結していないという不安をたえず引き起こす構造になっている。
この生が完結していないから、「「死にたくない」とも「生き延びたい」とも思う。だから「生きたい」と思うのではない、その思いを無化してしまいたいのだ。そうやって無化してしまうことを、「セラピー(治療=癒し)」という。
この生が「いまここ」で完結してしまう体験を、「ほっこり癒される」という。
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近ごろ「ひこにゃん」や「せんとくん」などの「ゆるキャラ」のマスコットに人気があるのは、それらが「競争相手にならない他者」であるからだろう。
人間のようで人間ではないという架空性を持った他者。人間のにせもの。にせものを止揚する文化。「にせもの」であることがわれわれを癒している。
つまりわれわれは、人間どうしであることにいささかの怖れや絶望を抱いている、ということだ。
人間どうしであることは、「競争」の関係がどうしても付きまとってしまう。そのことにいささかの怖れや絶望をどこかしらで抱いてしまっている。人々は、この競争社会の制度性にそこまで追いつめられてしまっているのだ。
不景気に追い詰められているのではない。なんのかのといっても日本はアジアの近隣諸国に比べてまだまだ裕福だ、という話はいつも出てくるではないか。それなのにいつも「不景気のせいだ」という問題の立て方ばかりしている。
「健全な競争社会」を続けたい人間は、何がなんでも不景気のせいにしたいのだろうが、そうじゃないのだ。
われわれはもう、この健全な競争社会から、人間どうしであることにすらおびえてしまうほど追い詰められているのだ。
アメリカほどの過激な競争社会ではない、といっても、それでも耐えられなくなってしまうくらいわれわれはやわな民族なのだ。
それにアメリカだって、「戦争」というカードでみずからの異常で過激な競争意識を補完している。競争社会であるかぎり、アメリカは戦争をし続けるだろう。
戦争なら、おびえてなんかいられない。戦うしかない。人間を相手にして戦うし、人間と結束する。
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しかしこの極東の島国の平和な時代を生きるわれわれはもう、人間を相手にする気力も持てなくなって、人間だかなんだかわからない「ゆるキャラ」のマスコットに癒されている。
東北大震災のときにテレビから流されるメッセージで、人々の心にいちばん深くしみたのは、「どうすれば元気に競争し合えるようになれるか」ということではなく、金子みすずの詩の、「ただもう人と人が向き合うことができればそれでいい」というメッセージだったではないか。このことを、被災地の人々だけでなく、日本中が共有していったのだ。
被災地はむしろ、住民どうしやボランティアとの関係など、どこよりも深く豊かに人と人が向き合うということを体験し、人々はそこに希望を見出そうとしていた。
現在の日本人は、人と向き合うということそれ自体におびえてしまっている。
「健全な競争社会」というスローガンは、このことの救済になるどころか、ますます人々をその方向に追い詰めてしまうだけの効果しかもたらさないだろう。
そういう状況から、「萌え」という言葉に象徴されるような、競争を無化して人と人が向き合う「場=空間」をつくろうとするムーブメントが起きてきた。おそらくここにこそ、日本人であることの「素性」がある。
ひこにゃん」や「せんとくん」にほっこり癒されるブームも、「デフォルメされたにせものを止揚する」という、それはそれでこの国の伝統に遡行しようとするという態度でもある。
この国の伝統文化は、「ほんもの=オリジナル」であることを競争するよりも、「にせもの=コピー」として競争を無化して生きようとすることにある。
日本人には、アメリカのような本格的な競争社会を生きることなんか無理だし、かといってそれを拒否できるほど自我意識の強い民族でもない。われわれは競争を無化する文化の歴史を生きてきたから、人と対立することがうまくできず、あんがいあっさりと人や時代に流されてしまう。
だからこうして人と向き合うことにおびえ、「ひこにゃん」や「せんとくん」にほっこり癒されてしまっている。
この国は、この先どうなってゆくのだろう。
僕には、どんな社会をつくるべきだというようなヴィジョンはないし、そんなことを得々と語られても信用しない。
われわれはもう、どんな社会になりつつあるか、と問うことしかできないのではないだろうか。
人間が時代をつくるのではない、時代が人間をつくるのだ。
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