5万年前、北ヨーロッパネアンデルタール人には、北ヨーロッパで暮らすことの流儀があった。
同じころ、アフリカのホモ・サピエンスには、アフリカで暮らすことの流儀があった。
その流儀の違いを無視して、知能さえ発達していればどちらで暮らそうと勝者になれると考えているのが、現在の「集団的置換説」である。そうやってアフリカのホモ・サピエンスはヨーロッパに乗り込んでいってネアンデルタール人と入れ替わった、と。
この思考は、近代世界の人類が肥大化させてきた無国籍的(グローバル資本主義的)な思考をそのまま反映している。
世界でいち早く産業革命を果たした19世紀のイギリスは、その「資本主義」の知能によって世界中を席巻・侵略していった。置換説の研究者たちは、こういう図式をそのまま「アフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパのネアンデルタール人を駆逐していった」という図式に当てはめている。
強いものが弱いものを駆逐するのが人間世界や生き物の世界の普遍的な原理である、という意識が彼らの頭の中にはあるらしい。
でも、そういう「普遍」を考えるのなら、強いとか弱いとか、賢いとかそうじゃないとか、そういうことはひとまず関係ないのだ。原初の人類は、そういうことをひとまずチャラにして二本の足で立ち上がっていったのであり、人類の歴史はそこからはじまっている。
人類は、強くなろうとか賢くなろうと思いながら歴史を歩んできたのではない。
自分たちが「いまここ」に生きているという、自分たちの「素性」をたしかにしようとして歴史を歩んできたのだ。
したがって、アフリカのホモ・サピエンスが大挙してヨーロッパに乗り込んでいったという歴史的事実もあるはずがない。
ヨーロッパのネアンデルタール人にはネアンデルタール人の生きる流儀があり、アフリカのホモ・サピエンスには彼らなりのアフリカで暮らす流儀があった。そしてそれぞれがその流儀を大切にして歴史を歩んでいた。そこのところを、置換説の研究者たちは何も考えていない。
彼らが、本格的な議論に乗ってきてくれるのなら、いくらでも相手になって差し上げる。
彼らのような低劣な思考で原始人の歴史を語られても、われわれは納得できない。
まあいまのところは、置換説を唱えている方が研究者としての商売がやりやすいのだろう。誰だって、生活や人生は大事に違いない。
しかしもう、「集団的置換説」では歴史のつじつまが合わない、と合意される時代はすぐそばまで迫ってきている。
僕はそう信じているし、彼らとすれば、この「置換説」をどこまで引き延ばせるかが人生の正念場なのだろう。
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ネアンデルタール人にはネアンデルタール人の「素性」というものがある。これが大事なのだ。
知能の高さよりも、この方がずっと大事なのだ。
たとえば、シャネルやグッチというブランドをブランドたらしめているのは、その品質の高さ以上に、じつはそれがフランスから発信されているという「素性」をどのブランドよりも確かに持っているからである。
シャネルから「フランスという素性」を取ってしまえば、その価値は半分以下になってしまうし、シャネルですらなくなってしまう。
フランスだから素晴らしいというのではない。「素性」をたしかに持っている、ということがブランドの生命線なのだ。
人々は、品質以上に、その「素性の確かさ」を信用しているのだ。シャネルに負けない品質のものはほかにもいくらである。しかしシャネルほどたしかに「素性」をそなえているブランドはめったにない。
今やユニクロという会社では、英語ができないと一人前の社員として認められないのだとか。日本でも、英語で会議をするんだってさ。極端にいえば、世界のグローバル企業としては、日本人の社員がひとりもいなくてもかまわない。
しかしそうやってユニクロが骨の髄まで無国籍化・グローバル化してしまえば、その時点でユニクロの人気は低落の一途をたどることだろう。そうして、社員どうしのチームワークもどうなることやら。「素性」が共有されていなければ、チームワークだって成り立たない。
世界における現在のユニクロの人気は、日本から発信されている、というところが大きい。そこのところを、ユニクロという会社はどこまで自覚しているのだろう。
なんのかのといっても、そのブランドが信用されているのは、高田賢三山本耀司川久保玲らをはじめとする日本人ファッションデザイナーのフランスでの活躍や、「かわいい」のファッションムーブメントが世界に流通していることなどの「日本という素性」に負っているのであり、ただ品質だけで信用されているのではない。
べつにファッションのことだけではない。機械製品だろうと食料品だろうと、しっかり「素性」を持っているということに人々は信用するのだ。
「素性」をしっかり持っていれば、その長所も短所もはっきりしている。人々は、そこを信用するのであって、ただ品質が良ければそれでいいというものではない。
品質がいいものなど、いくらでもあらわれてくる。そんな信用など長続きしない。品質なんて、すぐに追い抜かれる。あとから出てきた方が有利に決まっている。あとだしのジャンケンと同じだ。
今の日本はもう、「素性を隠して売る」という段階ではない。
人としても商品としても、しっかり「素性」を持っている、ということがどんなに大事かということを、そろそろもう気がついてもよい。
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素性を隠して恋愛することはできても、結婚となるとそうはいかない。
これは、ただ家柄だけの問題ではない。その人の「人間性」というか「品性」の問題でもある。残酷なことだが、その人が持って生まれた「品性」はもう変えようがない。
「品性」もまた、ひとつの「素性」である。恋愛結婚であるのなら、家柄よりもこちらの方が大事かもしれない。
シャネルの「素性」は、シャネルの「品性」でもある。
「素性」をしっかり持っていることが「品性」だ、ともいえる。
魅力的な人は、家柄以前に、そういう人間としての「品性」を持っている。
人間であることの確かさ、と言い換えてもよい。それを「素性」という。
だから原始人は、そうかんたんに異種交配なんかしない。
ネアンデルタール人は、あるときホモ・サピエンスの遺伝子を拾ってしまった。そしてその遺伝子は1万年か2万年かけてネアンデルタール人全体に広まっていった。しかしそれはネアンデルタール人どうしが交配して広まっていったことだ。
彼らは、たとえどんな遺伝子配列の血を持っていようと、「ネアンデルタール人である」という「素性」を確かめ合って交配していたのだ。
人間は「素性」を信用する。これは、アフリカのホモ・サピエンスだって同じである。
同じ学校や職場やサークルで恋愛が芽生えたり結婚したりするのは、人間がいかに「素性」を信用する存在かということを物語っている。
魅力的な人はしっかり「素性」を持っているし、「素性」を持っていることが魅力なのだ。
ただもう「しっかり素性を持っている」ということ、これが大事なのだ。
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この「素性」という言葉は、「伝統」という言葉に置き換えることもできる。
現在の若者たちの「かわいい」や「萌え」がこの国の伝統に遡行しようとするムーブメントだとすれば、それは自分たちの「素性」を確かめようとしていることでもある。
しっかり素性を持っているとは、しっかり伝統を引き継いでいるということでもある。
伝統は、けっして「個性=品質」をつくらない、「素性=品性」をつくる。
「個性=品質」を持っていることより、「素性=品性」を持っていることの方が人と人をつなげる要素になる。けっきょくその方が、商品が売れるし、恋愛や結婚の決め手になる。
日本はもう、「素性」を隠した無国籍性の安物商売ができる後進国の立場ではない。
また、金さえあれば勝ちだというような無国籍的な発想がもてはやされる時代でもないだろう。
人間の歴史は、「素性」を確かめ合いながら動いてきた。強いものが生き残ってきたのではない。「地球平和」だの「グローバル化」だのと叫んでも、この忌まわしい国家という制度がいまだに残っているのは、良くも悪くも人間は「素性」を確かめ合わずにいられない存在だからだろう。
日本で生まれ育ったという素性、長崎出身だの関西出身だのという素性、どこの大学出身だのどこの中学出身だという素性を人間はどうしても気にするし、それによって仲良くなったりする。故郷に対する愛着、いや、「今日はいい天気ですね」とあいさつすることだって、この生の「いまここ」の「完結性=素性」を確かめ合おうする態度なのだ。
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根源的には、人間は、競争してよりよいものをつくろうとするのではない。「いまここ」でこの生を完結させようとしている。そのための根拠として「素性」を確かめようとする。
けっきょく、「素性=品性」を持っていることが人間的な魅力になり、商品の魅力にもなる。そういう「完結性」が、人の心を落ち着かせる。
優れた商品であることよりも、商品として完結していることが信用される。悔しいけど、シャネルは、そういう「素性」をたしかに持っている。
いまの日本人は、なぜブランド商品に弱いのか。
戦後社会を生きてきたわれわれが、「伝統」というものを見失っているからだろう。その不安が、シャネルの「ブランド力=素性」に負けてしまう。
シャネルの「品質の良さ」というより、「商品としての完結性」に、どうしようもなく惹かれてしまう。
近代社会の競争原理にさらされたわれわれ日本人はいま、「この生はいまここで完結している」という自覚=素性を見失っている。だから、ブランド商品に弱い。
日本人は、どうしてこんなにも不安なのか。それは、もうアメリカ人ほど競争原理にうつつを抜かしていることができなくなってきているからだろう。バブルのころは、大いにアメリカ人と張り合ったものだったが、日本人はもともと競争原理を生きる民族ではなく、「この生はいまここで完結している」という「無常」や「わび・さび」の世界観で文化をはぐくんできた。
シャネルが持っている確かな「素性」は、日本人に「この生はいまここで完結している」という気分にさせてくれる。シャネルが買えない人たちだって、つまるところはそういう気分で商品を買い、恋に落ちるのだ。
「素性」は品質よりももっと大事であり、「素性」が品質なのだ。
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人と人は、競争し合おうとするのではなく、「素性」を共有してゆこうとする。そうでないとわれわれは生きられない。われわれの歴史はもう、そういう段階に差し掛かっているのではないだろうか。どんな「素性」かというのではなく、「素性をたしかに持っている」という「この生の完結性」が共有したいのだ。
優れた商品や人間ではなく、「素性をたしかに持っている」商品や人間と出会ってときめく。
競争することが人間の本性であるといえる段階は、そろそろ終わりつつある。人間がそういう思考をするようになったのは、近代以降のここ2百年くらいのことだろう。そして日本はさらに遅れて、戦後の数十年のことにすぎない。
日本列島は、人類史において、文字を持つことや国家を持つことや貨幣を持つことや近代化など、いつも遅れて参加してはたちまちどこよりも熱狂し、どこよりも早く夢から覚めてしまうという傾向があった。
まさにここは、「極東(ファー・イースト)」の島国だ。
いま、世界中が競争の夢から覚めつつあるのだろうが、日本列島がいちばん早く覚めてきている。だから、多くの若者が二―トやフリーターになる道を選択してしまう。そこにこの国の立場の危うさがあると同時に、そうやって「ジャパンクール」という文化が世界中に発信されるというアドバンテージも持っている。
「ジャパンクール」の文化は、世界が夢から覚めてゆくことを先導している。
夢から覚めることはけっして楽しいことではないが、覚めないでいることもできない。そして、覚めることによって体験されるカタルシスもある。
優れた商品を購買している段階が過ぎれば、確かな「素性」を持っている商品に意識が向いてゆく。それは、夢から覚めてゆくということだ。
思春期のはじめは美男美女のアイドルスターにあこがれても、夢からさめれば、だんだん「いまここ」でこの生を完結させる恋の体験が必要になってくる。
もはや、よい商品をつくれば売れるという時代ではない。よい商品なんかいくらでもあるし、何がよい商品かという基準も人それぞれ違う。
確かな「素性」を持っている商品は、「いまここでこの生(この世界)は完結している」という体験をさせてくれる。われわれ人類はいま、夢から覚めて、そういう体験がないと生きられない段階に差し掛かっているのではないだろうか。
夢からさめれば、もはや「いい人生」を望む余裕などなく、生きられるかどうかと切羽詰まってくるのではないだろうか。誰もがどこかしらで切羽詰まっているのではないだろうか。
もともと人間は切羽詰まって生きる生き物だともいえる。
切羽詰まって二本の足で立ち上がったのだ。
切羽詰まってどうしても反省してしまうから、一度栄えた時代は必ず衰弱し、変転していってしまう。
切羽詰まって、この生やこの世界を「今ここ」で完結させようとする。完結させればもう、あとのことは知ったことではない。そうやって歴史は変転してゆく。
この生は一回きりだし、「今ここ」もまた、一回きりの瞬間なのだ。
たぶん商品の価値というのも、一回きりの出会いの瞬間の上に成り立っているのだろう。日本人はいつだって切羽詰まっているから、シャネルという「素性の確かさ」にしてやられる。
今回もまとまりのない書きざまになってしまったが、僕は、そういう切羽詰まったところで考えたいのだ。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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