ヤフーのインターネットのページに、「フサエリショウノガン」という鳥の求愛行動のことが載っていた。
この鳥は、求愛行動にものすごく時間とエネルギーを費やす習性があるのだとか。
生物学者たちはもちろん例によって、オスとしての優秀さや性的能力を誇示する行動だという。目立ちたがりの鳥なんだってさ。
しかしそれが成功する確率は、メスのまわりを何度も走り回ったり、ようするにあきらめずにしつこくがんばった鳥ほど高いらしく、体が大きいとか羽がきれいだとか、そういうことはあまり関係ないらしい。
とにかくがんばってメスに根負けさせてしまうのだ。性的魅力を認めさせるのではない。
べつにオスとしての性的魅力なんか関係ない。メスがオスに対して性的魅力を感じていたら、もっと早く選ぶし、自分から選ぶだろう。たぶんこの鳥のメスは、ほかの鳥以上にオスに興味がないのだ。だからオスは、がんばらねばならない。
この鳥の求愛行動が長くなっていったのは、オスはいつもメスに追い払われているからだ。それだけのこと。研究者たちの考えるような「種族維持の本能」による「生存戦略」などというものとはなんの関係もない。
そして、若いころにがんばりすぎたオスは、そのぶん早く性的能力が衰えてしまうのだとか。
で、研究者たちはこう言う。自然界は死と隣り合わせだから、若いうちにがっばって子孫を残しておこうとする戦略だ、と。
何言ってるんだか。自然界にはそんな戦略も目的もない。ただやりたくてたまらないから頑張っているだけなのだ。
その証拠に、若いころがんばったオスは歳をとって性的能力が衰えてもまだがんばりたがる傾向がある、という研究結果が出ている。
このことを研究者は、「謎」だというのだが、謎でもなんでもない、その行動が性的能力を誇示するためのものではないことを証明しているだけだ。
人間だって、バイアグラを飲んで死ぬまでがんばるつもりのじいさんはいくらでもいるじゃないか。それはもう生まれつきの体質や行動習性の問題であり、身体の実存の問題だ、と言い換えてもよい。
たぶん、ひな鳥のときから落ち着きがなかったのだ。そういう生きてあることのいたたまれなさこそが求愛行動に向かわせるのであって、性的能力を誇示しようとか、子孫を残したいとか、そんなことは関係ない。
メスを説得するのではない。自然界のオスとメスの関係は、そういう「コミュニケーション」の上に成り立っているのではない。
メスが根負けしてコミュニケーション不能ディスコミュニケーション)に陥ったときこそ、成功した瞬間なのだ。
メスは、コミュニケーションの能力があるかぎり、拒否の意思表示をしてオスを追い払う。だからオスは、必死でがんばらなければならない。
そうしてメスは、拒否の意思表示をするのがだんだん面倒くさくなってくる。死期が近づいた生き物は、自然に気力が弱ってゆく。自然の生き物はじたばたしない。人間だって、昔の人は死期が近づいてくると、粛々とそのことを受け入れていった。
生き物には、「気がすむ」とか「見切る」というような心の動きがある。そういう心の動きがなければ、オスは永久にセックスをさせてもらえないのだ。
最後にメスは、どうでもよくなってしまう。
現在の人間社会にレイプという現象が起きているのは、そういうオスとしての必死で自然な求愛行動が通用しなくなって、現在の女こそ、オスとしての優秀さとか性的能力とか、そんなことを基準にして自分から選んでゆくようになってしまっているからだろう。
生き物のメスは、セックスなんかしたいわけじゃないから、自分から男を選ぶようなことはしない。
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原初の直立二足歩行をはじめたころの人類だって、求愛行動に熱心な男は、させてもらえていたのだろう。基本的に生き物のメスは、オスの値打ちなんか問わない。ただ、面倒になってやらせるだけだ。
女の方からもなんとなく男が気になるようになっていったのは、おそらくネアンデルタールの時代からだ。
そこは、氷河期の極北の地であり、まさに死と背中合わせの環境だった。子供の死亡率だってとても高いし、彼らは、日常的に死んでゆく人間を看取りながら暮らしていた。
そうして、死にそうな気配に敏感になっていった。
このころから人間は、本格的に「死」を意識する存在になっていったのだろう。だから、「埋葬」という文化も生まれてきた。
とにかく、死の気配をまとった人間には敏感になっていった。
男たちは、命がけの狩をしていた。瀕死のけがをしたり疲れ果てて狩から帰ってきた。そしてそういう男たちを、女としても放っておけなかった。
怪我をしたり疲れ果てたりして胸に飛び込んでくれば、放ってはおけない。
そんなことをしているうちに、やがてふだんでも、つい気になって男を眺めてしまっていたりするようになっていった。
そういう、気になる男、というのを感じるようになっていった。
死の気配をまとった男、見ていて不安になってしまう気配を持った男。女を不安にさせる男、そういう男は、どうしても気になってしまう。
クジャクのオスの広げた羽は、たくさんの目玉模様があって、メスを不安に陥れる。
メスを不安に陥れることこそセックスアピールである。それによってメスは、セックスを拒否する気力が萎えてしまう。
メスの本能は、オスを追い払うことにある。
人間の女だって、基本的には男にもペニスにも悪意を持っている。そして鬱陶しいばかりの自分の生殖器にだって悪意がある。その悪意から女の快楽が生まれてくるのだろう。悪意の対象であるペニスを埋め込んで、自分の生殖器に復讐しているのだ。
ネアンデルタール人は、おそらく睡眠中の体温の低下を防ぐために男と女が抱き合って寝ていた。それは、毎晩のようにセックスをしていた、ということだ。つまり、鳥のように男を追い払うということはしなかった。そうして、しだいに男を選ぶようになっていった。
ただその基準は、現代のように男の姿かたちとか社会的な能力にあったのではない。彼女らなりの、抱きしめがいのある男があったのだろう。その基準のひとつとして、疲れ果てて死の気配をまとった男は放っておけなかった。
疲れ果てた男は、切実に女と抱き合いたいと願ったし、女も放っておけなかった。
まあ環境は最悪だったし、女としては自分の身体も鬱陶しかったから、死ぬことがいやだとか怖いという気持ちもなかったが、そういう条件の中で生きていたからこそ、どうしても気になってしまう対象があった。そういう男と抱き合えば、寒さや自分の体のことを忘れて解き放たれている心地が体験された。そうやって疲れ果てた男と抱きしめ合っていった。
生と死との狭間に、この生があった。生も死も忘れてしまう体験というのだろうか。心が麻痺してゆくことによって心がいきいきとはたらく体験、というのだろうか。そこに、セックスアピールがあった。
生も死もどうでもよくなってしまう体験。鳥だって、そういう心地になったときに、オスを追い払うことをやめてしまう。
生殖行動(セックス)は、生と死の狭間でなされる。研究者たちのいうような「種族維持の本能」とやらでなされているのではない。
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