アルタミラの洞窟壁画などの氷河期のクロマニヨンの文化はヨーロッパに移住していったアフリカのホモ・サピエンスによるものだ、と多くの人類学者が語るのだが、だったら、アフリカにもそんな遺跡がなければならないし、ヨーロッパよりも先行していなければつじつまが合わない。しかし同時代もしくはそれ以前のアフリカの、そんな遺跡は何もない。
それは、2万年前の氷河期のヨーロッパに、クロマニヨンの文化として突然現れた、といわれている。
アフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパに移住してその文化を花開かせたといわれても、同時代のアフリカにはそんな遺跡がないのだから信じられない。
そして、最近の考古学の調査で、ネアンデルタールも洞窟壁画を描いていたという痕跡が確認されはじめているらしい。
ヨーロッパで発掘されたクロマニヨンの骨は、3万3千年前以降のものばかりである。しかしアフリカからやってきたといわれている新しい石器文化が4万3千年からはじまっているから、そのときすでにアフリカのホモ・サピエンスが上陸してきていたと「置換説」の人類学者たちは決めつけている。
しかし、ひとまずクロマニヨン=ホモ・サピエンスの骨はそれから1万年後の遺跡からしか発見されていないのだ。考古学的には、その「空白の1万年」のあいだのヨーロッパにはネアンデルタールがいただけである。文化なんか、わざわざアフリカから人がやってこなくても、集落どうしの交流があればどこからでも伝わってくる。
フランスのショーべ洞窟の壁画は技術的にもっとも高度な壁画のひとつだが、3万7千年前のものである。つまり、この「空白の1万年」の時期に描かれたものだ。当然人類学者たちはホモ・サピエンスのものだと決めてかかっているが、この時期の発掘された人の骨はネアンデルタールのものばかりだから、ネアンデルタールの作品だといってもなんの矛盾もない。
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今日の記事もまた長くなりそうです。
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人間は限度を超えて密集した群れをつくってしまう生き物である。だから、どうしてもそこからはぐれてしまうものは出てくる。そういうものたちが群れの外に新しい群れをつくりながら、原初の人類はやがて地球の隅々まで拡散していった。べつに旅をしたわけではない。それほどに人口が増えていっただけのこと。
人間は群れと群れとのあいだに「空間=すきま」をつくろうとする習性を持っているから、猿と同じ人口の増え方なら、人間の方がずっと広く拡散してしまう。
チンパンジーの群れと群れは、「オーバーラップゾーン」というたがいのテリトリーが重なり合う部分を持って緊張関係を保ちながら共存している。この部分では、さすがのチンパンジーも殺し合いをする。
人間がこんな緊張関係を持ったら、もっと凄惨な殺し合いになる。それが、戦争だ。
人間は、二本の足で立って向き合っている。それは、不安定な上に胸・腹・性器等の急所を外にさらしているという、とても危険な姿勢である。かんたんに殺せるし、殺してくださいといっているような姿勢である。だから、どちらもそういう気にならないように、たがいの身体やテリトリーのあいだに「空間=すきま」をつくり合う。
この「空間=すきま」をつくり合うことによって、人と人の関係も群れと群れの関係も成り立っている。この「空間=すきま」をつくり合うことが、人間的な高度な連携プレーになることもあれば、個性とか群れ独自の文化が生まれてくる契機にもなっている。そうして群れどうしの連携を持つなら、その地域独自の文化(風土性)にもなってゆく。
人間は、離れ合っている生き物であると同時に連携し合ってもいる。離れ合っているから連携するのだ。たとえ親子といえども、人と人の関係に「一体感」などというものはない。共同体の制度性としてそんな幻想もあろうが、すくなくとも人間の本性はそんなところにはない。そんなところからは、人間的な連携も芸術も生まれてこない。
人と人は離れ合って関係している存在だから、孤立感や芸術の固有性が生まれてくる。
世界中の人と人や、地域と地域や、国と国が、それぞれ固有性を持っていると同時に連携し影響し合ってもいる。
すべての地域に固有性があるから「故郷」というものが意識され、生まれ育った故郷に住み着こうともするし、離れれば懐かしいとも思う。
人間は離れ合っている存在だから、個性が生まれ、地域に固有の文化が生まれてくる。
そして離れ合うから孤立感を抱いてしまうこともあるし、連携し合うから多いにときめき合ったりもする。そういう心の動きから芸術が生まれてきたのだ。
人間が離れ合い連携し合う生き物であるという存在のありようは、さまざまなストレス(嘆き)やよろこびを生む、そのストレス(嘆き)を癒そうとしてそのよろこびを表出しようとして芸術が生まれてきた。
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言葉とか芸術の起源について人類学で一般的に言われているのは、「知能が発達して象徴的思考ができるようになった」というようなことだが、この考えはきわめて安直であり、起源のかたちをちゃんと考察していない。それらが生まれてくる契機は、そんな知能などという観念のはたらきではなく、人間が生きてあることにともなう心の動きから生まれてきたのだ。
言葉の起源は、「アー」とか「うー」とか「おー」というようなたんなる唸り声だったし、絵の起源はただのなぐり書きだったのだ。そんなことは、当たり前じゃないか。そこにどんな「象徴的思考」があるというのか。
赤ん坊は「ばぶばぶ」というような意味のない声を上げながら、いろんな発声の技術を覚えてゆき、やがて言葉になってゆく。あとになって「まんま」とはご飯のことだったのかと気づいて「まんま、まんま」と訴えるようになってくる。
原始人が、そんな赤ん坊や、クレヨンのなぐり描きをする幼児よりも知能が低いということもないだろう。知能なんか最初からあったのだ。それでも、知能によっては言葉も絵も生まれてこない。
その唸り声を発したりなぐり書きをしたりせずにいられない人間特有の心の動きこそが起源(契機)なのだ。
人類の歴史において、人間として生きてあることのそうした嘆きやときめきが極まって、言葉や絵が生まれてきたのだ。
感情のままにいろんな音声が発せられるようになり、それらが少しずつ複雑化してゆく過程で、しだいにその音声の象徴する意味に気づいていったのだ。
たとえば日本語の「山(やま)」の「や」は、「やあ、ごきげんよう」というときの懐かしい感慨から生まれてくる音声であり、「ま」は「まったり」の「ま」でゆったりと充足してゆく感慨の表出である。山を眺めてなぜ「やま」という音声が出てくるのか誰もわからなかった。でも、その音声を発することによって山に対する同じ感慨をみんなで共有していることをなんとなく感じ合っていったのであって、山の姿や象徴的な意味を表現しようと思ったのではさらさらない。原初、「やま」とは懐かしく充足してゆく感慨を表出する言葉だったのであって、具体的な「山」を意味する言葉ではなかった。みんなでその懐かしく充実してゆく感慨を共有しているうちに、「山」という象徴的意味に気づいていったのだ。
両手のジェスチャーで山の姿を描いて「山」という意味を伝えることは、象徴的思考ではないのか。それくらいのことは言葉を覚えるずっと前からしていたはずだし、それが言葉が生まれてくる契機になるわけでもないだろう。それで済んでいるなら、それで済ませるさ。
象徴的思考を持ったから言葉が生まれてきたのではない。人間的な感慨が極まって言葉が発せられるようになってきたのだ。
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絵だって同じこと。意味のないなぐり描きをしていれば、そのうち何かのかたちになってくる。
丸を描いてみた。そのかたちを見て、空の月のようだ、と思った。べつに月を表そうと思ったのではない。人はそうやって線の意味に気づいていったのであって、意味を表現しようとしたのではない。
べつに、月を描きたかったのではない。丸い曲線を描いてみたら、月に見えてしまったのだ。
こういう頭のはたらきを、「アナロジー(類推思考)」というらしい。
言葉だって類推思考によって意味に気づいていったのであって、象徴的思考によってではない。
何もないところからいきなり音声が意味としてイメージされるというような、そんな手品みたいなことができるはずがない。音声を発したあとから意味が生まれてきただけのこと。
びっくりして思わず「きゃあ」といってしまってから、それがびっくりしたときの声だと気付く。びっくりしたときの音声をあらかじめ「きゃあ」と頭の中にイメージしてあった、などということがあるはずない。そんなふうにして言葉が生まれてきたのではない。
丸を描いてしまったのなら、ふだんから丸いものに対する親しみがあったのだろう。
その丸いものに対する親しみが、絵の起源だ。
なぐり描きをする幼児が何かを描こうとしているか。そんなことはない。ただなぐり描きをすることそれ自体が楽しいからだ。そうしてやがて、自分にとって気持ちのいい線ばかり描くようになってゆく。そういう心の動きが絵の起源であって、頭の中にあらかじめ描きたいもの思い浮かべたのではない。
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「赤色オーカー(ベンガラ)」という顔料になる土のかたまりのような赤い石がある。
7万5千年前ころのアフリカの遺跡から、この赤色オーカーに描かれた絵のようなものが見つかっている。
それは、その石のかたまりの表面を平らに削って整えられた上に鋭い線が彫られてあり、等間隔に並んだ直線を斜めに交差させて網の目のような幾何学模様になっている。これが、今のところ人類最古の絵(芸術)ということになっている。
もちろんそれは意図的につくられた作品だろうが、問題は、そのような線をどのようにイメージしていったか、ということだ。
まず、7万5千年前のアフリカのホモ・サピエンスは、「直線」が好きだったということが気になるところだ。
もちろん人類学者の説明は、「象徴思考」の芽生えによるとか、ごく大雑把にそのようなことを言っているだけである。この模様は何かのシンボルだったのだ、といっている研究者は多い。その「シンボル」をイメージするという能力を得たことが人類の文化の大飛躍につながっている、という。
まあ、世の中にはそのように考えたい人もいるのだろう。しかしその模様がやがて何かのシンボルになったということはあっても、起源において、何かのシンボルとしてその模様が考えだされたということはあり得ない。
赤色オーカーにこの模様を描くまえから、すでにこの模様を描く習慣はあったはずだ。そう考える方が自然だろう。たとえば、遊びで地面にかくとか、そんなことはすでにしていたはずである。この赤色オーカーのアーティストの頭に突然ひらめいたとか、そういうことではないのだ。
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彼らは直線を描くのが好きだった、ということがどうしても気になる。それは、不自然で人工的でモダンな線である。そんなニュアンスの線を、どうしてアフリカの原始人が好きだったのか。
西アジアやヨーロッパにも何かを描いたらしいという同じころの痕跡は残っているが、曲線とか点線とかのようなものが多く、こうした鋭い直線はアフリカにしかない。
直線は、ひとまず自然界にはないものである。原始時代のアフリカで、見渡すまわりの景色に直線などどこにもなかったはずだ。
彼らは、暑い日差しとかライオンなどのサバンナなの肉食獣などの「自然」から森の木陰に身を潜めながら暮らしていた。彼らは自然から隠れて暮らしていたのであり、であれば彼らの生活感情は反自然・非自然の方に向いていたはずである。そういう心が、直線に憑依していったのではないだろうか。
アフリカの文化は、反自然・非自然のコンセプトで発達してきた。彼らの心は、けっして自然と調和していたのではない。
熱帯の人々は、おおむね鳥が好きである。その極彩色の羽の色をまねて、自分たちの体にもボディペイントを施す。
彼らにとって鳥は、反自然・非自然的な対象である。何より、重力に逆らって空を飛ぶことができる。そして天敵に見つかることを怖れることもなく、堂々とその極彩色の体を見せつけ自己主張している。
熱帯の人々は、鳥の、その反自然性・非自然性にあこがれる。
アフリカの人々は今でも極彩色の色の服が好きだし、アメリカの黒人は金ぴかの装飾品をつけたがる傾向がある。
彼らは自然から隠れて暮らしているし、家族的小集団でん暮らしているから人間関係も限定されているし、おまけに暑ければ体の動きも鈍くなる(炎天下できびきび動きながらスポーツや労働をしていたら、人は熱中症になってしまう)。
彼らは、退屈していた。彼らの人と人の関係は、たがいに相手の心や体を覚醒させるために、たがいに自己主張して自分を見せびらかし合うことにあった。サバンナを横切る途中で仲間と出会ったら、そこで女や物を交換した。そのためにも、目立つ格好して自分を見せびらかす必要があった。だから彼らは、極彩色の鳥になった。
彼らは、反自然・非自然にあこがれた。
アフリカ人は、打楽器が好きである。太鼓の音は、腹に響いて体を覚醒させる。そうして激しく動きながら踊り狂う。ふだんはのろのろと体を動かしているからこそ、そういう激しい動きの文化が生まれてきたのだ。
彼らのリズム感や音感は独特で、不規則なリズムや不協和音を多用する。そうやって彼らは、心や体を覚醒させてゆく。
この反自然・非自然のコンセプトこそアフリカ文化である。
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では、4万年前以降のヨーロッパの洞窟壁画は、このコンセプトで描かれていたのか。アフリカ人が描いたのなら、そういう歴史と伝統から離れたものではないはずである。
それを、次のエントリーで検証してみたいと思う。
われわれ日本人の心や芸術的感性だって、日本列島1万3千年の歴史の上に成り立っている。文化とは、そういうものだ。他者の身体とのあいだに「空間=すきま」をつくろうとする人間の根源的な習性として、言葉が地域ごとに違うように文化の地域性はどうしてもついてまわる。
原始時代だって、地域性というそれぞれニュアンスの異なった故郷の文化はあったはずである。

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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
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