「出アフリカ」などという。
20〜15万年前ころにアフリカで生まれたホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアの人類集団が、10〜7万年前ころにアフリカを出て人口を増やしながら3、4万年で世界中に拡散した……と人類学者は教えてくれる。
そしてその集団は、どこに行っても圧倒的優位の多数集団で、先住民の集団を追い散らすか吸収していったんだってさ。
まったく、どうしてこんなくだらないことを言うのだろう。
まず、原始人が道なき道を旅するということなどあるはずがないし、できるはずがない。
また、もとの群れから出てゆくのはつねに少数のはぐれ者であり、したがって原始時代に圧倒的多数の集団がよそからやって来るなどということなどあり得ない。
それに、先住民の土地を乗っ取るなどということも原始人の本性にはなかった。そこに人が住んでいることがわかれば、まずはじめは、どのように関係を持とうかと思うのが人情だ。それは、先住民の方も同じだろう。ましてや女子供を連れていれば、いきなり戦闘をしかけるということなどできるはずがない。
第一、たとえばアフリカのホモ・サピエンスよりヨーロッパのネアンデルタールの方が圧倒的に戦闘能力においてまさっていたのである。彼らは、チームワークでマンモスなどの大型草食獣に肉弾戦を挑むという狩をしていたのだ。家族的小集団で暮らしながら個人プレーで小動物の狩をしていたアフリカ人とはわけが違う。彼らは背広を着て会社に通うサラリーマンではなかったのである。ケニヤのマサイ族だからといって怖気づくような人たちではなかったのだ。
原始人は、他人の住む土地に乗り込んでゆくということはしなかった。それは、猿のすることであり、1万年前に氷河期が明けて殺し合いの戦争を覚えてからはじめたにすぎない。
原始人の新参の群れは、あくまで人間の本性として、相手のテリトリーの外に、しかもたがいのテリトリーのあいだに「空間=すきま」ができる余裕をつくって居留地をかまえた。そうして、女を交換するなどの関係をつくっていった。
原始人の群れどうしは、けっしてくっつき合うということをしなかった。つねに、たがいのテリトリーのあいだに「空間=すきま」をつくった。人間はそういう本性を持っているから、地球の隅々まで拡散していったのだ。もしも相手のテリトリーに乗り込んでいったりくっつきあったりするのが本性なら、人類の生息域は拡散することなく、住みよい地域にひしめき合っているだけだろう。
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7万年前から1万年前までは、氷河期である。その時期にアフリカの暖かい気候の下でしか生き残れないホモ・サピエンスの遺伝子を持った人類がアフリカを出て世界中の北の果てまで旅をしてゆき、しかも爆発的に人口を増やしてゆくなどということがあるはずないじゃないか。
旅をするなら、妊婦や子供は足手まといである。旅ばかりしている種族は、人口を増やすことはできない。縄文人の男たちは旅ばかりしていたから、人口を増やせなかった。地球上のあらゆる地域で人口爆発が起きていた時代だったというのに。
人口爆発は、定住する集落で起きる。これは、人類史の定理だ。
この国において、原初の人類史を語るものたちはみな、うれしそうに「出アフリカ(アウト・オブ・アフリカ)」と言う。いっちょ前に人間賛歌を歌っているつもりなんだろうね。くだらない。
原初の人類は、アフリカを出て旅をしていったのではない。ただ、群れの個体数がふえて分裂し、アフリカの外まで拡散していっただけだ。時代によって多少の増減はあったとしても、おおむね人類の個体数はふえてきたのだ。
人口が増えれば、群れの数も増えて拡散してゆくだろう。それだけのことさ。
原始人は、旅なんかしなかった。
あなたたちは、人間が住みつくということに対する敬意はないのか。どうしてそんなうれしそうな顔をして「人類の旅」などというのか。
僕はひといちばい住み着くことが下手な人間だが、原始人がどんな住みにくいところにもけんめいに住みついていったその人間性と艱難辛苦に対しては、大いに敬意を払っている。
「出アフリカ」といっても、べつに旅していったわけではない。
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200万年前の人類がアフリカの外まで生息域を拡散していったのは、同類のチンパンジーなどの猿たちが中央アフリカに集まってきて追い払われたこと。住み処としていた森がどんどん減少していったこと。そうしてそれでも人口が増えていったからだ。
人類の中でも最も弱い種族が、追われるように拡散していったのだ。
いつの時代も、はぐれ者が追われるようにして群れを出てゆくのだ。そして、新しい土地にけんめいに住み着いてゆく。どんなに住みにくくてもけんめいに住み着いてゆこうとする。人間はそういう生き物だから、地球の隅々まで拡散していったのだ。
「出アフリカ」といっても、じわじわ生息域が広がっていっただけのこと。
200万年前の人類は、およそ100万年に1万キロの割合で拡散していった。1万年に100キロである。1万年もあれば、福島県から群馬県まで拡散してゆくことくらい、人口が増えれば旅なんかしなくても自然の成り行きでそうなるだろう。
川の向こうに行って新しい家を建てる、そんなことをちょこちょこやっていれば1万年でそれくらいは広がるだろう。
人間は、テリトリーを接して新しいテリトリーをつくることはしない。必ずそのあいだに「空間=すきま」をつくる。だから、生息域がどんどん広がってゆくのであり、だから、少々住みにくくてもその新しい環境を受け入れてゆく。
かんたんに「旅」などといってもらっては困るのだ。
200万年前にアフリカから拡散していった人類は、50万年前ころには、ユーラシア大陸のほとんどの地域に住みついていた。
たしかにホモ・サピエンスの遺伝子は、アフリカで発生したたった一人の遺伝子だったのだろう。しかし、その遺伝子を携えた集団がアフリカから旅に出て世界中を覆い尽くしていったのではない。すでに世界中に住みついていた人々の集落から集落へとその新しい遺伝子が手渡されていっただけなのだ。
その遺伝子の「ネオテニー」という乳幼児期をゆっくり成長してゆく性質はとても危うく、つねに大人になる前に死んでしまうかもしれないリスクを伴っている。そのリスクを、それぞれの土地に住み着いた人々の体質と文化によって補われながら定着していったのだ。
200万年前からホモ・サピエンスの遺伝子が伝播してくる10万年前以降までのあいだにそれぞれの土地に住み着いていった人々の歴史的な営為があって、はじめて世界中に定着してゆくことができたのだ。その人々は、アフリカからやってきた大集団に飲み込まれたのでも滅ぼされたのでもない。
アフリカからやってきた大集団など存在しない。
遺伝子が旅をしていっただけなのだ。
原始人は、つねに同じ民族どうしで交雑し合っていた。それは、アフリカにおいても例外ではなく、むしろアフリカ人こそほかの地域以上に異民族との関係を持ちたがらない傾向が強く、現在のアフリカには言葉の通じない部族が無数にある。
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現在の人類の、地球上の拡散と繁栄は、どんなに住みにくいところでもけんめいに住み着いてゆこうとした人々の死に物狂いの営為の上に築かれている。
そのことを無視して、旅をしただの滅ぼしただのという程度の低い物語を合唱連呼して、何がうれしいのか。そんなことで人間賛歌を語られても、何の説得力もない。
あなたたちは、「人間とは何か」ということを本気で考えているのか。あなたたちの脳みそで考えた人間とは、その程度のものなのか。
原初の人類の歴史は、圧倒的にデータが少ない。われわれはそれを、思考と想像力で補っていかなければならない。「人間とは何か」というところで誤れば、データの分析もすべて誤る。
僕は、人間が素晴らしい生き物かどうかということなどわからない。しかし、その土地に住み着いて連携を模索してゆく生き物だあることは疑っていない。
原始人は、異民族と混血することも追い払ったり滅ぼすということもしなかった。なぜなら旅なんかしなかったから、異民族と出会うということがなかったのだ。
ただもう、群れの中の人と人の関係や、隣の群れとの関係など、そういう連携を模索していっただけだろう。
人間とは、連携する生き物である。それによってホモ・サピエンスという危うい遺伝子を自分たちのものにできたのであり、そのためには、生まれて間もない乳幼児が次々に死んでゆくというひやりとするような歴史段階もあった。かんたんにホモ・サピエンスの遺伝子は最強でオールマイティだなどといってもらっては困る。それはとてもリスキーな遺伝子であり、そのリスクと背中合わせにメリットがあるのだ。
人類が地球の隅々まで拡散していったということは、それなりに人口を増やしてきたことを意味する。旅をしていったからではない。
原始時代に飢えて死ぬということなどなかった。そんなことは、共同体の歴史において起こってきたことだ。人間のように何でも食う生き物が、少ない人口で自然を相手に暮らしているかぎり、飢えるということなどあり得ない。
人間の歴史は、飢えとの戦いの歴史ではない。そのかわり、ひやりとする瞬間の繰り返しの歴史であった。ネアンデルタールがあんな寒いところに住み着いてしまったこともそうした瞬間のひとつであり、そのネアンデルタールホモ・サピエンスという危うい遺伝子を持ってしまったことも、人類史の最大の危機のひとつだった。2万5千年前から1万3千年前までの最終氷河期は、艱難辛苦の連続だった。だから、洞窟壁画などの芸術文化が花開いていったのだ。
そしてそういうひやりとする危機を、人類は、つねに人と人の「連携」によって乗り切ってきた。
お願いだから、安直に「旅をした」だの「滅びた」だのと言わないでくれ。

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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
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