スピッツ草野マサムネ君は、今回の東北地震のことで、急性ストレス障害とかいう体調不良になり、3週間の療養を余儀なくされたのだとか。
彼には三陸地方に知り合いとか親戚がいるわけではない。それでもそんなになってしまうのは、ふだんからたったひとりで世界と向き合って生きている人だからであり、そうやってひとりで世界に恐怖したのだ。
感受性の問題だよね。鈍感な僕なんか、のうてんきにピンピンしている。
恐怖は、感覚的なはたらきの右脳で体験される。
マサムネ君は、右脳のはたらきが発達している人で、だからあんなお洒落な詩が書けて、いつまでも耳に残る印象的なメロディが次々に浮かんでくるのだろう。
彼は、その誰よりも鋭敏な右脳のはたらきで今回の震災を受け止めた。
それに対して、今回の事態を冷静に理性的に受け止め、えらそうな能書きをたれている人たちは、論理的な思考をつかさどる左脳で反応したのだろう。
今回の地震津波放射能は、人々の右脳を揺るがせた。
安全であればいい、というだけではすまない。人間は恐怖食べて生きている。
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人間の脳のはたらきは、どうして左右非対称なのだろう。
これは人間だけに際立った特徴なのだとか。猿だって多少はそんな傾向があるのだろうが、人間ほど際立っていない。
言語をもったから、言語のための左脳と非言語の右脳がわかれた、という説もあるらしいが、じゃあ左脳が壊れたら言葉は話せなくなってしまうのかというと、そうでもなく、右脳で代用することも可能になるのだとか。この説も、結果でしかないことを原因であるかのように言っているだけだ。
言語が生まれたから左脳が発達したのではなく、はじめから左右非対称になっていたから、左脳で言語を処理していっただけだろう。
それが人間だけの特徴だとすれば、やはり二本の足で立ち上がったことと関係があるのだと考えるしかない。言語が発達する前から、もともと人間は左右が非対称の生き物だったのだ、たぶん。
僕がここで語っていることは、科学的なデータの裏付けがあるのではなく、ただ勝手な想像で語っているだけだから、どうか話半分で聞いていただきたい。
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とりあえず、それは直立二足歩行からはじまった、と考えてみよう。
内臓の位置が左右非対称になっているから、といっても、猿だってたいして違いないだろう。
どうして猿の脳は、人間ほど左右非対称になっていないのだろう。それはたぶん、四本足で歩いているからだ。
四本足の姿勢でいれば、内臓は重力のはたらきを受けてそれぞれの位置に安定しておさまっている。
しかし二本の足で立っている人間の内臓は、重力に逆らって宙に浮いている。だから人間は、ちょっとでも心臓の鼓動に変調があれば、その胸のドキドキをあからさまに感じてしまう。
胸の左側の心臓とつながっているのは、右脳だろう。神経は、首の延髄ところで交差しているらしい。
左利きの人は右脳が発達して感覚的だといわれている。
右脳は、心臓とかかわっているから、感覚的なはたらきになっているのかもしれない。
そしてそういう危機を感じることから免れている左脳において、論理的な思考がなされているのだろうか。
人間は、ものすごく怖がる生き物である。そうして、ものすごく敏感に心臓の鼓動の変調を感じてしまう。そうやって、まず右脳が特化していった。心臓が大切だからではない、恐怖や不安によって変調が起きてしまう器官だからであり、二本の足で立っている人間は、ことのほかそれを敏感に感じてしまう。
怖がる生き物だから、右脳が発達した。ただ内臓の位置が左右非対称だからというだけでは説明にならない。
また、言語によって左脳が発達したのが左右非対称のはじまりである、という説はなお信用できない。
とても怖がる生き物になったのが、人間のはじまりなのだ。それは、言語を習得するずっと以前の話である。二本の足で立ち上がることによって恐怖と不安が増大し、しかも二本の足で立ち上がることによって、その恐怖や不安に影響される心臓の鼓動の変調をよりあからさまに感じるようになった。
人間の脳のはたらきが左右非対称になったのは、二本の足で立ち上がったことによって心臓の位置にとても敏感になり、さらにそのうえ、とても怖がる生き物になっていったことが契機になっているのではないだろうか。
言語をもったことなんか関係ない。それ以前から左右非対称だったのだ。
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しかしこの恐怖や不安は、ちゃんと処理してゆかなければならない。二本の足で立ち上がれば、生き物としての根源的な恐怖や不安が呼びさまされる。それは、とても居心地の悪い姿勢である。しかし、そこから二本の足で歩いてゆけば、そうした身体の居心地の悪さなど忘れて、世界にときめいてゆくことができる。
不安を感じ、不安を処理してゆく……このバイブレーションが人間の生きるいとなみである。人間においては、不安のない生存などない。不安から解放されるときめきが人間を生かしているのであって、不安がなければ、脳の働きも停滞するほかない。
見たり聞いたり考えたりしてこの世界を認識してゆくことは、おもに左脳のはたらきによるのだろう。右脳でときめいて、左脳で認識してゆく。これが、左右の脳の連携であるのだろうか。
恐怖や不安から解放されたところから左脳のはたらきがはじまり、不安や恐怖を無化する機能としてもはたらいている。
もともと言語は、右脳的な世界に対する反射神経として生まれてきた。そして左脳によって、そこに象徴的な意味とか規範を見出していった。
右脳の感覚に対する左脳の知能、心の動きに対する思考のはたらき、おおざっぱにいえば、まあそういうことだろうか。
恐怖や不安を処理しながら、恐怖や不安それ自体を生きる。これが人間の生きる流儀であり、しかも人間はこの恐怖や不安を心臓の鼓動としてとらえるから、どうしても右脳のはたらきが特化してしまう。こうして左右の脳のはたらきがアンバランスになり、非対称になっていったのではないだろうか。
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二本の足で立ち上がっていることは、重力に逆らっている姿勢である。そのために、体が左右に揺れる。四足歩行の動物は、あまりこんなことにはならない。そして密集した群れで行動していれば、左右の他者の身体との間隔が気になる。そんなこんなで、二本の足で立っている人間は左右の意識が発達している。四足歩行の動物は前後の方向だけを気にして歩いているが、人間は左右を気にしながら歩いている。みずからの身体が左右に揺れることと、左右にいる他者の身体との間隔が気になる。
歩いていて右に傾きやすい幼児は左手でバランスを取ろうとするから左利きになってゆき、
左に傾きやすければ右利きになるのかもしれない。
心臓の鼓動が気になるということは、左側が気になるということである。左側にばかり意識が向いていれば、右脳が発達する。
人類の歴史においては、その恐怖と不安によって、まず右脳が不自然に発達した。
そうしてその発達しすぎた右脳とバランスをとるように左脳が発達してきたのかもしれない。言葉は、そういう右脳の揺らぎを鎮めるようなかたちで生まれ育ってきた。
言葉が左右非対称をつくりだしたのではない。左右非対称を安定させるようにして言葉が育っていったのだ。言葉の根源的な機能は、密集した群れの中に置かれてあることの不安や鬱陶しさを和らげることにある。そのようにして左脳が発達してきたのだろう。
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直立二足歩行をはじめた原初の人類は、生き物としての生き延びる能力を喪失していることの不安を共有することによってたがいにときめきあうというかたちで、その密集しすぎた群れを維持していった。人間は、怖がり嘆く生き物である。同類であるはずのチンパンジーよりももっと弱い猿として、つねにライバルや天敵から身を潜めて怖がり嘆きながら右脳を特化させるというかたちで最初の数百万年の歴史を歩んできた。そういう歴史があったからこそ、言葉が生まれ育ってきて、やがては他の動物を凌駕する文化や文明を生み出していった。
人間の脳が左右非対称であるということは、怖がり嘆く生き物としてその歴史を歩みだしたことを意味している。
人間は、怖がり嘆く右脳の発達を代償にして、左脳による文明を獲得していったのだ。
怖がり嘆くという体験を契機にして、人間的ないとなみのダイナミズムが生まれてくる。
というわけで、今回の東北大震災の被災地の人々による復興へのいとなみも、われわれの予想を超えてダイナミックに進んでゆくことだろう。そこのところで悲観する必要はない。人間はたぶん、そういう生き物なのだ。恐怖や不安や嘆きを共有している者たちこそ、人間的なダイナミズムの契機を持っている。いざとなったらみんなして死んでゆくしかない、と覚悟を決めて生きているのが人間なのだ。
人間の脳が爆発的な進化をはじめたのは、700万年の歴史の、たった20万年前くらいからだという説もある。それまで人類はずっと、弱い猿として恐怖と不安と嘆きを共有して歴史を歩んできたのだ。その恐怖と不安と嘆きが、人間の脳のはたらきを左右非対称にした。
人間的なダイナミズムの契機は、恐怖や不安や嘆きを共有してゆくことにある。
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