英語では「私」のことを「アイ」と言う。
「あ」という発声を音韻的に考えるなら、「あっとおどろく」の「あ」です。この感慨においては、日本人も西洋人も、同じ人間なのだから、そう変わりはないはずです。人は、何かにはっきり気づかされたとき、「あ」という声を出す。そして「い」は、「いのいちばん」の「い」。「INPORTANNT」の「い」。すなわち、西洋人にとっての「私」は、この生において先験的に気づかされるもっとも確かで大切な対象であるらしい。
日本人だって「私」のことをそのように認識すれば、「あい」というはずです。しかしやまとことばの「私」は、「わ(吾)」とか「わたし」という。「わ」と発声するとき、口をあけて息が抜けてゆき、体が消えてしまったような心地になる。日本人にとっての「私」は、そのようなあいまいな存在であるという感慨とともに認識されている。
そして、英語の「あなた」は、「ユウ」です。「夕(ゆう)」は、昼間のあとにやってくる時間。「湯(ゆ)」は、水が煮立った後の状態。「幽(ゆう)」とは、余情余韻のこと。すなわち「事後的」にあらわれる対象のことを「ゆう」という。西洋人にとっての「あなた」は、そういう対象なのです。「私」のあとに「私」が気づく対象として「あなた=ユウ」が存在する。
それに対してやまとことばの「あなた」は、「な(汝)」です。「な」と発声するとき、体に芯が通ったような心地がする。「春な忘れそ」の「な」は強調の助詞、「鐘が鳴るなり」の「なり」は確信の接尾語。強調・確信の「な」。日本人にとっては、「あなた」こそ先験的な確かな存在です。
この違いは、観念的な認識と、実存的な感慨との差です。
実存的に言えば、まず「あなた」が存在する。それは、ラカンレヴィナスの言説を待つまでもなく、西洋人だって気づいていることです。しかし彼らの言語は、「アイ=私」が先験的に存在するという観念の上に成り立っている。
西洋のフェミニストが、自分たちの言語を男がつくったものだと異議を唱えるのは、そういう実存的な違和感に由来しているのだろうと思えます。
女の感慨というより実存的な感慨の上に立てば、「わたし」のことを「アイ」と言うのは変なのです。しかし西洋の社会は、「私」こそ先験的な存在である、という観念で動いている。
だから内田氏のような口先だけの学者は、「自己意識こそ人間性の基礎である」と言いつつ、一方ではレヴィナスの言説を「これいただき」とばかりに「私の他者に対する<始原的な遅れ>こそ根源的な人間の存在のしかたである」などと矛盾したことをなんの反省もなくぬけぬけと言う。口先だけなのです。本気でものを考えていない。途中で思考停止して、自分の中にある制度的な「自己意識」を必死に守ろうとしている。「自己意識」に居直って、脅迫的な言説をまきちらしてくる。
おそらくこういうグロテスクな言説こそ、女を愚弄し、フェミニズムの運動を阻んでいるのだと思います。
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ヨーロッパにおいて農耕牧畜が食糧生産の中心になったのは、約6千年前。氷河期明けの人口増加で、もはや原始的な狩猟だけでは食糧をまかなえなくなった上に、マンモスなどの大型草食獣が乱獲のせいもあって大きく減少したり絶滅したりしていったこともある。
また、このころから人類の戦争が本格化して起きてきたのだが、それはおそらく、農耕牧畜の労働力としての奴隷を調達するためだったのだろうと思えます。土地を巡る争いではなかった。土地なんかいくらでもあった。いくらでもあったが、労働力がなければ、農地にはならない。テリトリーの争いは、狩猟生活だけをしているころのほうが切実な問題だった。農耕牧畜に移行して、むしろ土地は余っていた。その余っている土地を有効利用するための労働力が足りなかったし、男たちは、そんな労働よりも血湧き肉踊る狩猟生活を続けていたかった。
そうした狩猟生活の延長として、戦争があった。戦争は、男たちに狩猟生活以上の興奮と、農耕牧畜の労働力の両方をもたらした。古代の戦争は、男たちの闘争本能の上に成り立っていたのであって、領土争いでも正義のためでもなかった。
ヨーロッパの狩猟は、もともとマンモスなどの大型草食獣を大勢のチームプレーで倒すというものだったから、チームプレーとしての戦争が発達する素地を持っていた。
そしてそのころ女たちは、たくさんの子供を抱えて家に閉じ込められていった。氷河期のころは洞窟の中に大勢が寄り添って共同生活していたから女どうしの社会があり、そこでの会話から言葉も生まれてきたが、家をつくるようになって、そういう会話の場も少なくなっていった。
それに対して男たちは、共同体をつくったり、奴隷に命令して働かせるなど、男どうしの会話の場がどんどん増えていった。
原始言語は、「感慨」から生まれてきた。そして女はことに、「感慨」を基調にして会話をする。それに対して男は論理的に語ろうとする。しかも奴隷は、別の共同体の人間だから、感慨を共有していない。そういう相手に言葉をおぼえさせるためには、論理的な言葉のほうがいい。
そういう状況で、感慨を基調にした原始言語が、男の観念になじむような論理的な言葉にどんどん変質していった。それが、現在のヨーロッパの言葉です。
たしかに、女の言葉がそこで屠り去られたのです。
現在のヨーロッパの社会も言葉も、男によってつくられている。というか、男によって変質させられている。
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ヨーロッパにおける「父殺しの衝動」は、父を乗り越えようとする衝動であるとよく言われます。しかしそれは、ちょっと違うと思う。
ブリティッシュロックの元祖といわれているザ・フーの「マイ・ジェネレイション」は、いわば父殺しの衝動を歌った曲であるが、そこで歌われているストリートの少年少女たちのメッセージは、父(=大人たち)を超えようとするよりも、おまえらうるさいからあっちに行ってろ、消えてしまえ、大人になんかなりたくない、というものです。
原始時代の家族は女(母)と子供だけで構成されていたが、あとの時代になって「父」が挿入された。
「父」はまず、子供を母親から引き剥がす存在としてあらわれ、成長したのちに、社会(共同体)に引きずり込もうとはたらきかけてくる。そのときに「父殺し」の衝動が生まれる。
そのとき「父」は、子供が社会に参加してゆくことに立ちはだかるのではない。引きずり込もうとするのです。それはつまり、「奴隷」として使役しようとしてくることです。
若者は、若者だけの社会をつくろうとする。ネアンデルタールの末裔であるヨーロッパの若者はことにその意識が強く、また奴隷制度の伝統を持つ社会であれば、奴隷にさせられるという気持にもとうぜんなってしまう。
だから、そんなのいやだ、と反抗する。父を乗り越えたいのではない。父から逃れたいのであり、それが「父殺しの衝動」ではないだろうか。
子供にとって家族の外に出ることは、社会の外に出ることでもある。そうして子供だけの社会をつくろうとして、ストリートにたむろする。
フェミニズムは、「父」に対する異議申し立てでもある。ヨーロッパの女たちは、たしかに言葉を奪われている。そしてそうしたのは「父」という男たちだったのだ。
女たちが女だけの社会をつくろうとすることはあっていいと思う。たぶんそういうかたち、つまり女どうしの会話によってしか女の言葉を取り戻すすべはないのだろうし、この社会にそういう場があってもいい。けっきょく遠い昔に「家」を持ったことと引き換えにその場を失ったことで、言葉も奪われてしまったのだから。
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