ヨーロッパの女のヒステリーは、半端じゃない。その歴史について考えてみたいと思います。
人類が寒い北ヨーロッパに住みついたのが、約五十万年前。ヒステリーの歴史は、そこから始まっているのだろうと思えます。
いちおう古人類学では、ヨーロッパの人類の歴史は4万年前に現れたクロマニヨン(=ホモ・サピエンス)から始まっているということになっているが、僕はそうは思わない。
そのころアフリカのホモ・サピエンスが全地球的に拡散し、ヨーロッパのネアンデルタールやアジアのホモ・エレクトスなどの他の種をすべて滅亡に追い込んでしまったなんて、そんな程度の低い劇画みたいなことがあるはずないじゃないですか。
そんなことを大真面目に信じているなんて、頭おかしいんじゃないかと思う。
よりネオテニーで長生きするホモ・サピエンスの遺伝子が伝播していっただけのことでしょう。ミトコンドリア遺伝子は女親からしか伝わらないから、短命であるネアンデルタールの遺伝子は、その遺伝子が混じると、長い歴史のあいだにどんどん消えていってしまうのです。
たとえば百人のネアンデルタールの群れにひとりだけホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアの女が混じるだけで、千年も経てば全員がその遺伝子のキャリアになってしまう。何しろその遺伝子のキャリアは長生きするから、そういう個体ばかりが生き残ってゆくわけです。
とにかく、ネアンデルタールは滅んでなんかいない、ということです。どこかでその遺伝子を拾ったために、いつのまにか全員がその遺伝子のキャリアになってしまった、というだけのことです。
したがって、北ヨーロッパも含めたヨーロッパの歴史は50万年だと考えるべきだと思います。そしてここでいう北ヨーロッパとは、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどの地域のことで、氷河期のそこから北は、ただ氷原が続くだけで人は住んでいなかった。
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「女は何を欲望するか?」の中で内田樹氏は、「ハイブリッド(混血種)は排除されるべき存在であり、両方に境界線を引くものが生き残る。それが人間の<知>であり、<文明>の本質に他ならない」というようなことを言っています。
こんな言い方をされると僕は、殺意すらおぼえる。ここから「四万年前にヨーロッパに進出したアフリカのホモ・サピエンスは在来種であるネアンデルタールを絶滅に追い込んだ」と世の人類学者たちが唱えている仮説までは一直線です。
人類の歴史が始まって七百万年、絶滅した種などいない。絶えず混血を繰り返しながらひとつのかたちに収斂してきただけだと僕は思っている。人間とはそういう生きものだと思っている。
われわれはみな、ホモ・サピエンスというハイブリッド(混血種)なのだ。
世界中の学者を敵に回しても、そう言いたい。
どいつもこいつもあほなことばかりほざきやがって。
人類の「センチネル(歩哨)」として極北の地で五十万年生き延びてきた人びとがですよ、どうしていきなりアフリカからやってきた熱帯種に滅ぼされなければならないのですか。そのとき氷河期だったのですよ。氷河期の北ヨーロッパは、いきなりアフリカらやって来た熱帯種が暮らせるようなところじゃなかったはずですよ。あなたたちは、どうしてそんなふうに人間をなめたようなことを平気で考えてしまうのか。
ネアンデルタールが50万年かけてつくり上げてきた極北の地で暮らすための体質や知恵(文化)は、なんの意味もなかったと言うのか。
想像力の貧困な俗物野郎が口をそろえて何をほざいてやがる。
四万年前のアフリカのホモ・サピエンスは、ひとりもアフリカから出ていない。
そのとき人類は、アフリカから北ヨーロッパまでのすべての地域にすでに棲息していたのです。そうして近在の者どうしの婚姻が活発に起きていれば、その動きとともに遺伝子が端から端まで伝播してゆくことも可能でしょう。それだけのことです。そのとき遺伝子の伝播が起きたのであって、人が移動していったのではない。
そうして、広い範囲を動き回ろうとする習性は、移動生活をしていたアフリカのホモ・サピエンスよりも、北で定住生活をしていたネアンデルタールにこそあった。寒いところでは動き回って体温を上げないと凍え死んでしまう。それに、そのような環境下では、脂肪分の多いものをたくさん摂取しなければならないから、狩猟活動が大いに活発化する。
一方暑ければ動きたくないし、南のサバンナにはライオンなどの大型肉食獣がうようよいる。食い物なんか、いざとなれば木の実だけでもなんとかなる。彼らは、動きたがらない種だったのだ。
アフリカには、長身で屈強なマサイ族もいれば、小人のようなピグミー族もいる。アフリカのホモ・サピエンスは、それくらい生まれ育った土地を離れようとしないし、それくらい他の種族を滅ぼしてしまうということもしない。ピグミーよりもはるかに屈強なネアンデルタールの土地に乗り込んでいって追い出してしまうなんて、彼らにはそんな度胸も能力もなかったのです。
4万年前のアフリカのホモ・サピエンスには、大きな集団をつくって旅をしたり戦いや狩をしたりする能力はなかった。集団をつくれないのは、アフリカの伝統です。だから、ヨーロッパ人の奴隷狩りの対象にされてしまった。
それに対してネアンデルタールは、何十人ものチームプレーでマンモスを倒すという狩をしていた。チームプレーとファイティングスピリットは、ネアンデルタールいらいのヨーロッパの伝統です。
最初にヨーロッパの地にたどり着いたアフリカのホモ・サピエンスは、おそらく数千年前に奴隷として連れてこられた人々だったのだろうと思います。
つまり現代のヨーロッパ人の姿かたちや行動様式は、ネアンデルタールがハイブリッド化しただけの結果であり、それはもう、考古学でも遺伝子学でもそう解釈してできないわけではないのです。
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ヨーロッパ女のヒステリーのことを考えるのに、ずいぶん遠回りしてしまいました。
人類が極寒の北ヨーロッパに住みついたのが約50万年前。そのあいだ世界は数万年ごとに氷河期を迎え、最後の氷河期が明けたのは、1万3千年前だった。
氷河期のヨーロッパでは、乳幼児の死亡率がとても高かった。北のほうでは、おそらく半数も生き残れなかった。
だから女たちは、子供を産みつづけねばならなかった。また、寒いから、男と女はいつも抱き合って寝ていた。
ネアンデルタールの女は、その30数年の生涯に、平均7、8人の子供を産んでいたそうだが、北ヨーロッパに住み着いた当初の数十年前は、産んだ子のひとりも育てきることができない場合もあったでしょう。原始人にとっては、それくらい苛酷な環境だった。(ネオテニーの体質であるアフリカのホモ・サピエンスの赤ん坊が生き延びられるところではなかったのです)。
彼らの群れでは子供の死は日常茶飯事で、女たちの悲しみは深く、しだいにヒステリックな傾向を募らせてゆくほかなかった。
ヨーロッパ女の「フェラチオ」は、彼女らのヒステリックな衝動を発散させる行為として生まれてきたのだろうと思えます。また男たちは、そんな女たちの「狂気」を持て余しながら、「レディファースト」の態度を身につけていったのでしょう。
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考古学の発掘結果によれば、ネアンデルタールの「埋葬」の習慣は、北ヨーロッパに住み始めた数十万年前からすでに始まっていたと考えられます。
死体を、洞窟の中に埋める習慣です。
アフリカのホモ・サピエンスは家族単位の移動生活をしていたから、死体は置き去りにすればいいだけだった。それに死体は腐臭を放ってくるから、連れて歩いているとハイエナなどの肉食獣にすぐ嗅ぎつけられてしまう。
それに対してネアンデルタールは洞窟などを棲家として定住生活をしていたから、処理しなければならなかった。数十万年前はヨーロッパにもハイエナやらイオンなどがいたらしいから、処理しなければ、つねに洞窟のまわりを肉食獣がうろつくことになってしまう。
死体を洞窟に残しておくと、必ず肉食獣の襲撃に遭う。
だから最初は、遠くに捨てに行ったのでしょう。そうして崖の下に投げ込むとか、川に流すとか、そんなことをしていたのかもしれない。
彼らは、死体を洞窟の中に残しておくことをしたくなかった。残しておくのは危険だった。にもかかわらず、洞窟の中で処理することをおぼえていった。
それはたぶん、女が泣き喚いたりして死んだ子を手から離そうとしなかったからだろうと思えます。たぶん、そういう女のヒステリーから「埋葬」が生まれてきた。
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内田氏が言うには、人類の埋葬(葬送儀礼)は死者とのコミュニケーションをとる行為として始まったのだとか。人間だけが死者とコミュニケートできる。その能力によって人間は猿から別れたのだそうです。
頭の薄っぺらなやつが何をくだらないこと言ってやがる。
人類史を700万年とすれば、その650万年間は、埋葬なんかしなかったのですよ。それでも、直立二足歩行するかぎり、人間は人間だった。
古代において、死者とコミュニケーションをとる能力は神だけにあった(たとえば、イザナギイザナミの神話)。あるいはイタコとか巫女とか、神につかえる者だけがその能力を授かった。それは、普通のものがその能力を持つことの不可能性を自覚していたことを意味する。
古代において死者とコミュニケートすることは、ひとつの病理だった。「狐つき」とか悪霊に悩まされて気が狂うとか、そんなような事態です。
それがなにか幸福な体験であるかのようにイメージされるようになってきたのは、近世以降のことです。近代人の意識はもう、死を死として受け入れることができなくなっている。だから、死者とコミュニケートすることが幸福な体験であるかのような「物語」に書き換えようとする。
われわれの意識は、もはや「死」に憑依してしまっている。もはや「葬送儀礼」によっても、死を死(=無)として受け入れることができなくなってしまった。「死者とコミュニケートする」ということはほんらいひとつの病理であり、コミュニケートできない他界に去ってしまったということを納得するために「葬送儀礼」をはじめたのだ。
内田氏の言い方だと、死者とコミュニケートできることが何かめでたいことみたいじゃないですか。「ひとりでは生きられないのも芸のうち」を読んでみればいい。はっきりとそう書いてある。それこそが人間性の基礎である、と。
ようするに内田氏は、そうやって他人の気持だろうと死のことだろうとわかったつもりになるみずからのスケベ根性(あるいはそのえげつない権力欲)を正当化するために、そんな解釈(あるいは分析)をでっち上げているだけなのです。
しかしそれこそがまさに「近代」の病理であり、強迫観念にほかならないのです。
人の死がめでたいことだったら、誰が埋葬なんかするものか。もはやコミュニケートできないことを嘆き、その嘆きを癒すために「葬送儀礼」をはじめたのだ。
コミュニケートできない「嘆き」を深くしたことによって、人間は猿から別れたのだ。われわれにできることは、死者とコミュニケートすることじゃない。死者のことを思うことだけです。そこのところの違いは、内田さん、あなたのような思い上がったナルシストにはわかるまい。死んでしまった我が子を抱きかかえて泣き喚くネアンデルタールの女の狂気と紙一重の「嘆き」を思えば、僕はもう、あなたなんか薄汚いゲス野郎だと言うしかないのですよ。
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死者とコミュニケートするくらい猿でもできるのです。
からしたら、死者はただ眠っているだけの存在でしょう。だから、母猿はいつまでも死んだ我が子を離そうとしないし、チンパンジーのオスは、その子を奪って食べてしまったりするそうです。
そうしないと母猿の発情が復活しないからです。というか、チンパンジーにとって「死体」という概念がないから、食べて消してしまうしかないのです。
これもまた、ひとつの「埋葬」でしょう。
死者とコミュニケートすることを断念するのが「埋葬=葬送儀礼」です。
死者とコミュニケートするとは、死者を死者と思っていないのと同じことです。したがって内田氏の言っていることは、猿の論理なのです。
猿は、死体を死体だと思っていないですよ。ただ、置き去りにしていけば、そのうちすっかり記憶から消えてしまう。だから、人間のような埋葬をする必要がない。一ヵ月後にそこに戻ってきて白骨化した死体を見ても、記憶がないから、それがあの猿だと認識することもない。
しかし人間は、あの人の変わり果てた姿だと認識することができる。そうして、もはやコミュニケートできないのだと悟る。
その人を死者だと認識したとき、もはやコミュニケートできないのだということと和解できない「嘆き」がわっと押し寄せてくる。そうして、泣いて泣いて泣きつかれ、土の下に埋めたときに、ようやくその事態を受け入れる。おそらくそれが、人間のプリミティブなかたちだったのでしょう。
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ネアンデルタールが最初に洞窟の土の下に埋めた死者は、おそらく母親が抱きかかえて離さない乳幼児だったのだろうと思えます。
いつまでも死んだ子供を抱いて悲嘆に暮れていたら、母親じしんの命も危なくなってくる。
もう洞窟の土の下に埋めてしまうしかなかった。それがいちばんあきらめることのできる方法だった。
死んだ子供と「コミュニケーション」するためではない。忘れるためです。その土の上で新しい子供を育てれば、しだいに忘れてゆく。遠くに埋めれば、かえっていつまでも気にかかる。同じ場所で同じことを繰り返してゆくことによって、つぎつぎに前のことが忘れられてゆく。
忘れてしまうためにこそ、洞窟の土の下に、やがて大人も、どんどん埋めていった。
大人も子供も死と隣り合わせで生きていた彼らは、死者を忘れることによってしか生きてゆくすべがなかった。
子供は、死んでも死んでも新しく生み続けていかなければならなかったし、いつも男と女が抱き合っていなければ凍え死んでしまう環境だった。
ネアンデルタールの平均寿命は30数年、彼らの居住区では、死は、日常茶飯の出来事だった。だからこそ、いつも泣き暮らしていたし、泣き果てて、つぎつぎ新しい生命を誕生させていった。死者はもういない、ということをいやでも思い知らされる生存状況だったのであれば、みずからもまた、やがていなくなる、と思い定めて生きていたにちがいない。
彼らにとって埋葬とは、死者を忘れるための行為だった。
このとき人類は、死者とコミュニケーションすることの「病理」を体験し、死者を忘れるための「葬送儀礼」を身につけていった。
現在では、映画や小説などで、死者とコミュニケーションをとる物語が氾濫している。とることができると思いたい病理、とることができると思えてくる病理。そうやって安らかに死ねると思っている観念制度がこの社会をどれほどゆがんだものにしているかというかことを、内田氏は気づいていない。
死者に対してそういうイメージを抱くほどにこの社会の「監視」しようとする欲望は肥大化してしまっているのだ、ということです。
死は「受容」するものではなく、自分たちの都合のいいようにイメージしてしまえるものか。そんな虫のいいことばかりいって何もかも解決できるつもりでいるその思考についてゆけるほど、僕はおりこうでもないし、すれてもいない。
そんなイメージをでっち上げてしまうほど現代人は死を怖がり、死を拒否しているのだ、と僕は思う。死さえも、この生のもうひとつのかたちだと思いたがっている。あるかないかわからない未来の時間を「ある」と決めてかかっている普段の暮らしのタッチそのままで、あるかどうかわからない死の世界も「ある」と決めてかかっている。そんな暮らしを繰り返していった果てに、認知症鬱病になるのだ。
天国をイメージしようとしまいと、古代人は、葬送儀礼によって「死者はもうここにはいない」と深く納得した。しかし現代人は、そういう観念のタッチを喪失している。
「正しい葬送儀礼」は、死者とのコミュニケーションの欲望を処理することにある。「死者はもうここにはいない」と思うことが困難になってしまったから、死者のことがあきらめきれなくなったから人類は葬送儀礼をはじめた。それだけのことです。
死体を死体として認識すること、すなわち死者とコミュニケートすることはもうできないと気づき、その「嘆き」を深くしたところからネアンデルタールの「埋葬」が生まれてきた。
ヨーロッパの女のヒステリーは、たぶんそこから始まっている。
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