感想・2018年8月31日

<終わらない戦後>
日本人は、反省するのが下手な民族である。
反省はしないが、腹を切る。そうやって許してもらうのではなく、水に流してもらう。忘れてもらう。
反省しない文化。もともと「神の裁き」というものがない土地柄だから、善とか悪ということがよくわからない。誰も裁かないし、その代わり自分も反省しない。まあこのことのいい面も不都合な面もあるわけだが、近ごろは「ひどい世の中になってしまったものだなあ」という感想を抱く人も多い。政治家も資本家も官僚も、どんな不祥事をやらかそうとまるで反省していないし、法に違反しなければ何をしてもいいと思っているらしいし、民衆だって同じなのだろう。
この国は善か悪かという問題などなく、恥ずかしいかどうかとか、美しいか醜いかとか、きれいか汚れているか、というような問題があるだけだろう。そういう国なのに、善か悪かと裁こうとするから、そういうことになってしまう。この国に絶対的な神なんかいないのだから、もともとあいまいなものでしかない「法律」に違反するかどうかだけになってしまう。
もともと善か悪かということなど何もわかっていない民族が、世界のまねをして善か悪かで裁こうとしながら、「恥ずかしい」も「醜い」も「きれい」も「汚れている」も見えなくなってしまっている。
権力者が徹底的な悪だくみで選挙に勝ったり弱いものいじめの無理難題の政策を押し通してしまったり、しかもそれを支持する一部の民衆がいる。
勝者であることが正義だ、と彼らは信じている。それはまあそうなのだが、この国の伝統においては正義なんかどうでもいいし、民衆の歴史においては、たとえば菅原道真とか平将門とか、勝者よりもむしろ敗者のほうを神社に祀り上げたりしてきたのに、今どきは「伝統とは何か」ということを見失っている。
おまえらそんなにも政治や伝統が好きなのなら、敗者のために死を賭して戦えよ、といいたくなってしまう。勝者=権力者の支配を甘んじて受けても、勝者=権力者と同じ思想は持たないのがこの国の民衆の伝統なのだ。
何が正義かということを振りかざして権力者や資本家や官僚と同じ思考になってしまうなんて、この国の民衆の伝統においては、とても恥ずかしく醜いことなのだ。


「神の裁き」を持っている西洋においては、反省して許しを乞い、そして生き延びる、というのが神との関係であり、戦後の敗戦国ドイツはそういう姿勢を貫いたが、この国はどうしても「反省して許しを乞う」ということがいまだにできていない。だから、いつまでたっても「戦後」が終わらない。
この国の伝統においては「生き延びる」ことなんか願わない。滅びることを覚悟しつつそこから生きはじめるのがこの国の伝統で、終戦直後はそのようにして「憲法第九条」を掲げて歩みはじめたはずだったが、ここにきてその伝統をすっかり忘れて正義かぶれした右翼が雲霞のごとく繁殖してきた。その捏造した薄っぺらな正義によって、自分たちが生き延びるためなら相手を罠にはめて貶めてもかまわない、というそのいじましく恥知らずな態度はいったい何なのか。ヘイトスピーチという、西洋人も顔をしかめるような薄汚い正義。反省しない日本人の本性が最悪のかたちで露出し、ますます戦後の総括ができなくなってしまっている。
反省しろというのではない。日本人なのだから、反省なんかできるはずもないし、する必要もない。ただ、日本人であることを自覚するなら、ちゃんと腹を切らねばならない。それはつまり、大日本帝国は滅んだという事実をしんそこから受け止め、その喪失感を抱きすくめながら生きはじめる、ということだ。
腹を切るとは、「世界の終わり」を抱きすくめるということ。まあ日本列島の男たちは、そういうことを女から学びながら歴史を歩んできた。もともと女はそのようにして生きている存在であり、だから「女三界に家なし」という。
敗戦のあのとき……廃墟の都市に登場してきた「パンパン」と呼ばれる娼婦たちは、嵐の海に決然と身をひるがえして飛び込んでいったオトタチバナヒメの化身だったのであり、彼女らこそこの国の伝統のもっとも正統的な継承者としてのまさしく戦後の女神だった。あのとき日本人は、その喪失感というかなしみを共有しながら戦後の歴史を歩みはじめた。
「神の裁き」を知らない日本人は、生き延びるための正義なんか信じない。「世界の終わり」の喪失感を抱きすくめながら「今ここ」を生きはじめる。「世界の終わり=人類滅亡」ほどめでたいことはない、というのが日本列島の伝統であり、心はそこから華やぎときめいてゆく。


あのころ、美空ひばりの「私は街の子」という歌が流行っていた。「街の子」という「パンパン」の、そのかなしみを歌っている歌。「私は夜になると街に出て赤い花びらをハラハラと散らせる」……それを、そのころまだ少女だった美空ひばりに歌わせることは、その反社会的な側面をカモフラージュするとともに、その「かなしみ」をいっそう際立たせることでもあった。日本列島の芸能は、「思春期の少女=処女」を祀り上げるかたちではじまり洗練発達してきた。まあそれは、「五木の子守歌」とか「島原の子守歌」のような、子守娘の子守唄のような響きがあった。子守娘は、昼間は飯炊きや子守としてこき使われ、夜になれば男たちの慰みものにされる日々……それらの子守唄は、そういうかなしみを歌っている。
「巫女」と「娼婦」と「子守娘」の伝統。彼女らはこの島国の共同体の「生贄」であると同時に「女神」でもあった。
生贄は避けがたく「世界の終わり」に立たされ、女神はそこで微笑んでいる。