感想・2018年8月26日

<空想の左翼>
2016年は、『シン・ゴジラ』と『君の名は。』が大ヒットした年だった。
この二つはひとまず「3・11の大震災を総括した映画」としてひとくくりに評価されたのだが、その思想というか物語性において対照的な面を持っている。
シン・ゴジラ』は平和な現実の中であるはずのない災害を空想する物語で、一方『君の名は。』は、じっさいに起きたはずの災害をタイムスリップという手品=詐欺でなかったことにしてしまう物語。
前者は平和の中で死を思い、後者は「生命賛歌」の名のもとに「死などあってはならない」「死は穢れである」という権力社会の思想と結託している。
新海誠はきっと、年をとれば右翼的になってゆき、宮崎駿のような左翼にはならないのだろう。新海誠は権力が嫌いではないし、権力を利用するのがうまい。あくまで現実の世界にとどまり、現実の世界をトレースしてゆくのが天才的にうまい。それに対して宮崎駿のイメージはひたすら現実の外の世界に飛躍していってしまう。宮崎駿のほうがずっと子供っぽいし、新海誠には宮崎駿のような魅力的な少女を描く才能はない。なぜなら少女とは、現実の外の世界に飛躍していってしまう存在だから。
左翼なんてただの空想だといえばまあその通りであるが、人々が空想を共有できなくなったら世も末である。
タイムスリップの物語は、空想ではない。それは、現実の世界と駆け引きをするきわめて現実的な思考であり、権力社会が提出してくる詐欺の手口をそのままトレースしているだけなのだ。