感想・2018年8月14日

<背理的>
「背理的、あるいは人類滅亡論的批評宣言」……というタイトルの文章が書きたいと思っています。
まだ書いていないし、これから書くことがあるかどうかもわかりません。
ただなんとなく、そう思っているだけです。
でも、僕が考えること書くことはすべてこのことが基礎になっており、このことで語れることを語りたい。
人は「世界の終わり」から生きはじめる、心はそこから華やぎときめいてゆく、ということ。
世の中の道理なんてくそくらえだし、人類滅亡ほどめでたいこともないと思う。
10年前のこのブログをはじめるとき、「ネアンデルタール人は滅んだ、だなんてくだらない屁理屈で、そんなことを大きな顔をしていっている学者なんか、どいつもこいつもアホじゃないかと思う」と書きたかったのだが、書いたら炎上してしまうのではないかとびくびくしていました。
しかし世の中の現実として、こんな弱小ブログを相手にする人なんかめったにいない、という当たり前のことがだんだんわかってきました。
内田樹批判を一年くらい毎日のようにしていたころは、ときどき内田ファンから難癖をつけられたが、こちらも勉強になるような本格的な反論をいただいたことは、けっきょく一度もなかった。
床屋政談レベルのアマチュアのプチインテリを相手に議論をしてもしょうがない。
少なくともネアンデルタール人のことをはじめとする古人類学に関してなら、できれば世界を相手にしたいし、世界の常識・定説をひっくり返したい。
あなたたちの定説・正論は僕の「トンデモ説=背理」を粉砕してみせることができるか?できるものならやってみせてくれよ……そんな思いをずっと引きずりながらこのブログを書いています。