感想・2018年7月16日

<人類滅亡は不幸ですか?>


やっぱり、プライベートなことは、あまり書きたいとは思わない。
書きたいほどのことなんかないし、しかし書くこと自体が自分をさらけ出すことだということも承知しているつもりです。
誰だって、何かを書きたいという衝動は持っているし、それは誰もが自分を見せびらかしたいと思っているというのではない。
人が「自分=私」という自意識を持っていることは、それなりに猿にはない豊かな心のはたらきになっていることではあるが、同時にとてもしんどいことでもある。
生きることだけでなく、死についてもあれこれ思いめぐらせねばならなくなるし、いたずらに生を称揚してばかりもいられなくなる。
「自分をさらけ出す」ということ。それは、「自分=私」という意識を外に投げ出すということであり、それによって「自分=私」という意識が安定する、という逆説も成り立つ。
人は、「自分=生命」に執着してゆくことによって、かえって命や心のはたらきを停滞させ、生きていられなくなってしまったりすることもある。
自分をさらけ出す、すなわち自分を外に投げ出すことを「嘆く」という。やまとことばのそれは、そういう感慨の表出の言葉として生まれてきた。
人間なんか、生きてあること自体が恥だと思う。
誰かがこういっていた。人にとってもっともめでたいことは「人類滅亡」にある、と。
僕もそう思う。まあそんなめでたいことがそうかんたんには起こるとも思えないし、人の心も命のはたらきも、人類滅亡を夢見ながら華やぎ活性化してゆく。