感想・2018年7月3日

     <女子高生はこの社会の生贄である>

近ごろは女子高生のことを「JK」といったりするらしい。
世間はまだ女子高生に関心があるのだろうか。
なんのかのといっても彼女らは、この社会のもっともラディカル(過激で本質的)な存在である。
世間で女子高生に対する関心が一躍高まったのは80年代バブル景気のころで、「援助交際」という言葉が流行った。
あぶく銭をしこたま抱え込んだ大人たちが急増し、彼らの趣味は、それまでの東南アジア買春ツアーから、国内の女子高生に対する関心へとシフトしていった。
女子高生たちもまた、そのころ急激に処女率が低下してきていたし、海外ブランドの高価な商品が売れまくるなどの世の消費景気に煽られていた。
都会では、ルイ・ヴィトンのバッグを持っている女子高生などいくらでもいたし、処女でも援助交際を始める娘もいた。
そもそも女子高生とは何者か?
そのころ女子高生の援助交際にいち早く目をつけ研究していた社会学者が宮台真司で、彼だって社会状況を探るという以前に女子高生そのものに興味があったのだろう。そうして多くの女子高生とセックスをしたと暗に語っているのだが、だからといって彼が女子高生の本質をよくわかっているかどうかということはあやしいし、その研究によってそのころの社会状況がどれだけ正確に分析されたのかもよくわからない。
だって、そうはいっても統計的には援助交際をしない女子高生のほうが多かったわけだし、援助交際をしない大人だって多数派だったのはとうぜんだ。
多くの社会学者は、社会の表面的な現象を分析しているだけで、「社会とは何か」という問題に対する志向はわりと薄っぺらであることが多い。まあそれは、思想の領域であって、社会学においては適当に知ったかぶりしておけばよい、という程度の事柄かもしれない。
いや僕は宮台真司の本など読んだことがないか彼個人を批判しているわけではないのだが、YOUTUBEではたくさん彼の出演番組を目にしているから、それなりの感想はある。

じつはそのころ僕も、ちょっとだけ援助交際している娘と付き合ったことがある。僕が援助交際をしたのではない。手をつないだことくらいはあったが、それなりに清い交際だった。僕は、彼女を「処女」として扱った。一風変わった都会の美少女だったが、話をすればまあ普通の女子高生より知的で清純だった。彼女の場合は母子家庭で、自分が学費も生活費も稼がねばならなかった。
しかし、この年ごろの少女が身売りすることなんか江戸時代の昔からいくらでもあったし、理由がヴィトンのバッグを買うためでも本質的にはたいして変わりはない。ある意味、新しい習俗だともいえない。
それにしても、彼女らのその思い切りの良さは、いったいなんだろう。
彼女らは成長してゆくみずからの身体に対する鬱陶しさを切実に抱えており、誰の中にも多かれ少なかれ自傷行為の衝動が潜んでいる。いつの時代も思春期の少女は、この社会の「生贄」なのだし、だからこそ神聖な存在でもある。
思春期の少女は、みなジャンヌ・ダルクだ。そうやって男たちは彼女らに憧れるわけで、その傾向はもう人類の歴史がはじまって以来ずっとそうなのではないかと思える。
そりゃあ金を出す男たちは、当然の権利だとばかりに偉そうに振る舞うだろうが、心の底ではその存在に神聖なものを見ている。
僕にとって思春期の少女は、たとえセックスの経験があろうとなかろうと、すべて「処女」だと思って眺めているし、「女神」だと思っているし、この社会の「生贄」だと思っている。だから、電車の座席でも女子高生の隣には怖くて座れない。そしてこれは、僕の個人的なメンタリティではない。日本列島の歴史そのものが、そうやって「思春期の少女=処女」を祀り上げてきたのだ。
それに日本列島には娼婦を「女神=菩薩」として祀り上げる伝統があるし、宗教の戒律に縛られてもいないから、もともと援助交際のメンタル的なハードルはあまり高くない。だから、その体験によって彼女らの心に残した傷もそう深くはないのかもしれないし、そこから日本人の性意識が変わったということもないのだろう。