感想・2018年6月29日

<これでいいじゃないか>


ついでにもうひとつワールドカップサッカーの話。
日本対ポーランド戦、多くの人が最低の試合だったと評していた。
一点差で負けておけば決勝トーナメントに出られるということで、攻めることをやめてずっと自陣でボールを回し続けた。2連敗しているポーランドにしても、ひとつでも勝っておけばなんとか無事に国に帰ることができる、ということで、あえてそのボール回しを邪魔しに行かなかった。
イギリスの新聞がいうように、まったくの茶番劇。
見るんじゃなかった。見たくないものを見てしまった気分。
とりあえず決勝トーナメントに進出したのだからめでたい、と喜んでいるファンもいるらしいが、いったいどんな心理がはたらいているのだろうか。
決勝トーナメントに進む名誉が大切だと思うのか、少しでも長くお祭り気分を味わいたいのか。
負けてもいいから人が感動するような試合をしてくれ、とは思わないのだろうか。
幸せか不幸か、人生の勝ち組か負け組か、そういうことが問われる世の中で、多くの人がすでに「感動する」という心を失っているのだろうか。
リア充志向の世の中で、監督も選手もファンも、それを共有しているのだろうか。自分ファースト、日本ファースト。
世界中から幻滅されても、そのほうがいいのだろうか。
日本国内にだって「嫌なものを見せられた」という気分になった人は少なからずいたに違いないのだが。
侍ジャパン」などといいながら、それが大和魂かよ、ということをする。
オタクというのはリア充志向だ、と誰かがいっていたが、日本列島全体がオタク化しているのだろうか。
人の心は、負荷をかけることによって華やぎ活性化してゆく。オタクとは、心に負荷をかけることをしたくない人たちのこと。
福島原発事故のとき、放射能で大騒ぎしたあげくに風評被害を拡大させたり福島から移住してきた人たちを不当に差別したりしたのは、自分の心に負荷をかけたくなかったからでしょう。彼らは、そんなことが正義だと思っている。
東裕紀とオタク評論で有名な岡田斗志夫が福島の原発事故のことで対談していて、事故現場をモニュメントとして残しておいた方がいいという東に対して岡田は、広島原爆ドームのようなモニュメントなんかいらない、と語っていました。心に負荷をかけるものを一切排除しようとするのが、彼らの生きる流儀らしい。
そうやって世界は、のっぺりしたものになってゆく。
でも、のっぺりした世界のリア充がいやで逃げ出したり大騒ぎしたりするのが人のつねで、そうやって人類の歴史に「祭り」というものが生まれてきたのであり、まあ「負けてもいいから死ぬ気で戦ってこい」というファンだっているはずです。
とはいえ現在は、世の中がオタク化しているから世の中は変わらないし、安倍独裁も官僚支配も続く、ということでしょうか。
これでいいじゃないか、大人になりなさいよ……と彼らはいう。