「異形」の恍惚・初音ミクの日本文化論(5)

で、バブル崩壊後の街の風俗として最初に登場してきた「かわいい」の文化の発信者は、「ヤマンバ(ガングロ)ギャル」たちだった。まあ「キモカワ」というジャンルになるのだろうが、彼女らこそ、現在の「かわいい」の文化のパイオニアだった。
それはまさしく、「非日常=異次元」の世界に超出してゆくファッションだった。
ウィキペディアには、次のように記されています。

「ガングロ・ファッション」には、濃い褐色の顔に髪はオレンジからブロンド、「ハイ・ブリーチ」として知られるシルバー・グレーに染める組み合わせが用いられる。黒いインクをアイライナーとして、白のコンシーラーを口紅やアイシャドーとして用いる。つけまつげやメイク用のラインストーン、パールパウダーなどがしばしばこれに加わる。厚底靴を履き、鮮やかな色の服を着れば、完璧なガングロ・ルックとなる。また典型的なガングロ・ファッションとして、ほかに絞り染めのサロンや、ミニスカート、顔のシール、ネックレスや指輪、大量のブレスレットなどがある。
ガングロは若い女性をグループ分けするのに用いられるスラングの一つで、通常は二十歳前後の若い女性を指す「ギャル(gal)」というサブカルチャーの概念の中に分類される。尚、日本文化の研究者の一部ではガングロが伝統的な日本社会に対する復讐の一形態と考えている。その研究者達の主張では、日本文化に根ざした無視や社会的な孤立、日本社会自体の制約といったものに起因する憤慨の現れであり、彼女たちの個性や自己表現によって学校の基準や規則に対して公然と反抗しようという試みだという。


それは、良くも悪くも、まさに画期的なファッション・ムーブメントだった。その姿が「かわいい」かどうかということは異論もあろうが、とにかく現在の「かわいい」のファッションはすべて、このバリエーションか発展型になっているのではないでしょうか。
まあ、「ヤマンバ・ファッション」などとも呼ばれ、既成の「美の規範」から外れたグロテスクともいえる「異形」の外見だったし、おおむね落ちこぼれの女子たちに支持されていたから、一部の研究者から「反抗」だとか「復讐」というようにとらえられていたが、彼女ら自身にそんな意識はまるでなかった。ただそういうコミュニティをつくっていただけであり、それが現在の「かわいい」のファッションに昇華されているということは、今になってようやくそれが新しい「美」のムーブメントだったことが証明された、ということを意味している。
彼女らの登場が、現在のアニメやマンガが大きく「異形」へと展開してゆくことが可能になっていることの契機になった。同じころに一世を風靡した「セーラームーン」のあのありえないほどに大げさなツインテールの髪型だって、「ヤマンバ(ガングロ)ファッション」の「異形」と呼応している。どちらが先かわからないが、とにかくあのころにはそういうムーブメントがあったのです。
社会の基準から逸脱してゆくファッション、仮装、まあ、「コスプレ・ファッション」のさきがけだった、ともいえる。
まさに「キモカワ」、彼女ら自身は素直に他愛なくその「異形」のファッションを「かわいい」と思っていたし、じつは日本列島の伝統にかなっているものでもあった。
たとえば中世には「歌舞伎」という異形の芸能が生まれてきたのだし、安土桃山時代には「ひょうけ」という異端の美意識が流行した。「ひょうきん」の語源だろうか。そして「キモカワ」というなら、縄文時代の「土偶」がまさにそういうコンセプトだったし、日本列島には「異端者」や「無用者」によってリードされる「非日常=異次元」の文化の伝統がある。
まあこれは、日本列島では政治や宗教とは無縁のもうひとつのムーブメントがつねに起きていたということであり、そういう歴史の流れから現在のこの国に「かわいい」の文化が登場し、世界の市場での固有性を保って迎えられている。
思春期の少女たちは、この生の日常から超出してゆこうとする衝動がことに強い。そこから「かわいい」の文化が生まれてくるわけで、それはもう世界中の少女の普遍的な傾向にちがいない。
「ガングロ」とか「やまんば」といっても、たまたま起きてきたできそこないの一過性のムーブメントだったのではない。彼女らこそ、この国の伝統ともっとも深く通底しているものたちだったのであり、ある意味ではきわめて高度な美意識の表現だったのです。
ほんとにすごいと思う。彼女らこそ現在まで続く「かわいい」の文化の先駆者だったのであり、そのムーブメントは、伝統的で、しかも革命的だった。彼女らは、ただもう他愛なくそのファッションにときめき熱中していただけだったが、それでいて日本人の「進取の気性」の伝統をもっとも深く身体化しているものたちだった。
彼女らは、バブルがはじけた時代の「喪失感」を生きはじめ、「ヤマンバ(ガングロ)ファッション」を生み出していった。

まあ、彼女らにそういう自覚はなくても、その浮世離れした美意識は、無意識的な「反抗」であり「復讐」だったともいえるのかもしれない。古代の仏教伝来に対して神道が生まれてきたことだってまあそういうムーブメントだったわけだし、日本列島の歴史においては、つねに「異端=非日常=異次元」の文化が生まれてきた。
そしてそれは、日本列島固有の地域性であると同時に、人間性の自然・本質の問題でもある。この生のいとなみや意識のはたらきの自然・本質は、「この生=存在=日常」から「非日常=非存在=異次元」の世界に超出してゆくことにある。
われわれの意識のはたらきが脳の外側のどこか異次元の空間で起きているように、90年代のコギャルたちは敢然と「ヤマンバ(ガングロ)・ファッション」という異端の世界へと超出していった。
神の規範に縛られているユダヤ・キリスト・イスラム教徒や徹底的に現実主義的な精神風土の中国人にはこの「異次元の世界への超出」という離れ業はなかなかできないし、それでもそれが彼らを魅了しているのは、この離れ業こそ人間性の自然・本質であるからでしょう。
単純な言い方をすれば、「かわいい」の文化の本質は、「浮世離れしている」ということにある。
日本列島の民衆社会においては、浮世は「憂き世」であり、「浮世離れしている」ことこそ本流なのです。

彼女らはなぜ「ガングロ」にこだわったのでしょう。それは、「反抗」とか「復讐」などというステレオタイプな分析だけで片付けてしまうべきではない。そこにはきっと、みずからをこの社会の「異物」であると自覚しつつ、この社会から「消えてしまいたい」という嘆きの衝動がはたらいている。
この国の神道では、死んだら何もない真っ暗闇の「黄泉の国」に行く、という。それは、「死後の世界などない」といっているのと同じで、キリスト教や仏教が死後の世界として「天国」や「極楽浄土」を思い描いているのとは対極の思考です。
つまり、死んでゆくことは「今ここ」の「非存在=異次元」の世界に向かってきれいさっぱりと消えてゆくことだ、という世界観です。日本人は、そうやって「みそぎ」を果たしながら生き、そうして死んでゆくという作法で歴史を歩んできたのです。
「ガングロ」は「黄泉の国」の表象です。
そしてその黒い顔の眼の縁には、白や銀色に光るアイシャドウが大げさに塗られており、髪も金色に染めたりしていた。「黄泉の国」の住人である彼女らには、「きらきら光るもの」に対する切実な愛着・憧れがあった。
このメイク技術も、彼女らの革命のひとつだった。「きらきら光るもの」は、背景としての舞台が闇のように黒い方がより鮮やかに際立つ。その思い切りの良さというか、そうやって顔を黒くせずにいられないほど「きらきら光るもの」に対する愛着・憧れが切実だったのであり、それは現在の「かわいい」のファッションにちゃんと引き継がれている。
人はなぜ「きらきら光るもの」が好きなのか。これもまあ人類史の大問題のひとつで、人類史の最初の貨幣は貝殻などの「きらきら光るもの」だった。
2万年前の氷河期の北ヨーロッパの人類は、死者の埋葬に際して大量のきらきら光るビーズの玉を添えていた。
「きらきら光る」ことは、物質の表面で起きている「非存在」のたんなる現象であって、物質それ自体の正味ではない。「きらきら光るもの」に対する愛着・憧れは、「非存在」に対する愛着・憧れなのです。
「非存在の尊厳」、そういう愛着・憧れを込めて原始人は死者に「きらきら光るもの」を捧げた。そしてこれが、人類史における「貨幣の起源」の体験になった。
つまりガングロ・ギャルたちはそういう歴史の起源・普遍に遡行していったのだし、彼女らのその「非存在の尊厳」に対する切実な愛着・憧れは、「消えてしまいたい」という衝動でもあったわけで、そこにこそ真に人を生かしている人間性の自然がある。つまりそこにこそ世間の凡庸なインテリたちの正義・正論などには及びもつかない深く高度なガングロ・ギャル特有の「倫理」があったわけで、彼女らは、人類史の起源に遡行し、人類史の究極に憧れた。
ガングロ・ギャルたちは、この社会の「異物」であることのかなしみとともに「非存在の尊厳」を発見した。おそらくそれは、民主主義とは何かと問い続ける現代社会において革命的な発見だった。彼女らは、この世界には宗教者や支配者やインテリたちが語る「正義・正論」よりももっと高度な「倫理=人間性の真実」があるということを発見した。まあそこを起点にして現在の「非存在の女神」である「初音ミク」の登場というムーブメントが起きてきたわけで、それが世界中に広がっていることは、ガングロ・ギャルのその発見が革命的であったことの証明になっているのではないでしょうか。
人類はいつか、この世界を支配していじくりまわそうとする偏執狂たちを退却させることができるだろうか。