喪失感の行く末・初音ミクの日本文化論(4)

人は「世界の終わり」から生きはじめる。この生は、そこから活性化してゆく。
この国の戦後の歴史はまさにそのようにしてはじまったわけだが、そこからめざましい復興を遂げていった。ドイツだって同じで、「世界の終わり」を体験することは、ある意味アドバンテージでもあるともいえる。
広島・長崎に原爆を落とされたりした太平洋戦争の無惨な敗戦はまさに「世界の終わり」の体験であり、であればそのときすでに「かわいいの文化」の萌芽があったのかもしれない。
この生は、「世界の終わり」から活性化してゆく。そのとき人々は無惨な敗戦に打ちひしがれていたのだけれど、それでもというか、そういう絶望があったからこそ、そこから人々が他愛なくときめき合い助け合うムーブメントがダイナミックに起きていった。
みんな貧乏だったから、貧乏人どうしがあたりまえのように助け合っていった。少なくとも民衆の社会には、階級というようなものはほとんどなかった。それは、今どきの強いものが弱いものを助けるボランティアとか慈善というようなものよりもずっとダイナミックだった。
そのころ、一般の女が「パンパン」とか「オンリー」という街娼になることが珍しくなかった。それは階級意識が薄い混沌とした社会の構造になっていたからであり、そういうことが許される状況があったからだし、もともと日本列島は娼婦に寛容な伝統があり、中世には白拍子という高級娼婦が権力社会でももてはやされていたし、江戸時代の吉原の花魁などは女神のような存在に祀り上げられていた。
戦後のその社会においても、疲れ果てて母国に帰ってきた独身の兵士にとって「パンパン」は、まさに女神のような存在だった。彼らは、疲れ果てていると同時に、あの地獄のような戦闘の記憶によるPTSD で心が荒んでもいた。彼らは、衣食のための金を切り詰めてでも娼婦を買った。彼女らがいなければ、戦後の都市は、もっと混乱したものになっていたに違いないし、彼女らがいたからいったん故郷に帰った兵士もすぐに都市にやってきたりした。そうやって都市にどんどん人が集まり、戦後復興がはじまった。
もちろんそれは彼女らだけの手柄ではなく、都市にはたくさんの娯楽が発生していたからです。そのころの都市は、農村よりもはるかに食料に困窮していたし、治安だってけっしてよくはなかったのに、それでもどんどん人が集まってくるということが起きていったのです。
つまり戦後復興の契機は、生き延びるための政治経済の問題にあったのではなく、娯楽文化とともに、「もう死んでもいい」という勢いで未来のことなど忘れ、「今ここ」において人と人が他愛なくときめき合い助け合ってゆくムーブメントにあったのです。
戦争直後の人々の心を癒し励ました「女神」は、映画の世界では「青い山脈」の原節子で、彼女は「永遠の処女」といわれていた。そして歌謡曲の世界では美空ひばりだった。
中国や韓国の戦後は、そういう「女神」があらわれなかったから、復興が遅れた。彼らは、復興という旗印のもとに国家権力が民衆を縛ることばかりして、かえって復興できなかった。まあ中国や韓国の場合は、植民地支配からの解放感とともに民衆の生き延びようとする欲望が暴走してしまう危険があったわけで、ひとまず国家権力による規制を厳しくする必要があった。それに、彼らには、生き延びようとする欲望をたぎらせてゆく文化の伝統があり、たぎらせないことには国を維持できない地政学的な歴史があった。
それに対してのほほんと孤立した島国の歴史を歩んできた日本人は、戦後においてもまず「癒し」を求めた。それがいちばん大事だった。そしてそれはきっと、現在の若者たちが置かれている状況とまったく別のものだとはいえないでしょう。現在だって「バブル経済(=戦後の高度経済成長)の崩壊」という「世界の終わり」の後の時代であり、若者たちはもう、バブルのときのような衣食住の充実など願わず、食うものはコンビニ弁当、着るものはユニクロでけっこう、といっているわけで、そういう状況と軌を一にするように「かわいいの文化」が生まれてきたのです。
というわけで、戦後の廃墟になった都会にあらわれた「パンパン」や「オンリー」は、戦地から帰った独身の兵士にとっては、「世界の終わり」の存在するはずのない幻のようなまさに「非存在の女神」だったのであり、「初音ミク」だったのかもしれない。

新しい文化潮流は、突然変異のようにいきなりあらわれてくるのではない。それがあらわれてくるための歴史の伝統があるし、時代の流れというのもある。
この国が太平洋戦争の無惨な敗戦を喫したのが70年前で、そこから「戦後」という時代を歩みはじめ、経済が成長してきた50年くらい前には「もはや戦後ではない」といわれるようになってきたのだが、その一方でいまだに「戦後の総括はまだ終わっていない」という議論もさかんになされています。
いったい戦後はいつ終わるのか。
もしかしたら戦後生まれである団塊世代がすっかり死に絶えないと「終わり」だとはいえないのかもしれない。まだまだ元気な団塊世代も少なからずいるのだし。
ともあれ団塊世代を中心とした1970年の全共闘運動の挫折も、ひとつの「世界の終わり」の体験だったのでしょうか。
戦後の若者たちの思想の主流は左翼思想にあったわけだが、じっさいの国の政治における自民党にいたる右翼的保守政党支配を倒すことはついにできなかった。
まあその政治運動の盛り上がりのことは、ここではひとまず問題ではない。
全学連から引き継いだ全共闘の政治運動は、1970年に彼らが強硬に反対していた日米安保条約の成立によってひとまず終止符が打たれ、そのあとの数年は「あさま山荘事件」などの無惨な内ゲバ騒ぎを繰り返しながらしだいに終息していった。
終息していったころに運動に関わっていたものたちの間で流行していたのは西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』という自殺願望の暗い歌だった。
彼らもまたやはり「世界の終わり」の「喪失感」を抱きすくめていった。まあ日本人はかんたんにはあきらめないでボロボロになるまで戦ってしまうから、敗北したあとの「喪失感」もひとしおになっていしまう、ということもあるのかもしれない。
そうして70年代のこのころ、「かわいい」の文化の芽生えがあった。
1976年にデビューした『ピンクレディー』というガールズポップデュオグループがいきなり歌謡曲シーンの頂点に躍り出てきたことは、ひとつの革命的事件だった。
思春期の少女の愛らしさはいつの時代もそれなりに価値であるが、それはあくまで芸能界の一ジャンルとして位置づけられ、そのコンセプトは大人たちも認める既成の「愛らしさ」が守られてきた。
しかし『ピンクレディー』は違っていた。彼女らは、彼女らよりも3年前にデビューした正統的愛らしさのガールズグループである『キャンディーズ』に対抗するように出てきたわけだが、その歌いながら激しく踊ったり露出度の高いきらきら光るセクシャルな衣装は、既成の愛らしさの基準を超えて挑発的で変則的だった。
もちろん大人たちは眉をひそめた。しかし、たちまち少女たちの圧倒的な支持を獲得してゆき、男たちも後追いしながら、2・3年はレコードセールスのトップを走り続けた。
まあ現在のような「変則カウンターカルチャー」としての「かわいい」の文化は、ここからはじまったともいえるのかもしれない。
そして、そんな時代の流れとともにマンガのレベルも急速に上がってきて、文学趣味の大学生にも支持されるようになってきた。つげ義春萩尾望都は多くの文学青年や文学少女のファンを獲得していたが、大人も当たり前のようにマンガ雑誌を購読するようになってきたのはこのころからだった。
テレビアニメも質量ともに大きく飛躍し、世界に輸出されるような名作がたくさん登場してきて、現在のアニメ界の巨匠である宮崎駿高畑勲がテレビの世界で活躍していた時代だった。「魔女っ子メグちゃん」「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「ど根性ガエル」「ゲゲゲの鬼太郎」「まんが日本昔話」「宇宙戦艦ヤマト」「マジンガーZ」「ドラえもん」「オバケのQ 太郎」等々、数え上げたらきりがない。
日本人が幼児化してきた、といわれたりしたが、それが「政治の季節の終焉」を象徴するムーブメントになっていた。そうしてこのあと高度経済成長がさらに加速してゆき、ついには80年代後半のブル景気の絶頂を迎えるわけだが、この間の音楽シーンでは、時流に乗って華やかでファッショナブルなJポップばかりになっていったかというとそうでもなく、カウンターカルチャーとしての嘆き節の演歌もちゃんと一定の支持を得ていた。
バブルの絶頂期は、石川さゆりの「天城越え」とか美空ひばりの「みだれ髪」など、演歌が最後のあだ花をくるおしく咲かせた時期でもあった。
日本列島の歴史はつねに「喪失感」とともにあったし、そこからつねにカウンターカルチャーが生まれてくるような社会構造になっている。

「かわいい」の文化は時代のカウンターカルチャーであり、「喪失感」が基礎になっている。日本列島の民衆は、この世を「憂き世」と嘆きつつ、みずからの存在が異次元の世界に向かって「消えてゆく」心地のカタルシスとともに、「小さいもの」や「非日常的なもの」を「かわいい」と愛でてきたのです。
現在においてカウンターカルチャーとしての「かわいい」の文化が花開いてきたということは、この国の社会は終戦直後の「喪失感」をいまだに引きずっている、ということかもしれない。
日本列島の文化の伝統そのものが、「喪失感」の上に成り立っている。
明治以降は、「脱亜入欧」の近代化のスローガンのもとに、ひたすら屋上屋を重ねる歴史を歩んで、まるで大陸の国家のように、他国との競争や闘争でひたすら欲望をたぎらせる歴史を歩んできた。アジアを見下しつつ、欧米に追いすがってゆく。その無防備でおっちょこちょいで飽くことない進取の気性も日本列島の伝統であり、「かわいい」の文化のひとつの性格です。
戦争に負けたら大いに反省しないといけないのに、それでもまだ他愛なくアメリカ文化や近代合理主義を追いかけていった。
日本列島には、「自分を見つめる」という「内省の文化」がない。あらかじめ「自分」を「喪失」しているのだから当然です。そうして「自分」の外の「世界の輝き」に他愛なくときめいてゆく。
韓国や中国の人たちが「日本人はあの戦争のことをちゃんと反省していない」と責めるのも、仕方のない部分はないわけではない。たしかにわれわれは、ちゃんと反省していない。われわれは反省する「自分」も他者を責める「自分」も持っていない。それが「水に流す」文化です。アジアの他国を侵略したことも、アメリカに原爆を落とされたことも、何もかもきれいさっぱりと忘れて「今ここ」の「世界の輝き」に他愛なくときめいてゆきたい。
われわれは、「反省」なんかしない。深く「喪失感」を抱きすくめてゆく。「許しを乞う」ことは卑しいことで、深く「喪失感」を抱きすくめながら「今ここ」に消えてゆこうとする。許しを乞うくらいなら腹を切れ、相手の許しなんか当てにするな、ということ。良くも悪くもそういう「みそぎ」の文化で歴史を歩んできた。
許すか許さないかは相手の勝手で、自分が乞うべきことではない。自分の成すべきことは、自分が「この世界のすべてを許す」存在なって消えてゆくこと。なにはともあれそれが「みそぎ」の文化です。そして「消えてゆく」ことは、そこから生きはじめる、ということでもある。このへんがちょっとややこしいところで、日本人どうしではわかり合えても、外国の人にわかってもらうことは難しい。
とにかくすべての人類が「戦争のない世界」を夢見ているのであれば、それは最初から「許し合っている」世界であって、「許しを乞う」ことではない。われわれは「許しを乞う」ことのない世界を夢見ている。「許しを乞う」のを認めることは、「戦争をする」のを認めることでもある。
まあ現実問題として、「許しを乞う」のは「反省していない」ことであったりする。「ごめんですむなら警察はいらない」と日本人はいう。「許しを乞う」ことはしない、しかしどんな理不尽な裁きも甘んじて受ける、腹を切ることも厭わない……因果なことにこの国にはそういう伝統がある。

「かわいい」とは「世界の輝き」のことであり、「他愛なくときめく」ことです。そして「世界の輝きに他愛なくときめいてゆく」ことができるのは、心の奥が深い「喪失感」に浸されているからです。
赤ん坊ほど深い喪失感に浸されている存在もない。彼は自足した胎内世界を喪失してこの世にあらわれ出てきた。そうしてみずからの身体の無力さに途方に暮れてしまっている。その「途方に暮れた喪失感」から、「世界の輝きに他愛なくときめいてゆく」体験をはじめているわけで、ときめいていれば「自分」を忘れていられる。彼はもう、そういうかたちでしか生きてあることができない。これが人間性の基礎であり、この「喪失感」こそが「かわいい」の文化の本質に横たわる感慨にほかならない。
「喪失感」に深く浸されるとき、「かわいい」の文化が生まれてくる。
幼児のテレビとのかかわりは、実写ではなく、たとえば「アンパンマン」のようなアニメからはじまります。
彼らは、アニメの画面があらわれると、意味がわからなくてもじっと見入ってしまう。それは、「嘘=異次元」の世界の画像です。「嘘=異次元」の世界だからこそ見入ってしまう。それほどに彼らは、現実のこの世界を「憂き世」として嘆いている。そうしてアニメの画面を眺めながら心は「嘘=異次元」の世界に超出してゆく。そのようにして現実世界に四苦八苦しながら生きているみじめな「自分」のことを忘れているのであり、じつはここにこそ人間性の基礎があり、人は誰もがこの基礎を携えて生きてゆくのではないでしょうか。
快楽とは、自分が「消えてゆく」心地のこと。そうやって自分が「非存在」の存在になってしまうことの恍惚がある。女のオルガスムスはまさにそうで、そうやって「嘘=異次元」の世界に超出してゆく。大昔の日本人が「死んだら何もない黄泉の国に行く」といっていたのも、そういう快楽の本質の上に立ってイメージされていったことなのです。
日本列島の文化にはそういう伝統があり、そこから「かわいい」の文化が生まれてきた。

バブル経済がよかったのか悪かったのかは僕にはわからないが、それがはじけたとき人々にはそれなりにひとつの時代が終わったという喪失感はあったはずです。そしてそこからなりふりかまわぬあくなき欲望をたぎらせながら突き進んでゆこうとするのではなく、ひたすら「喪失感」を抱きすくめ、それを共有しながらときめき合い助け合ってゆくのが日本列島の復興の流儀の伝統です。
あの大震災に遭遇した人々の助け合いの態度を思い出せば、それがよくわかります。どうしてあんな状況で略奪や暴動等の混乱が起きないのかと、外国人の多くが不思議がった。みんな「かなしみ」に打ちひしがれていたのであって、野放図な欲望の噴出にのめり込むということはなかった。
人は「世界の終わり」の「喪失感」を抱きすくめてゆく生きものであり、心や命のはたらきはそこから活性化してゆく。そういう人間性の自然の法則にしたがって「かわいいの文化」が生まれてきた。
バブル崩壊のときの大人たちには「夢よもう一度」という思いもあったかもしれないが、少なくとも若者たちは、終戦直後と同じように、まず「喪失感」を抱きすくめていった。
あのころ大ヒットしたテレビドラマは、『高校教師』という、教師と生徒が心中する「喪失感」そのものの暗い話で、主題歌も森田童子の『僕たちの失敗』というやはり暗い歌が使われていた。
もう、高校生を中心とした若者たちから圧倒的な支持を得ていた。
明るく前向きな話ではなく、そういう行き場のないようなこの上なく暗い話がもてはやされていったことは、いかにも日本的だった。そこから生きはじめるのが日本列島の伝統なのです。
いい世の中だろうと悪い世の中だろうと、とにかく世の中というものは「憂き世」であると思い定めて生きはじめる。
とくにそういうネガティブな時代状況になると、よけいに日本人の本性があらわになる。
まあ若い世代といっても、すでに社会人になって大人たちの後追いをしながらバブル景気の恩恵を謳歌していたものたちはこのあとも消費欲が旺盛な性向を引きずってゆき、中にはカード破産というような泥沼にはまり込んだものもいたりしたわけだが、思春期の真っただ中でそういう時代の変化を体験した若者たちは「もう大人や世の中なんか信じない」という反応になり、この世代を中心に大人文化のカウンターカルチャーとしての「かわいい」の文化が生まれてくることになった。そのとき彼らは「憂き世」ということを身にしみて感じたわけで、その気分に『高校教師』という暗いドラマが呼応していたのでしょう。もちろん、日本人全体の潜在意識にもそういう気分はうっすらと広がっていたのだろうし、それは社会が立ち直ってゆくのにけっしてマイナスの気分ではなかった。日本人は、いつだってそうやって立ち直ってきたのだろうし。
終戦直後だって、「もう国なんか信じない」という気分は、ほとんどの日本人にあったに違いない。そうやって「喪失感」を抱きすくめていった。民衆の気分としては、自分の国よりも、アメリカのほうが信用できた。
日本人は、もともと国家意識は薄い。何しろ明治になるまで国歌も国旗もない歴史を歩んできたくらいで、日本人にとっての「国(くに)」は、「国家」ではなく「故郷」だった。
基本的に「かわいい」の文化は、国家も宗教も信じていないところで成り立っている。そういう「価値」というものを「喪失」しているところから生まれてくる文化なのです。
「非存在=異次元」の世界に超出してゆくこと、すなわち「かわいい」の文化は「価値の極北」に向かって旅立ってゆくのです。
死んでゆく日本人は、「天国」も「極楽浄土」も喪失して何もない真っ暗闇の「黄泉の国」という「価値の極北」に向かって旅立ってゆく。
まあただのおっちょちょいだといえばその通りなのだけれど、それは究極のオプティミズムでもある。そうやっておバカなギャルたちは、世界の輝きに他愛なくときめいている。