ときめく心があればいいだけのこと・神道と天皇(110)

もっとも複雑な精神の持ち主は、もっとも単純な心の動きをあこがれ夢見ている。おそらく、そうやって「哲学」という学問が生まれてきたのだろう。もちろん僕は哲学者ではないが、人間なら誰だって心の中にそうした哲学的アプローチを持っているのではないかと思える。
ここでいう「魂の純潔」という概念は、そういうことを意味する。
人が生きてゆけば、知識や記憶がどんどん堆積し、いやでも思考が複雑になってゆく。人はそうやって汚れてゆく。「魂の純潔」を失ってゆく。
というわけで、もう一度日本文化の「処女性」という問題に戻りたい。
ただ、ここでの「処女」という概念は、セックスの経験があるかどうかというようなことをいっているのではない。処女性とは「魂の純潔」の問題であり、それはまた、思春期の少女に象徴されるような人間存在のあいまいで混沌としたさまの問題でもある。
坂口安吾は『堕落論』で、「法隆寺が滅びてしまってもかまわないし、新しい時代の電車や自動車や飛行機は素晴らしい」というようなことをあえて戦略的確信犯的に語っていたが、たしかにその通りで、この国の伝統は「進取の気性」にあり、伝統を脱ぎ捨ててゆくのが伝統だともいえる。だからこそそれでも脱ぎ捨てることのできない伝統だけが選択的にしっかり残ってゆくし、脱ぎ捨てることができない伝統をつくり上げてゆく技術や思想が洗練発達してゆく。「脱ぎ捨てる=更新する」という進取の気性を失ったら、日本列島の伝統は成り立たない。
法隆寺薬師寺は木造だが、1000年先まで残ることを想定し工夫して建てられた。現在の工業製品だって、日本列島のものがいちばんきめ細かく耐久性が施されているといわれるが、この国にはそういう職人仕事の伝統がある。
伝統をどんどん脱ぎ捨ててゆくから、洗練という過程が生まれるのだし、洗練の証しとして伝統が残ってゆく。
日本人は過去を振り返らない。なぜなら過去は、伝統としてすでに身体化されているからだ。
過去は水に流すのが美徳で、いつまでも根に持って恨んだり憎んだりする、すなわちそうやって執着を強くするのはもっとも醜いことだとされている。そんなことにこだわっていたら、気持ちが前に進まない。
この世のすべてはどうでもいい、と幻滅すれば、そのときこそすべてを忘れてこの世界に他愛なくときめいてゆくということがおきる。それを「処女性」という。人は、この生や自分に幻滅するところから生きはじめる。そうやって心が華やぎ活性化してゆく。
自分に執着するから他者を憎んだりして心が停滞・衰弱してゆく。それに対してそうした執着から解き放たれてこの世界に他愛なくときめいてゆく処女は、この世界のもっとも美しく崇高なものを知っている存在であると同時に、みずからがこの世界のもっとも美しく崇高な存在として輝いてもいる。彼女らは、誰よりも「かわいい」とときめいていると同時に、みずからもまた一生に一度のかわいく輝いている時代を生きる存在でもある。
崇高とは、善悪とか正邪という通俗的な物差しから解き放たれているというか超越していることをいう。
そういう意味で宗教とか政治というのは、通俗そのものの下品極まりない世界であり、他愛ないときめき以上に崇高なものはない。民主主義の未来に希望をもたらすのは、民衆の他愛なくときめき合い助け合うエネルギーであって、小賢しいインテリの「よりよい社会を目指す」などという観念的で通俗的な欲望によるのではない。

「かわいい」という他愛ないときめきこそ、民主主義の未来の希望なのだ。
「かわいい」という言葉は今や世界中の共通語だし、今どきの「キモイ!」とか「マジで!」というような乱雑な言葉だって、若い娘が使うと、なんだか新鮮で愛らしい響きに聞こえたりする。
今どきの若い娘たちは、「キモイ!」という言葉を愛らしさ(かわいい)の表現へと洗練・昇華させてみせた。
日本列島では、言葉も街の景色も風俗も、どんどん移り変わってゆく。もともと「混沌」こそがこの生の与件であるという認識で歴史を歩んできた。秩序を構築することはひとつの停滞であり、混沌の中に身を浸してゆくことが日本人の生きる作法になっている。
日本文化の神髄が「調和」にあるとしても、正義・正論で裁きながら「秩序」を構築してゆくということなどはめざしていない。混沌の中に身を投じて混沌それ自体を洗練させてゆくことを「調和」という。いやそれはべつに日本列島の専売特許というわけでもなく、西洋のオーケストラやコーラスはまさにそのような「調和(ハーモニー)」をつくっている。
日本列島の言葉は、つねに混沌の中に身を投じて、どんどん変わってゆく。古代の言葉なんか、ほとんど外国語のようになってしまっている。
日本語は、意味を限定して使うということにこだわらない。「混沌」でいいのだ。
「はし」という日本語には、たくさんの意味がある。箸・橋・端・梯・嘴……その「混沌」からひとつの意味を抽出したり、ひとつの意味を混沌の海へと解き放ったりしてゆくことに日本語の生きる作法と醍醐味(カタルシス)がある。
混沌を生きる、ということは、無防備である、ということだ。
宗教や政治によってこの生やこの世界の秩序を構築することは、もともと日本人の趣味ではなかった。異民族の圧力にさらされるまで、日本列島にそういう発想は生まれてこなかった。
まあ古代の大和朝廷の権力者たちはいち早くそういう意識に目覚めたのかもしれないが、民衆レベルにおいては国家意識など明治以降のことだし、現在においても秩序をつくることがコンセプトである政治にも宗教にもまるで興味がない人間はいくらでもいる。
この国には、無防備の混沌を生きるという伝統がいまだに残っている。

「かわいい」の文化の基本的なコンセプトは「混沌」であり、それをひとつの美へと洗練させてゆく手法の鮮やかさが、外国人にはまねできない。
能や歌舞伎や舞妓の衣装は絢爛豪華で、ある意味「混沌」そのものだろう。それでもそこに、ある「洗練」があらわれている。誰もそれを「下品」だとはいわない。外国人がそれをすると下品とか騒々しいというような印象になってしまうのだが、日本人の手にかかるとそうはならない。
舞妓の可愛さなんか100年以上かけて追求されてきたわけで、あのじゃらじゃらした髪飾りだって、その「混沌」そのものが「洗練」の美になっている。
豪華な髪飾りは世界中にいくらでもあるが、舞妓のように左右非対称にしながらあれこれなりゆきまかせに飾り立ててゆくそのアクロバティックなセンスは、何かもう民族としての世界観や死生観とかかわっている問題かもしれない。
舞妓の姿を見て「この世のものとも思えないほどかわいい」といえば安直な美辞麗句のようだが、そのかわいさには、たしかに「他界性=異次元性=超越性」がそなわっている。気取っていえば、メタフィジカルな美、ということだろうか。また「人形のようだ」という形容もあるが、とにかく「この生」とか「生活=日常」というレベルから超えてしまっている。
その「混沌」は、「他界」に向けて収拾されてゆく。現世的俗世間的な「秩序」に着地するのではない。宗教のように「秩序」に回収してしまわないところに、「かわいい」の真骨頂がある。
イスラム寺院アラベスクの徹底的な秩序志向は、「かわいい」とはいわない。
日本列島に「かわいい」の文化があるということは、日本人は宗教意識が薄いということを意味する。それはもう、日本列島の全歴史を通じてそうだったのだし、とはいえつねに「他界性」を意識して歴史を歩んできたということでもある。
他界=死後の世界、というだけではすまない。他界とは文字通りこの生とは別の世界というだけで、たとえば青い空の向こうだって「他界」であるし、日本人は「今ここ」において体感される「異次元の世界」を意識しているだけであって、宗教的な死後の世界のことなどわからない。
舞妓の「かわいさ=美しさ」には「他界性=超越性」があるといっても、人はそこに「死後の世界」を見ているわけではない。
「死後の世界」を想うことだけが「他界性=超越性」を想うことではない。「死後の世界」など想わなくても、人は「今ここ」のこの生に「他界性=超越性」を想うのだ。
古代以前の日本列島だって、宗教なんかなくても、誰もがちゃんと「他界性=超越性」ということを意識していた。そういう歴史を歩んできたから、仏教伝来に際してはすんなりそれを受け入れたし、非宗教的な神道を生み出すことができた。

処女(思春期の少女)の舞……舞妓とはだいたい十六歳から二十歳くらいまでの修業中の少女のことで、彼女らは一人前の「芸妓=芸者」になることを目指している。しかしもっとも世間的にもてはやさされるのは舞妓の期間にあり、それは世俗から切り離された世界に身を置いている存在だからだろう。一人前の芸者になればいやでも世俗の世界に入ってゆくしかないし、身体的にも避けがたくそういう気配があらわれてくる。
芸者には女としての生々しい色気があるが、舞妓には、もっと非日常的で超越的な色気がある。
おそらく神社の巫女だって同じで、処女(思春期の少女)には、踊りの上手い下手以前の、存在そのものの非日常的な気配にその美しさがある。その超俗的な気配を「宗教的」というならまあそういうことで、だから最初はシャーマンだったというような歴史解釈も生まれてくるわけだが、まあ人類は普遍的に非日常的・超越的な気配に感動する傾向があり、宗教なんか知らなくてもそれに感動することができる。
処女の舞における「非日常性=他界性」……その動きの美しさは、肉体の生々しさを消去してゆく気配にある。
舞=踊りが肉体賛歌だと考えるべきだはない。そんなふうにして舞=踊りが生まれてくることは論理的にありえない。
体が大切なら、体なんか動かさない。もっとも体が大切になるのは、病気のときだろう。生きものにとっての身体の存在は、「受苦的」に自覚されている。
ウマやイヌであれ、生まれたばかりの赤ん坊は、まず最初に苦し紛れで勝手に身体が動き、体が動くことに気づく。体が動くことに気づいていなければ、母親のおっぱいに近づいてゆこうとする衝動は生まれてこない。そして体が動けば、苦痛を忘れられることに気づく。人間だって、体に苦痛であれば身もだえするようにできている。それは、苦痛を忘れようとする行為だ。それで傷や病気が消えるわけでもないが、意識はけんめいに体の外に向かおうとする。そうやって思わず体が動く。
基本的に体が動くことは、体の苦痛から逃れる行為であり、体のことを忘れてしまう行為だ。
われわれの意識は、体が動くことによって体を感じるのではなく、動いた体のまわりの空間を感じている。それは、体に貼りついている意識が引きはがされて体の外の空間に憑依してゆく体験なのだ。
舞=踊りという体験においても、そういう心の動きが起きている。
まあ病気や傷のことを除外すれば、人生において人は、体が急激に成長する思春期においてもっとも体に対する鬱陶しさを意識する。ことに女の場合は、月経がはじまるとか、乳房がふくらむとか、大人の女になることの不安や疎ましさとか、さまざまなかたちで深く鬱陶しさに浸されてしまう。
だからこそ彼女らは、舞うことによって体のことを忘れてゆくことのカタルシス誰よりも深く汲み上げているし、その身のこなしがとびきり愛らしくもなやましくもなる。
起源としての舞は、肉体を消去する身体作法だったのであって、肉体を止揚し表現していたのではない。
肉体の表現として舞の文化が生まれてくることは、論理的にありえない。
人は、他人に見せるための行為として舞に目覚めるのではない。体に貼りついた意識を引き剥がすことのカタルシスとして、舞に目覚める。
舞が表現し魅せるものになってきたのは、おそらく弥生時代祭りの場(=神社の前身)に舞の舞台がつくられるようになってからだろうし、それだってほんの一部の選ばれたもの(=巫女)だけのことで、ほとんどの民衆はただ踊りたいから踊っていただけだろう。
盆踊りは、誰も見せるために踊っているわけではないし、そこにこそ舞の本質がある。
そして見せるためでないのなら、何もアクロバティックな動きをする必要がないし、わざとらしいポーズをつくることもない。
起源としての舞は、肉体を忘れてゆくための動きとして洗練発達してきた。

人類の直立二足歩行はもともと身体を忘れてしまう歩き方として進化してきたわけで、起源としての舞も「歩く」ことを基礎にして生まれ育ってきたのだろう。まあ盆踊りは今でもそのかたちになっていて、おそらく起源のときから何も変わっていない。人間がいかに直立二足歩行の上に成り立っている存在であるかということがよくわかる。
で、腕や手はもともとよく動く期間であり、動かさなければ忘れてしまうことができない。盆踊りの腕の動きは、歴史の水に洗われてきた結果として、もっともシンプルでもっとも効率よく腕の物性を忘れてしまえるかたちとして落ち着いているのだろう。ほとんどは、腕を曲げて伸ばす、という動作が基本になっている。そういうかたちで腕が空間に溶けてゆく、ということだろうか。
人類の舞の歴史は、身体が空間に溶けてゆく動きとして洗練されてきた。
アフリカのダンスの激しいステップの場合、彼らは自意識が強いから、そこまでしないと体を忘れてしまうことができないのだろうか。そんなふうに動いていれば、ひとつの酩酊状態というか恍惚状態になってくる。踊る宗教というのは世界中にあるが、そういう集団催眠の状態になって、身体に貼りついた意識を引き剥がしてゆく。
社会の構成員の自意識が過剰になってくると、集団催眠が起きてくる。
現在だって人が自意識過剰の時代だから、右傾化とか、いろいろ集団催眠の現象が起きてくる。
いずれにせよ人は、自分や自分の身体に貼りついた意識を引き剥がして他愛なく世界の輝きにときめいてゆく状態になりたがっている。なぜならそういう自意識過剰の状態になると、心は停滞・衰弱してゆくからだ。現在の時代は、幸せな人も不幸な人も、自意識過剰になって集団催眠にかかりやすくなっている。つまり、人々の思考や行動が排他的で党派的になりやすい傾向があり、そうやって集団催眠を起こしている。
誰もが自意識過剰になっているところで集団催眠が起きる。そうやって文明国家が生まれてきたわけだが、アフリカの場合は小集団での集団催眠に特化してゆき、広い地域で情報(=たとえば「神」という共同幻想)を共有しながら集団催眠が生まれてくるということは起きなかった。彼らは走ることが得意だが、その激しいステップは走りながら走る(=遠くに移動してゆく)ことを封じている動きであり、そうした「禁制」が酩酊状態を生む契機になっているのかもしれない。
アフリカの激しいダンスは体が限定された狭い空間に溶けてゆく効果を生み、日本列島の能のような極めて抑制された動きの舞は、逆に森羅万象といういわば宇宙空間に溶けてゆくことを目指している。そういう逆説的な対比がある。

……と、ここまで考えてきて、話がなんだかややこしくなってしまった。とにかく舞の本質は、身体が空間に溶けてゆくことを目指しているであって、けっして身体を止揚するために身体を表現し見せびらかしているのではない、ということだ。だから能や舞妓や歌舞伎のように大げさな衣装をまとっても成り立つ。
人類の歴史は、いったい誰をいちばん最初に舞の名手として選択し祀り上げていったのだろうか。
舞の作法が確立されてくれば、それに合わせた訓練度による上手下手の差も生まれてくるだろうが、めいめいが勝手に体を動かしているだけの段階なら、上手下手ではなく、自然で先験的な身のこなしの「姿」そのものが問われる。そうした身のこなしの愛らしさやあでやかさ等のニュアンスは、なんといっても成長しはじめた身体の鬱陶しさを誰よりも切実に抱えている思春期の少女にこそもっとも深く豊かに宿っている。
生きものは基本的に身体の鬱陶しさからの解放として体を動かしているのであり、その解き放たれたいという願いの切実さや解き放たれていることのよろこびから、身のこなしの豊かなニュアンスが生まれてくる。
起源における舞の名手は、誰よりも肉体の鬱陶しさを自覚している「処女=思春期の少女=巫女」だったのであり、このことが天皇の起源につながっていった。
古代以前の天皇は「おほきみ」といわれていた。「きみ」の上に立つ人だから「おほきみ」、そして「きみ」とは「きみこ」、すなわち「巫女(みこ)の中の特別な存在」ということ、もともと「きみこ」といっていたのがいつの間にか「きみ」になっていった。
中国の歴史文書には「卑弥呼(ひみこ)」などという記述もあるが、「きみこ」の聞き間違いだったのかもしれない。
起源としての天皇は、舞の名手としての特別な「巫女=思春期の少女」だった。
人の心はこの世のもとも美しく崇高なものとしての「魂の純潔」に対する「遠い憧れ」があり、そのよりどころとして天皇が存在してきた。
処女の舞には、切ないほどに「魂の純潔に対する遠い憧れ」があらわれている。おそらく古代以前の人々はそこのところにときめき感動し祀り上げていたのであり、日本列島の舞の歴史はそこからはじまっている。