都市の起源(その十)・ネアンデルタール人論161

その十・都市幻想

現在のこの国の農村の過疎化は、ひとまず、戦後社会における人口の都市流入によってもたらされた、ということになっている。
では、人々はなぜ村を捨てたのか。
戦後の最初の十年間の東京は食糧難で、村のほうが衣食住は安定していた。それでもその十年間に東京の人口は倍増した。
そのとき東京にあって村になかったのは、「娯楽=祭りの賑わい」だった。それに引き寄せられて東京に人が集まってきた。
「娯楽=祭りの賑わい」とは、人と人がときめき合うこと。日本列島は、衣食住のことよりもいち早くその文化を盛り上げることによって戦後復興のエネルギーにしていった。映画、演劇、音楽、スポーツ、学問等々、それらは戦後十年ですでに世界レベルに達していた。映画の世界では、黒澤明小津安二郎溝口健二などの世界的な巨匠が活躍していたし、オリンピックでも今よりたくさんの金メダルを獲得し、音楽産業では歌謡曲だけでなくアメリカのジャズやカントリー&ウエスタンやポップスも積極的に輸入していった。そうして、湯川秀樹ノーベル賞を取ったのは戦後まもない昭和24年だった。
戦後の人々は、村の「安定と秩序」に倦んで東京に出ていったともいえる。若者たちが都会の男女の恋愛に憧れたということもあるかもしれない。戦後の「民主主義」とか「男女平等」という思想は、東京から発信されていった。
いずれにせよ終戦直後の東京は貧しく街には浮浪児や乞食や傷痍軍人や街娼があふれていたが、同時に新しい文化現象が次々に出現して混沌としていた。その混沌のダイナミズムが、地方の人々を引き寄せた。
集団就職などの、経済活動で地方から人を集めてくる動きが盛んになってきたのは戦後10年以上たってからの話だが、まあそんなことも加えて地方はますます「祭りの賑わい」を失っていった。
若者たちは、知り合いばかりの村の人間関係の「安定と秩序」に倦んで東京の雑踏に憧れていった、ということもあるにちがいない。
知らない相手ばかりの都会の雑踏の中にいるとひどく疲れるが、同時に、だからこそ「ひとりになれる」という解放感もある。心は、そこから華やぎときめいてゆく。そこで誰かと出会うことができれば、豊かな語り合いの場になる。
都会に出てきたものたちは豊かな語り合いの場を求めているし、都会にはいろんなかたちでそういう場が生成している。職場とか飲み屋とか趣味のサークルとか、まあいろいろとある。そして、誰とも話したくない、ということも許されている。誰もがひとりぼっちで、誰もが人恋しい思いを抱えて「出会いのときめき」を待っている。
都会に出てくるいちばんのよろこびは、語り合うことができる相手と出会うことかもしれない。なんのかのといっても、都会の雑踏の中で誰もがさびしい思いを抱えているし、だからこそ、そのぶん豊かな出会いときめきがあり、つらい別れを体験したりもする。
都会における離婚や恋人との別れと田舎でのそれらの体験とどちらがしんどいかといえば、都会の方だろう。都会には豊かな出会いのときめきがあるからこそ、その関係の壊れ方も、よりやっかいな様相を呈する。だから、それにともなうさまざまな事件も起きる。ほんとに、誰もいない荒野に放り出された心地になってしまう。しかしそのときつらいのは、別れそのもの以上に、それを相談する(語り合う)ことができる相手がいないことかもしれない。


都会には人の欲しいものがなんでもある、というような幻想がどこかにある。あるいは、戦後の日本はそういう幻想に支配されていった、ということだろうか。
だから全国の街の風景が東京ふうに画一化されていったのだろうし、高度成長期の役人が土地区画の合理化のために平気で古い町名を抹消してしまうことはもう、東京自身も例外ではなかった。
欲しいものを手に入れること、すなわち消費社会。戦後の日本は、日本中を東京のような消費社会にしていった。東京で売られている商品が、全国のどこでも買えるようになっていった。そうやって日本中の街の風景が東京のようになっていった。おそらく国家権力と企業が結託しながら、そうやって高度経済成長を実現していったのだろう。
まあ今どきいわれているような「グローバル化」というのはそういうことで、世界中を消費社会にしてしまおうとする企業戦略のことをいう。そしてそれは輸出拡大という国家戦略でもあり、それによって国の「安定と秩序」が保たれるという思想らしい。
企業がどんどん儲かって貧富の差が拡大しても、貧富の差それ自体が「安定と秩序」になればいい。知識の格差が拡大しても、扇動する(教える)ものと扇動される(教えられる)ものの関係がはっきりすることによって「安定と秩序」が実現する。そういう「差異」の上に関係の「安定と秩序」をつくってゆこうとする運動を「資本主義」といい「グローバル化」というらしい。それはもう、「市民と奴隷」の関係の上に集団の「安定と秩序」をつくっていった文明発祥以来の伝統だともいえる。
マクドナルドやコカ・コーラは、今や世界中のどこにでもある。そしてそれは、アメリカの国家戦略でもある。
どんなかたちであれ、他の国に対するアドバンテージを持っていなければ、他の国に侵略される。文明社会の歴史は、そういう教訓をもたらした。
人と人の関係だって同じで、文明人の心は、他者に対するアドバンテージを持っていないと他者に支配され奴隷にされてしまう、というような強迫観念というか警戒心と緊張感がどこかにはたらいている。
現在の世界の「戦争」という問題だろうと「グローバル化」という問題だろうと、つまるところは、この文明社会の人と人の関係の問題だともいえる。
資本主義社会の購買欲というか消費衝動とは、他者に対するアドバンテージを持とうとすることにほかならない。そうやって人に差をつけるという「差異」の衝動。彼らは、それを人間性の自然だといい、人間的な文化は「差異」の上に成り立っているという。


言語学では、言葉の本質は「差異」の生成にあるという。「差異」は、複数の存在を比べることの上に成り立っている。それ「ひとつだけ」なら、「差異」など存在しない。言葉はそれ「ひとつだけ」に対する固有の感慨から生まれてきたのであって、どんな「比べる」基準もなかった。比べる基準としての「意味」も「価値」もないところから思わず発せられたのがはじまりだ。少なくともやまとことばという日本語は、その「比べる」ことをしない「思わず発せられる」体験を基礎にして生まれ育ってきたのであり、だからたとえば「橋」「箸」「端」「嘴」というような同音異義の言葉がたくさんある。もともとそれらの「差異」など存在しないから同音の言葉になっていったのであり、それらはすべて「危なっかしい」とか「不安」というような感慨を表出する言葉だったわけで、それをもとにしてそれらの名称が生まれてきたにすぎない。人間性の自然においても言葉の本質においても、「差異」を生み出そうとする衝動の上に成り立っているのではない。それはあくまで、文明社会の制度性の問題なのだ。
文明社会は、「差異」によって「安定と秩序」を構築しようとする。
人間はひとりひとりが「かけがえのない」存在だというとき、すでに「差異」の意識がはたらいている。そんなことは他人が決めることであって、自分の「自尊感情」で決めることではない。
自分なんか、いつ死んでもしょうがないところのいてもいなくてもいい存在であり、その居心地の悪さを生きるところから人間的な文化が生まれ育ってきたのだ。
人間性の自然も、人間的な文化の本質も、「差異」を生み出そうとする衝動の上に成り立っているのではない。それに対して文明社会では、「差異」を確認してゆくことによって「安定と秩序」を構築しようとしている。しかし人類史においてはその「安定と秩序」からはぐれ出てきたものたちが集まって「都市」になっていったのであり、そのふくらみすぎた集団に「安定と秩序」をもたらそうとして「規範=制度」を持った「都市国家」になっていった。
「差異」は「混沌」ではない。「差異」を定着させることによって「安定と秩序」が生まれる。そうやって今どきは、他人に対する優越感や優位性を持つことによって自分の心の「安定と秩序=自尊感情」を得ようとしている大人たちがたくさんいる。「差異」に対する志向は、人間性の自然でも本質でもなんでもない。それは、文明社会の制度性の問題なのだ。それによって「都市国家」が生まれてきたが、それによって「都市」が生まれてきたのではない。
「差異」など存在しないことを「混沌」という。やまとことば=日本語は、その「混沌」そのままを生きようとして同音異義の言葉をそのまま受け継いできた。
人は「混沌」に引き寄せられて都市に向かう。「混沌」に引き寄せられて都市が生まれてきた。都市の本質は「混沌」が生成していることにある。それは、「富裕化と貧困化」という「差異化=階層化」という動きのことではない。それ自体が社会の「安定と秩序」に向かう動きなのだ。
人の心は、「貧困化という混沌」を受け入れる。その「混沌」それ自体を生きようとする。だから若者たちが会社を辞めてニートやフリーターになってゆく。現在は、「貧困化」の不満がくすぶって爆発しそうになっている世の中か?そうでもあるまい。貧しいものどうしが足を引っ張り合うか助け合うかという問題があるだけだろう。「安定と秩序」を求めて足を引っ張ろうとするし、「混沌」それ自体を生きようとして助け合う。「安定と秩序」に対する志向性が高度に強く機能している社会であれば、足を引っ張り合う動きも避けられないが、それでも「混沌それ自体」を生きようとする動きがなくなるわけではないし、不満が爆発することもない。それが、この国の伝統なのだもの。


この国の戦後社会は、人口の都市流入が世界でもっともダイナミックに起こった。東京の人口は、戦後十年で倍になった。「混沌」それ自体を生きようとする文化の伝統を持っているから、そういうことが起きた。そのとき地方の人々は、「安定と秩序」に倦んで東京の「混沌」に引き寄せられていった。
戦後十年くらいまでの若者たちは、三畳一間の安アパートで暮らすことを承知で東京に出てきた。その暮らしで彼らが何を見出していったかといえば、「人との出会い」だった。将来の夢のために耐え忍んだとか、そういうことではない。それはそれ、そんな夢の実現が約束されているものや信じられるものはあくまで少数派であり、ほとんどの場合、「今ここ」でときめく体験がなければ耐えられるものではなかったし、その体験を味わえなかったものの多くは故郷に帰っていった。
「故郷に帰りたい」という歌詞の歌謡曲は、戦後三十年くらいまで、いつも流行っていた。いや、今でも盆や正月の帰省ラッシュは続いている。
いつだって都市生活者は、その「混沌」の中で、ときめいたり心を病みそうになったりして暮らしている。
都市生活者の欲しいものは「人との出会い」であって、消費行動の充実はその次のこと、消費行動だけで都市を生きることなんかできない。
消費行動だけでしか都市を生きることができない精神の貧しさというものがあるし、誰だってそれだけではすまない思考や行動をしている。まあ、そうやって自分は人に好かれていると勘違いしたり、好かれようとしてむやみに干渉したり監視したりしたがったりする大人が増えてきている。
巷の人間関係もそうだけど、いい気に知ったかぶりして民衆を扇動したがる知識人の政治的経済的発言というのも、なんだかウザったい。彼らだって、この生の「混沌」を生きることができない強迫観念の持ち主にすぎない。そんなに人の世が許せないのか。この世界はあなたを中心に回っているのではないし、あなたの思う通りになるはずもない。
人を救うことなんか、誰にもできない。応援し見守ってやることができるだけだ。救ってやるなんて、その人の「今ここ」を否定している態度だろう。世の中だって同じこと、よくなろうと悪くなろうと、世の中はあなたたちだけのものではない。未来を決定する資格なんて誰にもないし、誰も決定できない。誰だって、歴史の「なりゆき」を見守ることができるだけではないのか。政治家だって、歴史の歯車のひとつにすぎない。