都市の起源(その九)・ネアンデルタール人論160

その九・ややこしい、どうでもいい

単純に考えて、「都市」とは人が密集している地域のことをいうのだろう。
人類史において、何千人とか何万人とか、そんな猿としての限度をはるかに超えた大きな地域集団が生まれてきたのは氷河期以降のことで、その集団がやがてエジプトやメソポタミアの国家という共同体になっていった。
小集団が産めよ増やせよで大きくなっていったのではない。まずそこに、どんどん人が集まってくるということが起きた。
では、何に引き寄せられて集まってきたのか。
一般的にはいちおう「肥沃な土地だったから」ということになっているのだが、この解釈はナンセンスだ。最初は農業など知らない歴史段階だったのであり、人が集まってきた結果として農業を覚えていったにすぎない。
メソポタミアなどは、現在のように砂漠化した環境ではなく、小麦が豊富に自生している地域だったらしいが、先史時代の人々が小麦の実を粉にしてパンをつくるということをしていたわけではない。まだまだ草食獣の狩りをしたり木の実を採集したりして暮らしていたのだ。
小麦の自生地帯だったということは、それを食べる草食獣がたくさんいたということだろうか。つまり、草食獣の狩りを目指して集まってきたということ、それはありうる。ネアンデルタール人にとっての草食獣の肉は主食のようなものだったが、もともと人類にとっての狩りは、お祭りであり娯楽だった。人類は食糧戦略として狩りを覚えていったのではなく、あくまで祝祭の行事だったのであり、ネアンデルタール人は死をもいとわない勢いで大型草食獣の狩りに熱中していった。
原初の人類の食糧戦略は木の実の採集にあり、今でも世界中が米やパンやイモなどの植物を主食にしている。
食事にはおかずが必要だというのは人類だけで、人類にとっての肉は、昔も今も「祭りの食べ物」なのだ。
ネアンデルタール人が草食獣の肉を主食にしていたということは、彼らがお祭り騒ぎというか「祭りの賑わい」とともに生きていたことを意味する。
「祭りの賑わい」が、アフリカで発生した人類を氷河期の北ヨーロッパまで拡散させていった。
狩りは、人類の食糧戦略だったのではない。「祭りの賑わい」だった。先史時代のエジプトやメソポタミアは、肥沃な土地だったから人が集まってきて大きな都市集落になっていったのではない。大きな都市集落になっていったから農業をするようになったのであり、そのとき肥沃な土地だったことがそれを可能にした。そのとき農業はたしかに食糧戦略だったが、集団で耕作地をつくってゆくという「祭り」の延長の行為だった。「祭りの賑わい」がなければ本格的な農業は生まれてこなかった。そのとき、木の実の採集だけでは大集団の食料をまかなえなかったから、自分たちも草食動物のように小麦を食べようと工夫していったのかもしれない。
人類が小麦の実をパンにすることができるようになるまでには、長い長い歴史があるのだろう。最初は、木の実をすりつぶして水に溶かして食べるという習慣があったのかもしれない。そうやって乳幼児に食べさせていたのだろう。乳幼児を育てるということが、パンが生まれてくる契機になった。できるだけ母乳に近い食べ物を工夫してつくりながら乳離れをさせていった。
とにかく、最初に大きな都市集落があった。その状況が小麦の実を食べることを覚えさせたのであって、小麦の実を食べるために人が集まってきて大きな都市集落になっていったのではない。肥沃な土地だったから人が集まってきたのではない。「祭りの賑わい」が生成している場所だったから人が集まってきた。そこでは、男も女も他愛なくときめき合っていた。その非日常的な混沌に引き寄せられて集まってきた。肥沃な土地だったことが結果的にますます大きな集団になってゆくことを可能にしたのだろうが、そのことが人々を引き寄せたのではない。
人々を引き寄せたのは、あくまで「祭りの賑わい」にあった。


中近東のイスラム社会は、ヨーロッパに比べると、共同体の「規範=制度」が強く機能している。彼らは部族という小集団どうしのネットワークを持っていて、小集団はそれだけまとまりやすい。その「安定と秩序」に倦んで人が出てゆく。現在のヨーロッパには、イスラム圏からのたくさんの移民がいる。彼らは、集団から出てゆくメンタリティも集団に身を寄せてゆくメンタリティも色濃く持っている。集団からはぐれ出てゆくメンタリティはヨーロッパの影響で、集団の中で同一化してゆく生態はアフリカから伝播してきた。
中近東は、原始時代以来、身体形質においてもメンタリティにおいても、ヨーロッパとアフリカのハイブリッドとして歴史を歩んできた。
氷河期明けの中近東は、そのころ世界でもっとも「どこからともなく人が集まってきて新しい集団をつくってゆく」という動きがダイナミックに起きている地域だった。そうやって世界初の都市国家としてのメソポタミア文明が生まれてきた。
ヨーロッパ人は集団どうしも個人どうしも同化しにくいメンタリティを持っているが、中近東ではそれが比較的スムーズにできた。
人類史における最初の都市は、氷河期明けの1万年くらい前のメソポタミアあたりから生まれてきた。
チグリス・ユーフラテス川上流域であるトルコ南東部のギョベクリ・テペの遺跡はその証拠のひとつになるのだろうが、そこは祭りの広場だったらしく、多くの祭壇のような建造物があるだけで、住居や墓地の跡は見つかっていない。その遺跡は小高い丘の上にあり、集落はおそらく、そのまわりに散在していたのだろう。
彼らは小集落どうしのネットワーク(=部族)をつくりながらそこで大集団のお祭りをしていたらしく、そのお祭り広場こそ都市の起源であり、それが発展してメソポタミアの国家文明が生まれてきた。
メソポタミアの国家文明は、チグリス・ユーフラテス川下流域から上流域に向かって広がっていったということになっているが、それは7000年前ころに農業を覚えてからの歴史で、都市の発生は上流域で起こってきたと考えるべきだろう。氷河期明け直後の下流域はまだほとんどが湿地帯で、人が住める場所ではなかったし、狩りの獲物も木の実を採集できる森も少なかった。
つまり、農業を覚えた上流域の人々が干上がってきた下流域に移住してゆき、そこで国家文明が生まれてきた。集団で農業をすることが、国家の「規範=制度」が発達してくる基礎になったのかもしれない。つまり、都市が国家になっていったとしても、都市の発生と国家の発生は同じではない。
都市が変質して国家になっていった。都市は「祭りの賑わい=混沌」の上に成り立っているが、国家の制度性は「安定と秩序」を目指すことの上に成り立っている。起源としての「都市国家」は、祭りの「混沌」と政治経済の「秩序」という二律背反を抱えながら生まれてきた。
国家文明のことはともかくとして、起源としての「都市」は、「お祭り広場」だった。起源においては、そういうかたちでしか、たくさんの人が一カ所に集まるということは起こりえない。狩猟採集の歴史段階であれば、集団は分散しているしかない。数千人ぶんの食糧を一度にまかなえるほどの狩場や木の実の森が近くにあるということはありえない。おそらく先史時代においては、どんなに大きくても数百人のレベルを超えて集落をつくることは不可能だった。しかしそれでも、「祭りの広場」が生まれれば、あちこちの集落から人が集まってくる。そしてそこにくれば、新しい人との出会いがあるし、ふだんの集落の暮らしの「停滞=けがれ」を洗い流すことができる。
中近東は、アフリカ的な部族としてネットワークをつくってゆくことができる同一化のメンタリティによって「安定と秩序」の「停滞=けがれ」が生まれやすい生態であると同時に、ヨーロッパ的な集団の離合集散の「混沌」もダイナミックに起きている土地柄でもあった。そしてこの二つは水と油のように相矛盾しているのだから「融合」することはない。矛盾そのままを生きるしかない。彼らは、どちらに傾くとしても、つねに極端で大げさなところがある。徹底的に女の人生を縛って社会を固定化させることもすれば、たがいに相手の人生や社会を徹底的に破壊し合うということもする。「秩序(停滞)」と「混沌(破壊)」が両極端にぶれる。
人類は、秩序志向と混沌志向に引き裂かれながら「都市国家」という文明を生み出した。それがヨーロッパとアフリカのハイブリッドである中近東から生まれてきたのは、ひとつの歴史的必然だったのかもしれない。


家族という小集団から国家という大集団まで、集団が維持されてゆくとき、そこに「安定と秩序」に向かう意識がはたらく。そうやって自然に集団の外の世界を否定する心の動きが生まれてくる。つまり集団の外の世界に対する恐怖や憎しみが生まれてくる。あの山の向こうにはわけのわからない姿や心を持った異民族が住んでいる、という意識。集団の中でそういう合意が形成されれば、ひとまず集団の「安定と秩序」が成り立つ。
先史時代の都市集落は、秩序志向と混沌志向に引き裂かれながら国家という共同体になっていった。
集団が限度を超えて大きくなりすぎたこと、そして農業や祭りが活性化していったことによってその大集団を維持できるようになっていった。氷河期明けは、気候の変動や人による乱獲などによって地球上の大型草食獣がどんどん少なくなっていった時代だった。とくにエジプトやメソポタミアのような温暖な地域では、多くの大型草食獣が北に移動してゆき、狩りの獲物が少なくなっていった。だから農業が発達したということがあるし、狩りの延長として戦争が生まれてきたということもある。
ともあれその大きくなりすぎた集団は、「安定と秩序」というコンセプトを持たなければ成り立たなかった。そこからこの世界やこの生をつかさどる「神」や「霊魂」という概念が生まれてきた。
現在のイスラム世界の過剰な女性差別自爆テロ礼賛は、彼らの秩序志向と混沌志向の両極端をあらわしているのかもしれない。「安定と秩序」を過剰に求めるから、荒れ狂わねばならない。
四大文明の発祥は、秩序志向と混沌志向に引き裂かれながら起こってきた。イスラム国の残虐な処刑の仕方は、そのまま彼らの秩序(平和)志向でもある。
中近東は、何かにつけて極端で大げさだ。彼らは、秩序志向と混沌志向をうまく両立させることができない。つねに両極端にぶれながら、けっきょく停滞の歴史を歩むほかなかったし、だからこそ「アラブの春」のような極端な社会現象も生まれてきた。それは、日本人のようななりゆきまかせ生きている民族にできることではないし、だからこそわれわれは彼らのような停滞から免れて歴史を歩んでくることができたともいえる。。
ネアンデルタール人の末裔であるヨーロッパもまた、この世界やこの生の「混沌」それ自体を生きる歴史を歩んできた。「安定と秩序」のもとに同一化してゆくのではなく、「混沌」の中で連携してゆくことのダイナミズム、それによって四大文明の地を追い越していった。
「安定と秩序」という停滞・衰弱。マンネリ、などともいう。人が、何を好き好んでそんな状態を目指さねばならないのか。人類はそんな状態からの解放として「祭りの賑わい」を生み出したのであり、そうやって地球の隅々まで拡散していったのだが、因果なことにその果てに生まれてきた戦争もまた、ひとつの「混沌」としての「祭り」だったわけで、そこのところがややこしい。


人類の大きな集団は「安定と秩序」というコンセプトを持たないと存在しえないし、祭りの「混沌」が生成していなければ停滞・衰弱していってしまう。もとはといえば、祭りの「混沌」が、こんなにも大きな集団を生み出してしまったのだ。
現在の国家という大集団は、共同体の制度性による「安定と秩序」を求める志向性と、コンサートやスポーツ観戦等の娯楽における「祭りの混沌」との上に成り立っており、現代人の心は、そうした「秩序志向」と「混沌志向」のあいだを揺れ動いている。社会の動きにおいても個人の心においても、この構造はなかなかややこしいのだが、人間性の自然というなら、混沌に引き寄せられてゆく心の動きにあるのではないだろうか。
人の心の「安定と秩序」に対する志向性は、氷河期明けの文明の発祥とともに膨らんできた。
「安定と秩序」を志向するから停滞し、そのあげくに極端な「混沌」に陥って荒れ狂ったりする。そのとき「安定と秩序」を志向しながら荒れ狂っている。なりゆきまかせの「混沌」それ自体を生きるなら、荒れ狂ったりはしない。その「混沌」は、「安定と秩序」の「けがれ」が浄化されるカタルシスになる。
原始人は「神なき世界」を生きていた。そういう「混沌」を生きることができなければ、心が華やぎときめいてゆくという体験はできない。
人も都市も「安定と秩序」を目指す欲望を持っているとしても、人の心の自然は、「混沌」に引き寄せられてゆく。
人の心は、「安定と秩序」に浸されたとたんに落ち着かなくなってしまう。
内田樹は、「自尊感情」の大切さを説く。しかしそうやって自意識の「安定と秩序」に執着・耽溺していたら、心はどんどん病んでゆく。どんどんブサイクな人間になってゆく。人をたらしこむ処世術がうまくなれば社会的に成功したりしてひとまず自意識の「安定と秩序」は得られるだろうが、親しい関係になればなるほど、その支配欲があらわになって鬱陶しがられ、相手の心は離れてゆく。そして彼らは、人と別れることというか人から逃げられることに耐えられない。それは自尊感情の崩壊を意味する。だから、別れてもなお相手を監視しようとしてストーカーになったり、殺人事件を引き起こしたりする。他人ごとではすまない。それは現代社会の病でもある。社会の制度性はつねに人々を監視しようとしているし、人々もまた社会の政治や経済の動きを監視し、「世の中を変えよう」と合唱している。そうして、そんな合唱に幻滅して無関心になったり、監視されることにおびえて引きこもったりするものも増えてきている。
都市はもともと監視の緩やかな空間のはずだが、現在の都市には監視したがる人間があふれているし、監視することが現代社会の動きにもなっている。会社であれ学校であれ家族であれ恋人どうしであれ、誰もが監視し合っている。国家権力はもちろんのこと、企業だって消費者の動向をリサーチし監視しているし、マスコミや庶民は有名人のスキャンダルをつけ狙っている。「情報収集」といえば聞こえはよいが、それは「監視する」ことでもある。
現代人は、監視されることに疲れ果てている。だから、監視したがりの人間は嫌われる。自尊感情の強い人間ほど、自尊感情を守ろうとして、その警戒心や緊張感とともに他人や世間を監視し続けている。内田樹をはじめとして今どきの政治的な発言をしたがるマスコミ知識人なんか、ほとんどがそんな人種に違いないし、われわれ庶民の日常のまわりにも、他人を監視し支配=干渉しながら自尊感情という優越感を守ろうとするような人間はうんざりするほどたくさんいる。彼らの心は、その安定志向の中で荒れ狂ってもいる。
そして高度に「監視」の制度が発達した現代社会でそれでもなりゆきまかせの混沌それ自体を生きることはとてもしんどいし、疲れ果ててしまう。しかし心は、疲れ果てたところから華やぎときめいてゆく。
緊張してばかりいて疲れ果てていないから、「監視する」などというよけいなことをしないといけない。「もうどうでもいいや」という気になれない。この世にもこの生にも、なすべきことなど何もないのであり、心はそこから華やぎときめいてゆく。
この世界の輝きが人を生かしているのであって、自分の輝きなどどうでもいい。自分の輝きを欲しがっているものほど、じつは少しも輝いていない。つまり、自分の輝きなどというものは目の前の他者が見つけるのであり、自分が気づいていないところにあるのだ。
いいかえれば、自分でうぬぼれているほどには他者はあなたに輝きを見ていないということであり、そんな自尊感情など「どうでもいい」のだ。