暗喩の起源・ネアンデルタール人論36

 自分を忘れて何かにときめき夢中になってゆく。そういう体験がなければ人は生きられない。人は、この生をたえず消去しながら生きている。「生命の尊厳」などといってもしょうがない。命のはたらきとは、命を消去することです。その新しく生まれ変わったような「ときめき」がなければ人は生きられない。それが、「知る」とか「感動する」という体験であり、そこから言葉が生まれてきた。それは、生きのびようとする衝動から生まれてくるのではない。人間の本性にそんな衝動はない。人間は、この生そのものを「これは違う」と認識している生き物なのです。
 人類の文化は、たえず「これは違う」と否定しながら進化発展してきた。まあ「進化」とは、既成のものが「これは違う」と否定されてゆく現象でしょう。よくなるにせよ悪くなるにせよ、生き物の歴史は、そうやってたえず変遷=進化してきた。
 われわれのこの生は「これは違う」と否定されている。
 人は「許されていない」存在であり、この世界のすべてを「許している」。世界は輝いている。世界は輝いているから生き物は生きてしまうのであって、生きようとして生きているのではない。生きてあること=自分を忘れてこの世界の輝きに心を奪われてしまうのが、われわれの生きるいとなみになっている。そうやって、気がついたら生きてしまっている。ひとは、「この生は何かの間違いだ」と思っているくせに生きてしまっている。そう思って生きてあることも自分も忘れて世界の輝きにときめいてゆく存在だから、生きてしまう。
 
 

 意味の伝達を目的にして言葉が生まれてきたのではない。人は、根源において、そんなことをしたがるような生きようとする衝動など持っていない。
 この生は何かの間違いであり、人は生きてあることを許されていない存在です。そうしてこの世界の輝きを前にしながら、この世界のすべてを許している。
 世界の輝きにときめき思わず口の端から音声がこぼれ出て言葉が生まれてきたのであって、「意味の伝達」という生きのびるための手続き(手段)としてではない。
 人は、根源(無意識)において、みずからの生を正当なものだと肯定してはいない。その代わり、すべての他者の生を存在そのものおいてときめき許している。ことに、赤ん坊とか老人とか病人とか障害者とか、生きられない「この世のもっとも弱いもの」に対しては、無条件で許し、介護をしてゆく。そういうことはネアンデルタール人の時代からすでになされていたわけで、人類はその行為を競争社会であることの贖罪とかアリバイ証明にしているのではない。その行為こそ、この生が何かの間違いであると自覚している人間性の自然であり、本能のようなものであるはずです。


 生きてあることを忘れてしまうようなときめきから言葉が生まれてきた。
 そのとき人類は、たとえばりんごを前にして、りんごだと認識したのではない。ただもうそれが目の前に存在することにときめいた。そのときめきが「言葉=音声」になった。
 りんごをりんごとして認識することは、この世界の調和を確認することであり、みずからの生がその調和に組み込まれていることを確認してゆく心の動きです。それを、すでにわかっているものとして確認する観念行為としてそれに名前をつけてゆく。世界のすべてがすでにわかっているものであるときに、世界の調和が実感される。
 しかし言葉の起源は、「名前をつける」行為ではなかったのです。その証拠に、現代の世界においても、未開人ほど名詞がすくない。植物の名前など数種類しか持たない民族もある。まあ、草と木と花の区別さえつけばそれでいい、ということでしょうか。
 人類史の最初に生まれてきたのは、名詞ではなく、おそらく感慨の表出としての形容詞のような言葉だった。
 少なくともやまとことばにおいてはそうだった。感慨の表出としての形容詞のような言葉は、今よりも古代のほうがずっとたくさんあった。
 たとえば和歌の枕詞はもともと感慨の表出としての形容詞のようなものであったわけで、「さねさし」とか「みつみつし」とか「さにつらふ」とか「つぎねふや」とか「つのさはふ」とか、今ではもう何を意味しているのかよくわからないような言葉がたくさんある。
また、「ふゆごもり」という枕詞は今や「冬籠り」という字が当てられているが、語源としての「ふゆ」は冬という季節の名詞ではなく、「心が震えて揺れる」こと、すなわち「迷う心」をあらわす枕詞だったわけで、それだって感慨表出の形容詞のような言葉だったのです。
 やまとことばは、人類の最初の言葉が感慨の表出だったことの痕跡をとどめており、それをそのまま洗練させて育ってきた。
 原始人は、りんごを見てりんごの意味の説明として「りんご」という言葉を生み出したのではない。りんごに対するときめき=感慨を音声として発しただけです。
 意味の説明として言葉が生まれてきたのなら、現代の未開人だってたくさんの名詞を持っているはずです。しかし意味を付与された名詞などほとんどなくても人と人の愉しい語らいは成り立つのです。未開人が愉しい語らいを持っていないわけではない。
 原始人や未開人が「はな」といっても、花のことを意味しているのではなく、花に対する感慨=心模様を表出しているだけなのです。だから、花でなくても同じような感慨を抱けば、やっぱり「はな」という。やまとことばの「はし」は、「箸」「橋」「端」「嘴」さらには「走る」と、さまざまな意味に使われているのだが、それらはすべて「危なっかしい」という感慨をもよおす対象だからです。もともとはそういう「形容詞のような」言葉だった。
 言い換えれば、対象のことを意味をあらわす名詞としてではなく、形容詞として表出した。


 原始人は、青い色のことをそのままいわないで、「あおい」という感慨として表現した。それは、直接的には「かなしみ」や「あこがれ」の感慨の表出だったが、空の青のことでもあった。
「私はかなしい」ということを表現するのに、「私はかなしい」とそのままいってしまうよりも、「青い空」を描写しながらその感慨をにじませてゆくほうが高度な表現であり、そのほうがより深くかなしみがあらわれる。現代の文学者はそういうテクニックを持っているし、原始人もまた、逆のニュアンスだが、たくまずしてそういう表現をしていた。彼らの「あおい」は、直接的には青い色のことではなく、「かなしみ」や「あこがれ」のことだった。「青」という名詞が生まれてくる以前に、そういう感慨の表出で会話をしている時代があった。だから、現在の未開人社会の言葉は名詞がすくない。
 彼らは「あの男は猿のようだ」とはいわない。「あの男は猿だ」という。なぜなら彼らの「さる」という言葉は、たとえば「すばしっこい」というような形容詞だから、わざわざ「……のようだ」という必要がない。
 原初の言葉は、意味の説明ではなく、感慨の表出だった。それは、人類学者や言語学者がいうような「象徴思考」で対象に意味を付与しながら「世界の調和」をつくろうとしたのではなく、対象という世界の一点に焦点を結んでゆく体験のその「ときめき」を表出している音声だった。
 そのとき対象のまわりの世界は「これは違う」と否定されぼやけている。つまり、そうやって「世界の調和」が失われ、対象との一対一の関係が切り結ばれている。
 意識にとって「自己」は、世界の調和の一部ではなく、世界から疎外されて(はぐれて)存在している。そのとき意識のはたらきは、「自己」に向かってはたらくか「世界」に向かってはたらくかのどちらかで、自閉症でもないかぎり世界と自己を調和させて同時にはたらかせるというようなことはできない。意識はつねに何かについての意識なのです。自閉症は世界を網羅的包括的にとらえているがゆえに、世界の一点に焦点を結ぶことができない。自己が消えるか世界が消えるか、という切迫した関係がない。世界の調和の中にまどろんでいる自己がつねに意識されている。
 しかし人間的な「ときめき」は、自己が消えて世界の一点に焦点が結ばれてゆくことによって起きる。一点に焦点を結ばなければ、自己は消えない。人間は、そうやって自己が消えてしまうくらい豊かにときめく。自己が消えてしまう(=自分を忘れてしまう)くらい「この生は何かの間違いだ」という感慨を先験的に持っている。
 人間の意識は、世界の調和の中にまどろんでいるのではない。


 原始人が「青い空」というとき、その言葉の意味以上の「遠いあこがれ」や「深いかなしみ」という言葉の姿が共有されていた。なぜならその「青い」という言葉は、じつは「あこがれ」や「かなしみ」の表出として生まれてきた言葉だったからです。
 原始人が「私はあおい」といえば、「私はかなしい」という感慨の表出だった。そしてその表現は現代の詩人が使うテクニックとしての「暗喩」と同じであり、「暗喩」こそ言葉の起源であり究極の姿でもある。
 起源としての言葉は対象の意味を「象徴」する表現として生み出されたのではなく、意味から逸脱してゆく「飛躍」があった。りんごが食べると美味しい赤い木の実であるという「意味」なんか、すでに誰でも知っている。彼らにとって言葉を交わすことの醍醐味は、「意味」を共有してゆくことではなく、「感慨」を共有してゆくことにあった。つまり意味からの「飛躍=逸脱」として言葉が生まれてきた。彼らは、青い色のことを「かなしみ」とか「あこがれ」として表出していた。
 古事記におけるヤマトタケルは、瀕死の重傷を負いながら奈良盆地の手前まで戻ってきたとき、父である天皇から来るなと追い返され、
 たたなづく 青垣 山籠れる 大和し美(うるわ)し
 と詠った。
 この「青垣 山籠れる」の「青」には、大和の地に対する「深いかなしみ」や「遠いあこがれ」の入り混じった痛切の思いが込められている。そういう「暗喩」が隠されている表現だった。そして「山籠れる」もまた、その思いで胸の中がはちきれそうになっていることの「暗喩」にほかならない。
 古代のやまとことばは言葉の起源の姿をとどめていたから、そのとき誰もがそうした「暗喩」を読み取ることができた。
 言葉の起源は、「暗喩」という意味からの「飛躍=逸脱」だった。
 それは、この生からはぐれてゆくことであり、「この生は何かの間違いである」という無意識の感慨の上に立った表現だった。


 氷河期の北ヨーロッパを生きたネアンデルタール人は、日本列島の古代人よりもさらに環境から生きてあることを「許されていない」存在だった。 
 現代のヨーロッパ人の「これは違う」という執拗な探究心は、ネアンデルタール人以来の伝統だろうと思えます。ともあれ人類にそういう探究心がなければ、知能の進化発展もなかった。
 人類の本格的な知能(=知性や感性)は、「これは違う」と認識してゆくことにある。
 誰だってじつは、生きてあることに対する違和感を持っている。
 現代社会は、どうして「住みよく生きやすい社会をつくる」というスローガンを当然のように称揚するのだろう。それは、命のはたらきも心のはたらきも停滞してゆく状態であるのに。
 そのまどろみという停滞を、人は「幸せ」と呼んでいる。現代社会は、人が生きてあるのに幸せであらねばならないかのような強迫観念が共有されている。そうして、あるべき社会、あるべき人生、あるべき人格、そんな基準(規範)をつくって世界や他者を裁き、自分自身もその基準に縛られている。
 まどろみを得ようとする激情……幸せというまどろみを価値にすれば人の心が穏やかになるかといえば、そんなものじゃない。彼らこそ激情家であり、憎しみも激しく濃い。
 穏やかであるとは、「どうでもいい」ということでしょう。あるべき社会や人生や人格という基準(規範)を持ってしまったら、そこから外れたものを許せなくなる。
 幸せでないから穏やかでいられないのではなく、幸せであらねばならないと思うから穏やかでいられなくなる。平和で豊かな社会になりその価値に対する信奉が共有されてゆけば人びとの心は穏やかになるかといえば、そうとはかぎらない。平和で豊かであらねばならないと思うこと、それが人の心を騒々しくさせる。
「……であらねばならない」という基準(規範)を持ってしまったら、穏やかではいられない。穏やかであらねばならないと思うから、穏やかでいられなくなる。
 この世のすべてはどうでもいいのであり、すべては許されている。
「どうでもいい」と思うこと、すなわち「それは違う」と判断することが人間の思考の自然であり、「……であらねばならない」という基準(規範)を持つことではない。


 人が何かに熱中しているとき、それなりに無邪気で自然でいきいきとした表情になっている。そのとき心は、世界に対して豊かに反応している。しかし自閉症的な状態においては、世界に対する反応をやめて自分の中の予定調和(=ルーティンワーク)の世界に入り込んでおり、逆にひどく無表情で、ときに不気味であったりする。そのとき脳=意識はめまぐるしく活動しているのに、それでもそれが表情にあらわれない。
 たとえば、街中を歩いているとき、誰の脳も活動を停止していることはできない。それなりにまわりの世界に反応している。そうしないと人にぶつかってしまうし自動車に轢かれてしまう。しかしそのまわりとの関係においていきいきと反応していれば表情もいきいきしているが、人にぶつかるまい車に轢かれるまいと過度に緊張・警戒しているときの心は、自分の中の予定調和の世界に入り込もうとして、かえって反応が鈍くなってしまったり、表情がこわばっていたりする。それが自閉症であり、なんだかそんな陰惨な表情になって街を歩いている人はいくらでもいる。とくに中高年の大人に多い。大人になると、自分の中の予定調和の世界を生きようとする傾向がどんどん強くなってくる。彼らは、そうやって生きることを予定調和のルーティンワークにしようとする。彼らの脳=意識はめまぐるしくはたらいているが、世界に反応していない。
 そうした自閉症的傾向は、誰の中にもある。
 そのような大人に対して若者の表情がなぜいきいきしているかといえば、世界に対して無防備でいきいきと反応しているからで、つまり「もう死んでもいい」という無意識を持っている。大人になるとその無意識が希薄になって、天国や極楽浄土という死後の世界(=予定調和の世界)が欲しくなるし、生きてあること自体を予定調和のルーティンワークにしてしまう。彼らの心は活発にはたらいているのに、それでも無表情であったりわざとらしく不自然であったりする。彼らの心は、自分の中の予定調和の世界に入り込んで、今ここの目の前の対象に反応していない。
 幸せという予定調和の世界。現代社会では誰もがそんなものを欲しがるのだが、それでも人は「もう死んでもいい」という無意識のはたらきとともに生きられなさを生きようとする無防備な生態を持っているのであり、そこから心が華やいでゆき、人と人がときめき合う関係をつくっている。
 発達障害とか自閉症スペクトラムというとき、予定調和の世界に対する志向が強すぎて、心が華やいでゆかないし、ときめき合う関係がつくれなくなっている。反応が鈍いから自分からときめいてゆけないし、相手もときめいてくれない。そうして、同じ傾向の仲間どうしの予定調和の関係の世界をつくろうとする。これは共同体(国家)そのものの性格でもあり,そこからそうした病理的な気質が生まれてくる。われわれ文明人はそんな環境の中に置かれて生きているのであれば、ある割合でそうした病理的な気質が現れてくることはもう避けられないことだろうし、誰もがいくぶんかはそうした傾向を持たされてしまっている。
 ただ、それでも人はその予定調和の世界からはぐれて心が華やぎときめき合う関係を持っているし、その「はぐれてゆく」醍醐味を豊かにする装置として共同体(=国家)という予定調和の世界が機能している。このへんが、人の世のややこしいところでしょうか。
 人間はわざわざ生きにくさを生きて、そこからの解放として、自分を忘れ、世界にときめいてゆく。
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