漂泊者・ネアンデルタール人論25

 人類はかつて、ろくな文明を持たない原始人の身で氷河期の極北の地に住み着いていた。
 住み着いたのはどんな人々だったかというと、彼らネアンデルタール人は、生きるのが上手な人々だったのではなく、生きにくさを生きようとするメンタリティを色濃く持っている人々だった。
 原始人は、生きにくさを生きようとするメンタリティで拡散していった。拡散すればするほど生きにくい土地になっていった。人の心は、生きにくさを生きることによって華やいでゆく。そうやって人と人が豊かにときめき合う関係が生まれればもう、その新しい土地の生きにくさ=住みにくさはいとわなかった。そうしてその果てに氷河期の北ヨーロッパにたどり着き、ネアンデルタール人が登場してきた。
 氷河期の北ヨーロッパの歴史はあくまでネアンデルタール人の歴史であって、途中からアフリカのホモ・サピエンスが移住してきてクロマニヨン人になったのではない。そのころ(約3万年前)ヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない。
 アフリカのサバンナの民は、生きにくさを生きようとするメンタリティが希薄だから、人類発祥以来ずっとそこに住み着いてきた。
 何はともあれ人間にとって住みなれた土地がいちばん住みやすいのです。
 原始人は、より住みにくい土地住みにくい土地へと移住・拡散していった。
 彼らは、新しい土地の住みにくさ(生きにくさ)を厭わず住み着いていったのです。
 直立二足歩行の開始以来の700万年のあいだを住みなれた土地から離れようとしなかった人々が、700万年後のあるとき思い立って地球の隅々まで旅をして拡散していっただなんて、そんなことがあるはずないじゃないですか。
 住みなれた土地から心がはぐれていった人々が拡散していったのです。いつの間にかその新しい土地にさまよい来てしまい、ここまで来てしまったらもうここに住み着くしかないと思い定めていった。人類はそういうものたちがたくさん生まれてくるような生態を持っていて、その新しい土地でそういうものたちが寄り集まりときめき合うお祭り騒ぎになってゆけば、もう住みにくさは厭わなかった。
 現代人の旅にしても、あちこちから人が集まってくる観光地に出かけてゆくのがもっともポピュラーなかたちであり、それが人類の旅の普遍的な生態です。そうやって知らないものどうしが出会ってときめき合う体験をすることが、人類の旅の本質・自然です。
 旅をするものたちは、心が華やぎときめき合う。
 まあ人間の存在の仕方そのものが、そういう旅=漂泊の心の上に成り立っている。
 人と人は、この生からはぐれてしまった心でときめき合っている。
「共生関係=一体感」でときめき合っているのではない。
 みんな「ひとりぼっち」だし、「ひとりぼっち」の心でときめき合っている。「ひとりぼっち」の心に豊かな「ときめき」が宿っている。


 人がこの世に生まれ出てきて生きてあることは、ひとつの漂泊の旅なのでしょうか。
 誰だって、生きていればいろんなことと出会う。
 旅とは出会うことであり、「出会う」という体験によって人の心模様が紡がれてゆく。
 われわれが生きてある一瞬一瞬が何かと「出会う」体験だともいえる。意識のはたらきとは「出会いのときめき」である、ということ。われわれは、一瞬一瞬何かを思いながら生きている。心は、一瞬一瞬を生起しながら漂泊している。漂泊するとは、一瞬一瞬の「今ここ」を思い続けること、一瞬一瞬を生き続けること。
 まあ一般的には、原始人の心模様は単純な食欲や性欲や睡眠欲などに終始していて、現代人の心はそれだけではすまない複雑なものになっている、という問題設定で語られるのだが、それはたぶん違うと思う。
 原始人だって人間であり、人間はそれだけではすまない。700万年前に二本の足で立ち上がったときからすでにそういう存在になっていた。いや猿だって、そんな単純な欲求だけではすまなくて、群れの中の他者との関係をどうやりくりしてゆくかという問題を抱えて生きているし、一瞬一瞬の世界に対する反応としての心模様がある。怖がったりときめいたり怒ったり悲しんだり喜んだり、いろんな心模様を持っている。そして二本の足で立ち上がった人類は、さらにその水準を超えていった。
 生き物の心模様は、そんな単純な欲求や欲望だけでは説明がつかない。生き物は、生きようとして生きているのではない。生きてしまっているだけであり、その生きてしまっているさなかで、さまざまに世界に反応していっている。
 原始人がただ食いものや女を求めるという動機だけで行動していたわけでもないでしょう。そんな生きのびるための効率(生存戦略)を追及する欲求や欲望は、むしろ現代人のほうが強い。 
 人の心は、そういう生存戦略を忘れて漂泊していってしまう。漂泊してゆくとは、世界に反応してゆくということです。世界との出会いにときめいてゆくというか、ときめいたり畏れたりかなしんだりして心が動いてゆく、ということです。
 原始人にだって、生きてあることのかなしみがあり、漂泊する心があった。いや原始人のほうがもっと深く生きてあることのかなしみを持っていたのかもしれない。現代人よりも彼らの心のほうが、もっと深く生きのびることなど忘れて漂泊していた。
 原始人が生きのびるための衣食住の欲求だけで生きていたのなら、人類拡散は起きていない。衣食住の確保は、住み慣れた土地から動かないことこそもっとも効率的なのです。
 人類は、拡散すればするほど衣食住に困窮していったのであり、それでも拡散していったのは、もともと衣食住の欲求は希薄で、衣食住の欲求だけではすまない存在の仕方をしていたからです。
 衣食住の欲求が旺盛なのは現代人でしょう。それは生きのびるための条件であり、原始人は、現代人ほど生きのびることにあくせくしていなかった。現代社会の「金が欲しい」とか「出世がしたい」という欲求はそのまま生きのびようとする欲求であり、また「生活者の思想」などといって衣食住に耽溺してゆくことだって、つまるところ生きのびようとする欲求の上に成り立っている。
 原始人には、現代人ほどの衣食住に対する執着はなかった。
 というか、人類が衣食住に執着するようになってきたのは、近代になってからのことです。古代人だって、現代人ほどの執着はなかった。そんなことよりも彼らは、人と人がときめき合う「祭り=遊び」の体験にせかされて生きていた。それが「人類拡散」という歴史が意味するところです。つまり、原始人や古代人のほうがずっと「この生からはぐれてゆく=漂泊」という実存感覚を切実に持っていた、ということです。
 この生からはぐれてしまったものは、衣食住どころではないし、どんなに衣食住が不如意でも厭わない。それが原始時代の人類拡散の旅だった。
 ほんらいの人類の旅とは衣食住が不如意になることであり、それでも旅していったのです。そしてどんなものたちが旅していったかといえば、知能や身体能力が進化したものたちではなく、未発達なものたちだったのです。つまり、生きられない弱いものたちだった。生きられない弱いものたちだからこそ、生きられない状況を生きることができる。生きられない弱いものだからこそ、この生からはぐれて「もう死んでもいい」と思うことができるし、人の心はそこから華やぎときめいてゆく。
 旅をするとは、この生からはぐれてゆくことです。
 衣食住を満たす能力を持った者たちが旅していったのではない。そういう能力を持つためには生きのびようとする意欲が旺盛でなければならないし、生きのびるためにはその能力がもっとも豊かに発揮できる住み慣れた土地から離れてはならない。彼らはすでに「生きられない」状況を生きる生態を失っているし、「もう死んでもいい」という感慨を持つことはできない。そして、衣食住を満たすためには、それを阻害する要因を排除してゆかねばならない。生きられない弱いものがそばにいることも、その要因のひとつです。いちいち弱いものを助けていたら、自分の衣食住は満たせない。
 現代社会では自分の衣食住が満ち足りていることを正当化するために余った財力で弱いものを助けたりするが、原始時代においては、そんななことをしていたらたちまち自分の衣食住が目減りしてしまう。
 言い換えれば、自分の衣食住を忘れてしまえるものでなければ弱いものを助けることはできなかった。原始人は、そうやってこの生からはぐれながら生きられない弱いものを助けていったのです。つまり、この生からはぐれてしまった弱いものが、弱いものを助けていたのです。
 強いものが弱いものを助けていたのではない。それは、「富」という概念が生まれてきた近代社会の思想であり、「富」を正当化するために人間社会の人と人の関係をそのように規定しているわけだが、実際問題として、富を持ったものたちは、弱いものとの関係を切り捨てている。自己正当化のために余剰の富を弱いものに分け与えることはしても、弱いものとともに生きようとはしていない。一緒に飢えて生きるつもりなんかさらさらない。強い者ほど広い土地を占有したがり、弱いものたちは狭い共同住宅でひしめき合って暮らしている。
 弱いものと一緒に生きているのは、弱いものです。
 弱いものを助けているのは、いつだって弱いものなのです。


 トルコのチャタルヒュユクにある9千年前の世界最古の都市遺跡は、8千人がひとつの共同住宅で暮らしていた。つまり、都市自体がひとつの共同住宅で、そこではすべての家がくっついていて、出入り口は屋根(屋上)にあった。
 おそらくこの段階まではまだ、弱いものが弱いものを助けるという原始的な人間性が誰の中にも残っていて、土地と富を占有する「強いもの」はいなかったらしい。
 まあ現代社会の成功したものたちによる「みんなして生きのびよう」という偽善的なスローガンそのものが、生きられない弱いものを排除している。生きのびることに価値があるのなら、生きのびられないものの存在は価値がないことになる。
 しかし人間は、「生きのびられない」ことに対するいとおしさというか愛着の感慨を普遍的に持っている。 
 原初の人類が二本の足で立ち上がることは、不安定で非活動的で、食料獲得の能力も戦闘能力も失う姿勢だったのであり、すなわち生きのびる能力を失って生きられない猿になることだった。そうして、たがいのその生きられなさを許し合いときめき合っていった。
 生きのびられないことの輝きがある。そのことを感じて人類は「介護」という文化を生み出していった。
 人の根源・自然の感性においては、生きのびる能力を持ったものが生きのびることよりも、生きられないものが生きてあることのほうがずっと美しいのです。
 二本の足で立ち上がった原初の人類は、生きられない猿として生きはじめたのです。その不安定な姿勢によって彼らは、外敵から逃げる能力も、味方どうしが順位を争って戦う能力も喪失したのです。それでも生き残ってきたのは、外敵やライバルの猿から遠く離れた土地に住みにくさを厭わず住み着いていったからであり、味方どうしのときめき合う関係を豊かにしながら一年中発情して圧倒的な繁殖力を身につけていったからです。
 そのとき人類は、かんたんに死んでしまう猿だったが、それ以上にどんどん繁殖していったし、かんたんに死んでしまう弱いものを生きさせる文化をしだいに育てていった。それはつまり、生きのびられないことの輝きを見出していった、ということです。


 生き延びられないのなら、「今ここ」だけを生きるしかしない。そうやって人類は「今ここ」に焦点を結ぶ視線を獲得していった。世界が輝いて見えるとは、焦点を結んでいる、ということです。
 人間が見える景色と猿が見ている景色とは、たとえ視力は同じでもおそらくずいぶん違うはずです。猿はすべてのものが等価に見えているが、人間の視覚は、ときめく対象に焦点を結んで、まわりが少しぼやけている。
 猿はすべてのものが等価に見えているから外敵の出現もすばやく察知できるが、人間の視覚はときめく対象の一点に焦点を結んでまわりはぼやけているから気づきにくい。そのとき猿の意識はそれほどに緊張して落ち着きがないが、人間のそれは一点に集中している。そうやって人間は、探求したり感動したりしているわけで、猿には人間のような探求心も感動もない。その代わり、目の前の世界のすべてのさまを一挙にとらえる能力がある。猿のほうが自閉症的なのです。集中力があるからすべてを一挙に暗記できるのではなく、集中力がなくて極度に緊張しているからすべてをまとめて暗記してしまえるのであり、それが自閉症です。
 集中してしまえば、緊張なんかしていない。集中しているということは、まわりに対する警戒心がなくなっているということです。
 原初の人類は猿よりももっと弱い猿だったが、猿よりもっと警戒心=緊張感がなかった。そうして、「今ここ」の目の前の世界や他者という「一点」にときめいて(集中して)いった。
 原初の人類は、外敵の出現におびえてなどいなかった。もっと不埒にそんなことは忘れて「いまここ」の目の前の世界や他者にときめいていた。
 弱いものは、もともと逃げる能力も闘う能力もないのだから、緊張や警戒してなどいたら生きられない。敵のことなど忘れてしまうしかない。
 生きのびられないことこそ人間の普遍的な存在のかたちであり、生きのびられないものの緊張や警戒心のなさは人間存在の究極のかたちだともいえる。赤ん坊は、まさにそのことを体現している存在であり、赤ん坊の笑顔はきらきら輝いている。そうやって人は、「生きられない」ものに対するいとおしさというか愛着を抱いている。
 

 旅に出ることは、「生きられない」弱い存在になることです。
「なぜ?」と問う探究心も、自分を忘れて感動してゆくことも。本質的には「生きられない」弱いものになる体験であり、人の心はそこから華やいでゆく。
「生きられない弱いもの」であることの輝きというものがある。
 美人だって、この世に存在していることが不思議なというか、通常の存在から遊離している「生きられない弱いもの」です。
 人は、本質・自然において、誰もが「生きられない弱いもの」として存在している。
 そして「生きられない弱いもの」は生きのびようとする衝動を持っていないし、敵に対する緊張や警戒心がない。そのことの輝きというのがある。われわれはその輝きを赤ん坊の笑顔に見ている。
 たとえば内田樹上野千鶴子は、敵に対する緊張や警戒心で生きてきた人々です。だから彼らは「生きのびる」というスローガンを共有し、生きのびようとするのが人間の本性だと思っている。
 人は、敵に対する緊張や警戒心で生きて社会的に成功したり、精紳を病んだりしている。
 自閉症スペクトラムとは、敵に対する緊張や警戒心に閉じ込められることです。そうやって引きこもりになってしまう人も多いし、内田樹上野千鶴子のように唯我独尊の思想を紡いで人気者になったりする。まあ、敵に対する緊張や警戒心が強いから、唯我独尊の自意識が過剰になってゆく。唯我独尊のところにたどり着けば、自分の中の敵に対する緊張や警戒心を飼いならしてゆくことができる。彼らは、絶えず緊張し警戒している。だから、意識が自己の外の一点に焦点を結んでゆくことができない。内田樹によれば、意識が四方八方にあまねく張りめぐらされているのが武道の極意なのだそうです。まさに自閉症スペクトラムの論理です。意識が一点に焦点を結ぶことができなければ、他者の気持ちを感じることはできない。彼らはつねに、自分の頭に刷り込まれたデータをもとに他者の気持ちを裁量・分析してゆくばかりで、それが「四方八方に意識を張りめぐらす」ということです。彼らは、他者に対して何も感じていない。感じるという「出会いのときめき」がない。
「人を見る目がある」という。内田樹は、自分には人を見る目がある、と思っている。彼はつねに、あらかじめ自分の頭に刷り込んであるデータで人を分析してゆく。彼には、白紙の心で他者の気持ちを感じてゆく、ときめいてゆく、発見する、ということはできない。心が、この生からはぐれて漂泊していないのですね。「生きのびる」ことがスローガンなのだもの、この生からはぐれてゆくはずがない。もう予定調和の世界を生きているだけです。他人の気持ちなんかぜんぶわかるつもりでいる、人を見る目があるつもりでいる。
 人の気持ちなんか、感じるものであって、そうかんたんにわかるものではない。わかるつもりになれるのは感じていないからであり、自分の物差しで裁量・分析しているだけで。わかったようなことをいって他者を批判しても、「人はおまえほど俗物じゃない」ということがある。人は、おまえの俗物根性の物差しが当てはまるほどかんたんな存在ではない。人は、おまえよりももっと深く生きてあることのかなしみやいたたまれなさを抱いて生きている。人はおまえほど生きのびようとあくせくしているのではないし、おまえほどの敵に対する警戒心も緊張も持っていない。
 まあ内田樹が他者を批判するとき、いつだってようするに「彼らは敵に対する警戒心や緊張で心がゆがんでいる」という論理なのだが、「それはおまえだろうが」という話です。彼は、人間をそういう存在だという前提でしか見ることができない。そうして「私のように唯我独尊の境地になれば自分の中の警戒心や緊張に負けることはない、それが<大人>というものだ」という結論になる。つまり、「自分以外はみんなバカ」という論理。そして、みんながそういう論理を持てればいい世の中になるんだってさ。そうやってさかんに啓蒙・煽動している。みんなが彼のような自閉症スペクトラムになるのがいい世の中なんだってさ。
 まあ、社会的な成功者になれば唯我独尊の自意識で生きてゆけるに違いない。しかしそこに人間の本性・自然があるわけでもないし、成功者になれなければその唯我独尊が自分の首を絞めて精神を病んでしまったりする。
 内田樹だって、すでに精神を病んでいる。社会的な成功者だから、健常者のふりをしていられるだけです。
 彼等には人間的な漂泊の心がない。
 人の心は、この生からはぐれてゆく。そうやって人は旅にでる。そうやって心は華やいでゆく。まあじっさいに旅に出なくても、生きてあることそれ自体が、この生からはぐれてゆく漂泊の旅なのではないでしょうか。


 日本列島の伝統としての「漂泊の心=無常感」は、西行から芭蕉にいたるじっさいに旅をしたものたちと、旅をしないでひたすら小さな庵にこもっていった兼好・鴨長明や一休・良寛などの隠遁者の系譜とがあるのだが、どちらも「漂泊者」であることに違いはない。踊念仏の一遍に対する禅の道元、と言い換えてもよい。
 両者の違いをいうとすれば、前者は芸術家(表現者)で後者は思索家だった、ということになるのでしょうか。どちらも、心がこの生からはぐれ、そして「今ここ」の目の前のこの世界や他者にときめいていた。
 心がこの世界の一点に焦点を結んでゆくことが漂泊であり、心が絶えず世界のすべてに対して警戒し緊張しているのが自閉症スペクトラムです。それは、文明の病であって、原始人の心模様ではなかった。それは、人間性の普遍・自然ではない。
 人類はもともと漂泊者だった。そうやって心がこの生からはぐれながら、人類拡散が起き、人間的な知性や感性が生まれ育ってきた。それは、生きのびようとする自意識、すなわち世界に対する警戒心や緊張から生まれ育ってきたのではない。心がこの生からはぐれながら「今ここ」の目の前の一点に焦点を結んでゆくことによって、人間的な表現や思索が開花してきた。
 この世の弱いものたちは、生きのびようとして世界に対する警戒心や緊張を生きているのではない。それはむしろ、強いものの心模様です。もともと猿よりも弱い猿だった人類は、700万年かけてやがて文明を生み出し、万物の霊長になった。人間性の根源・自然においては今でも二本の足で立っている弱い猿なのに、現象的には地球上でもっとも強い生き物として存在している。弱い猿が生きのびることのできる強いものとして存在している社会の構造によって、人の心にたえざる警戒心と緊張を強いるようになった。そういう社会の構造が、自閉症スペクトラムを生み出している。
 人間は万物の霊長だから生きのびることのできる強いものであらねばならないという強迫観念によって心を病んでゆく。そういう社会の構造が、絶えず警戒心と緊張で生きることを余儀なくされている自閉症スペクトラムを生み出してゆく。
 衣食住に耽溺して「生活者の思想」を気取ることだって、現代社会の構造から生まれてくる一種の自閉症スペクトラムですよ。「スペクトラム」とは「変容」というような意味でしょう。現代社会の多くの現象が、たえざる警戒心と緊張を生きる自閉症スペクトラムの変容として機能している。子供のときから塾通いをしていい大学やいい会社に入って強いものとして生きねば生きたことにならないという強迫観念に浸されていることだって、たえざる警戒心と緊張の自閉症スペクトラムそのものでしょう。
 しかしそれでも人の心の根源・自然は、今でも生きられない弱いものであるところの「漂泊者」としてはたらいている。人間の本格的な知性や感性は、そこでこそ生まれ育ってゆく。
 この世の弱いものたちの心は、この生からはぐれながら「もう死んでもいい」という感慨とともに、「今ここ」の目の前の一点に焦点を結んでいる。一点に焦点を結んでゆきながら消えてゆく。人は、そうやって生き、そうやって死んでゆく。
 人間なら誰の中にも「漂泊者の心」が宿っている。
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