中世とルネサンス・「天皇の起源」28


能の源流は、平安時代に生まれてきた「猿楽」にあるといわれている。しかし最初はただの曲芸とか手品とか物真似のようないわゆる大道芸だったのだとか。
そのころ先輩格のライバルとして「田楽」があった。こちらは田植えの前に豊作を祈る「田遊び」から生まれてきて、もっと本格的な歌い踊る芸だった。
そしてこの二つが競い合いながら、猿楽も歌い踊る要素を取り入れてゆき、やがて能のかたちになっていった。
そのとき田楽は、伝統的に確立された歌い踊るかたちがあったから、あまり新しい試みはできなかった。それに対してそのような制約のなかった猿楽は、どんどん新しいスタイルをつくってゆき、最終的には人気において田楽を凌駕していった。
だから能の様式は伝統を壊すものだったかといえば、そうともいえない。
田楽の方が、すでに大陸的な歌や踊りに染められたものになってしまっていて、能は日本列島本来の伝統の舞に立ち返ることによって人気を博していったのだった。
まあ、どちらもそのころ流行していた曲舞(くせまい)というストーリー性を持った踊りの要素を取り入れながら競争発展してきたのだが、思想が違った。田楽は保守的で、猿楽には新しい時代の世界観があった。
能は、観阿弥世阿弥の親子によって確立されたといわれている。彼らが活躍した14世紀15世紀は、西洋でも「ルネサンス」という潮流が起きてきた時代だった。
中世とは、世界的に共同体の制度性に人々の観念が支配され停滞している時代で、そこから解き放たれようとするのがルネサンスだった。
だいたい支配者とかオピニオンリーダーとかが「新しい社会をつくろう」と扇動することこそ社会が停滞することの元凶になっているのであり、そんな未来のことなどどうでもいいという古代あるいは原始の精神に立ち返ろうとするのがルネサンスだった。



田楽の芸は、まず言葉の意味を詠い上げることが先にあって、それに合わせて踊りがついてくるというかたちだった。つまり、もともと豊作祈願という欲望達成の観念制度を止揚する芸であり、どうしてもそこから抜けられなかった。
時代とともに社会の生産性は上がってきたはずなのに、中世の人々の暮らしはよくならなかった。それは、共同体の制度の発展とともに権力による搾取や締め付けがどんどん進んでいったからであり、それに耐えかねた農民がドロップアウトして漂泊民というか浮浪者になってゆくことも頻発してきた。
中世は、民衆が、歴史上もっとも共同体の制度から縛られ追い詰められている時代だったのかもしれない。
権力支配=制度性の暴走が止まらなくなってしまっている時代、そのような状況から一遍の踊り念仏や親鸞浄土真宗日蓮宗禅宗などの新しい仏教が次々に生まれ、隠遁というドロップアウトするライフスタイルも流行してきた。
つまり、制度的な欲望達成のスローガンが空しいものになってきており、そのスローガンに沿った田楽の歌や踊りはしだいに色あせていった。
一遍の念仏集団の踊りはかなり卑猥なものだったといわれているが、それは縄文的な男と女が向き合って腰をくねらせるようなものだったのかもしれない。そういう、人間の自然に立ち返ろうとするムーブメントだった。
ヨーロッパのルネサンス古代ギリシャのおおらかさに戻ろうとするものだったとすれば、日本列島の場合は、共同体(国家)が生まれる以前の縄文・弥生時代に立ち返ろうとするものだったのかもしれない。
そしてこのことは、現在のこの国の状況にも通じている。バブル景気のころはひとまず欲望達成の時代だった。しかし今やもう、その観念性を標榜するだけでは生きられない時代になってきている。べつにそれほどひどい時代というわけでもないのだが、人々がその観念性に支配されているから、停滞感や閉塞感が募っている。
社会の制度性にとりつけばうまい汁が吸える。バブルのころのそういう観念性から抜けられないから「新しい社会をつくろう」と扇動するのであり、抜けられないからうまい汁を吸えないものたちの閉塞感が募る。
欲しがらなければどうということもないのだが、欲しがるから欲求不満になる。なんだかしらないが、いまどきは欲望達成のためのマニュアル本ばかりが溢れている。知識人や政治家の「新しい社会をつくる」という提言自体が、欲望達成のマニュアルの発想にすぎない。
欲望達成が叶わない時代なのに欲望を持ってしまうことの閉塞感。
厭世感……能が生まれてきた時代も、そういう気分がどんどん広がっていった時代だった。
世阿弥が完成させた「幽玄(夢幻)能」とは、あの世とこの世が交錯する物語であるが、それもまたそういう厭世感の反映だったのかもしれない。
能の「あの世」は、極楽浄土ではない。ほとんどはこの世に悲しみや恨みつらみを残していったものたちの世界である。
どうやら中世の人々は、死んだら極楽浄土にいけるなどとは思っていなかったらしい。それは、生きてあるこの世を嘆きつつこの世を受け入れ肯定してゆくという思想であり、この世の欲望達成などというものを当てにしていなかった。現代人のような、欲望を達成することが生きることだ、という人生観ではない。
死者の世界(あの世)を描く夢幻(幽玄)能は、この世を嘆きつつ受け入れるという、じつはとても現実的な世界観であり美意識なのである。
現在のこの国においても、若者たちはもう、大人ほどの欲望は持っていない。彼らは、欲望という制度が生まれる前の社会の意識に立ち返ろうとしている。
ルネサンスは、昔の社会を再現しようとするムーブメントだったのではない。誰だって、いまここの社会を受け入れて生きてゆくしかない。ただ、意識の持ち方がこのままではもう生きてゆけない状況になっている……人々の心にそういう感慨があった。
現在だってそうだろう。「新しい社会をつくろう」などと扇動されても民衆は白けてしまう時代になりつつある。表層的にはその扇動に乗せられつつも、心の奥のどこかしらでその気になりきれていない。



何が新しい思想かということは単純には決められない。どのような社会をつくるかという欲望達成の論理で語ることはもう古い、未来のことなど思わず「いまここ」をどのように受け入れてゆくかという問題があるだけだ……猿楽能の発展とともの生まれてきたこの中世の新しい思想は、縄文・弥生時代の意識に立ち返ることでもあった。
「新しい社会をつくる」という発想自体がもう古いのだ。それは、われわれが戦後からバブル景気のころまでの50数年間掲げてきた色褪せたスローガンにすぎない。
もう、そんなスローガンで生きられる時代ではない。べつに豊かになるとかならないとかということ以前に、思う通りの新しい社会などつくれなくなっている。どんなに新しい社会を描いても、つねにそのつど変更するほかない状況が生まれてくる。評論家の経済予測なんか、当たったためしがない。
多くの識者が原発をぜんぶ停めてしまうべきだと扇動し、表層的にはひとまず誰もがそうだと思っても、その通りにはならなかった。そのことで為政者をなじってもしょうがない。そういう「なりゆき」だったのだ。われわれは、心の底では「新しい社会」をつくるということに興味などなかった。「いまここ」の「なりゆき」を受け入れて生きてゆくしかないと思っていただけだ。ほんとに国民の誰もがしんそこ反対していたら、為政者だってそんなことはできない。
原発再稼働は、げんみつには為政者の意志だけで決まったのではない。避けがたい「なりゆき」としてそういう状況があった。「新しい社会をつくる」などという欲望達成の論理にはもう興味がない、という気分がすでに蔓延しまっているのかもしれない。この国には、良くも悪くもそういう歴史的無意識がはたらいている。
どんなに「新しい社会をつくる」と意気込んでも、その通りにはならない。そういう避けがたい「なりゆき」がある。
みんなが同じことを考えている社会なんかつくれない。
誰もがあなたたちのいうことに賛同しなければならない義理などない。
こんなにも未来予測が当たらない時代を生きていたら、未来を決定することの虚しさは誰だって感じるだろう。
しかし、そんな状況だからこそ、「いまここ」に豊かに反応してゆく体験も生まれてくる。そのようにして「かわいい」というポップカルチャーのムーブメントが起こってきた。



未来を思わないことは、それほど愚かなことでも不幸なことでもないのかもしれない……誰の中にもそんな気分が湧いてきたのが中世の無常観だった。そうして死者の世界との交錯を描く夢幻(幽玄)能が生まれてきた。それは、未来を思わず、死を「いまここ」のものとしてイメージしてゆくドラマだった。
能における「あの世」と「この世」の往還は「いまここ」の「空間」の移動であって、「時間」の移動ではない。
中世は、未来を思うことに挫折した時代であるのではない。「いまここ」が見い出されていった時代だった。何に挫折したかといえば、社会の制度性を当てにすることに挫折したのだ。現代のこの国と同じように「新しい社会をつくる」などという空念仏を人々が信じなくなっていった時代だった。
その後の戦国乱世の時代を、いったい誰が予測しえただろうか。それは、支配者たちと民衆との意識の落差がどんどん大きくなっていった時代であり、支配者たちが勝手に混乱して自家中毒を起こしていったのだった。
日本人の誰もが戦国乱世の無法者の気分で生きていたのではない。
そのとき、支配者(武士)たちと民衆との連携が希薄になり、人の住む町では戦争をしないという原則が壊れた。そんなことをしたらその後の税の徴収に支障をきたすというのに、そんなことはもうかまっていられなかった。それほどに支配者たちは自家中毒を起こしていた。
民衆が混乱していたのではなかった。民衆レベルでは戦国乱世でもなんでもなかった。
あの東日本大震災のときに大した混乱が起きることもなく人々が粛々と連携していったように、日本列島の住民は、そういう戦国乱世の状況が起きてもたちまち誰もが無法者になってしまうというような民族ではないのである。 
その室町時代にこそ、衣食住のこととか芸能とか商業とか、そのような日本的な文化の基礎が確立されていったのだ。それは、仏教伝来以後に大陸文化に染まりすぎた部分をいったん整理し、純粋な「和風」文化が確立された時代だった。
つまり、縄文以来の伝統を取り戻したのだ。
とはいえ、そのころの人々は、縄文・弥生時代など意識していなかっただろう。それでも、社会の制度性を忘れてしまえば、そんな制度などなかった時代の人々と同じような意識になってゆく。そうやって「和風」文化が洗練し確立されていった。それが、この国の「ルネサンス」だった。
この国には、そういう共同体(国家)の制度なしに社会をいとなんできた長い歴史があった。中世のそのとき大陸では、すでに5000年の共同体(国家)の歴史があった。しかし日本列島では、まだ1000年しかたっていなかった。そしてそれは、共同体の歴史が浅かったということではなく、共同体のない歴史が長かった、ということだ。
この国には、共同体(国家)の制度性になじめない伝統があり、そういうところからこの国独自の文化が生まれ洗練してきた。



中世の人々は、死んだら極楽浄土に行けるなどとは誰も思っていなかった。能が描く死者の世界は、悲しみや恨みつらみばかりの世界で、極楽浄土ではなかった。
つまり彼らは、そのようなかたちで「いまここ」の世界を肯定していた。けっしてのどかで平和な時代ではなかったはずだが、それでも彼らは、「いまここ」に生きてあるという現実を受け入れてゆき、「いまここ」に豊かに反応していった。
その豊かな反応として、能や仏教をはじめとするさまざまな新しい文化が生まれてきた。
そしてその新しさとは、「いまここのなりゆきに身をまかせる」という日本列島の伝統的な精神風土に遡行することであって、作為的に何か新しいものをつくろうとすることではなかった。そういう作為性が無効になっていったのが中世だった。
たしかにそのときの猿楽という能は、新しい舞のスタイルだった。しかしそれは、アクロバティックな動きで装飾してゆくことではなく、逆にひたすらよけいな動きをそぎ落としてゆくことにあった。
もともと曲芸だった猿楽が、もっともシンプルな動きの能として完成してゆくというのも何やら皮肉だが、そのシンプルな動きに感動している民衆がいたということも考えさせられる現象である。
動きをシンプルにすればするほど、人気が上がっていったのだ。
日本列島の民衆は、シンプルな動きの舞に感動する伝統があった。
おそらく弥生時代奈良盆地の巫女の舞も、とてもシンプルな動きだったのだろう。
日本列島の舞は、動きのおもしろさよりも、「姿」の美しさが大切にされる。能の発生は、「姿」の美しさを表現する舞に遡行しようとするムーブメントだった。
弥生時代の巫女も中世の猿楽能の役者も、立っているだけで美しいという「姿」を持っていたのだろう。
人々は、その「姿」を鑑賞していた。
「姿」は、「いまここ」のものであって、時間の推移の上に成り立ったものではない。
日本列島の民衆にとっての時間は、「いまここ」の「点」の連なりであって、過去から未来に向かって飴の棒のように延びた「線」ではなかった。おそらくそのような時間意識、すなわち未来を思わない無常観とともに「姿」に感動していったのだ。
中世は、「姿」に対する感受性がどんどん鋭敏になっていった時代だった。それはつまり、「いまここ」に対する感受性がどんどん鋭敏になっていった、ということだ。
そうして、バブル景気が消えた現代社会もまた、未来を思わない「いまここ」に対する感受性が鋭敏になりつつある時代なのではないだろうか。だから、原発反対運動が実らなかったし、「かわいい」のムーブメントがさかんになっている。
「新しい社会をつくる」という発想そのものがもう古い。人間には新しい社会などつくれない。新しい社会は自然な「なりゆき」によって生まれてくるだけである。
そして「いまここ」が新しい社会なのだ。そう思い定めるのが日本列島の伝統であり、中世の無常観だった。



そのとき、新しい芸能を目指した田楽が衰退して自然に遡行しようとした猿楽=能が人気を博してゆくという皮肉が起きた。
猿楽そのものにしても、最初から能のような芸を目指して発生してきたのではなく、むしろ最初の曲芸や手品などとは正反対のかたちになっていた。それはつまり、どんなスタイルも目指していなかった、ということだ。ただもう「なりゆき」にまかせていった結果として能のかたちになった。
新しいかたちを目指しているものが人気を博するのではない。「いまここ」の「なりゆき」に沿っているものに人々は関心を寄せる。だから、「新しすぎてはいけない、半歩先のものが流行になる」などといわれる。
人間がイメージした「新しいもの」など、「新しいもの」にはならない。「新しいもの」は「なりゆき」が決める。
おそらく猿楽の方が「なりゆき」に対する感受性があったし、「なりゆき」こそ猿楽の芸のコンセプトだった。
中世とは、未来を予見することが困難な時代だった。おそらく現在もまた、同じような時代なのだろう。誰もが決められたレールの上で生きてゆける時代ではない。われわれはいまなお経済繁栄という既定路線を歩んできた戦後社会の余韻を引きずりながらこの社会のレールを決めようとし、個人もみずからの人生のレールをつくろうとしているが、心の底ではすでに「なりゆき」を受け入れようとしはじめている。日本列島には、そういう心の動きの伝統があるし、それが普遍的な人間性なのだ。
人類の歴史においても個人の人生においても、人がレールの上を歩んでいる時代など論理的に存在するはずがない。人間の意識においては、昨日も今日も明日も同じように生きても、そのつどそのつどの新しい「いまここ」として点を打っているのだ。ことに日本列島では、そのような感じ方をするのが伝統的な時間意識になっている。
言い換えれば、「いまここ」に点を打てなくなっているのが現代の病理である。
共同体(国家)が存在しない原始社会では、みなそのようにして生きていた。そして中世の猿楽能は、このかたちのイマジネーションを「ルネサンス」として復活させた。



中世とは、共同体に対する鬱陶しさが極まって、誰もがけんめいに人間の自然に遡行しようとしている時代だった。
現代社会だって、人間の自然が模索されている時代であるのだろう。
人間の自然は「新しい社会」など目指さない。
人間が意図してつくった社会なんか、必ず喜ぶものと嫌がるものがいる。
自然な「なりゆき」で生まれてきた社会なら、誰もが受け入れる。
日本列島の住民は、そういう「なりゆき」を受け入れる民族である。
人間の自然においては、この社会もこの身体も、鬱陶しい対象であると同時に受け入れるしかない対象でもある。だから、この社会に対してもこの身体に対しても「なりゆき」にまかせ「なりゆき」に敏感になる。
能の舞は、人間の自然に遡行し、「なりゆき」にまかせた身体作法である。それは身体の物性に対する鬱陶しさから生まれ、その美しさは「空間性」にある。
生き物の意識は、身体の物性から離れてゆく運動性を持っている。身体の物性の疎ましさ。人間は、ことにそういう意識が切実である。身体の物性を忘れているときにこそ、もっともたしかに生きた心地が汲み上げられる。
中世は、そのような「自然」として舞の「空間性」が再発見された時代である。
舞の美しさは「空間性」にある。そしてそれは、空間を「移動」することによって表現される。
舞の表現は、「肉体のセクシュアリティ」の表現と「身体の空間性」の表現とがある。猿楽の起源としての曲芸は「肉体のセクシュアリティ」の表現であり、このかたちをそぎ落としながら「空間性」の表現を獲得してきた。そうして能におけるこの世とあの世の交錯というかたちは、究極の空間移動だといえる。
空間の移動こそ、能の舞の真骨頂である。



猿楽はつねに身体の自然を追求してきた。それに対して田楽は「言葉」の制度性から抜けられなかった。この違いが、その後の両者の歴史の明暗を分けた。
田楽はその制度性によってはじめの一時期には権力の寵愛を受けたが、その制度性によってやがて民衆から見放されていった。
制度という物性、中世は、いろんな意味でその「物性」の鬱陶しさが際立ってきた時代だった。
この社会もこの身体も、物性を持ってきたときに鬱陶しいものになる。「新しい社会をつくる」ということであれ、支配と被支配の制度性が強化されることであれ、この社会が物性を持った対象として立ちあらわれている状態である。
社会とは、つくることのできる物性を持った対象であるのか。
この社会やこの身体がさっぱりとした空気のような対象であればと願うのは、生き物としての自然である。
われわれはもう、社会をつくろうとすることに疲れた。戦後からバブル景気までの五十数年をその目的で突っ走ってきたのだが、今はもうそのことが困難になってきたし、そのことの不自然に気づきはじめている。
未来などというものはない、「いまここ」の「なりゆき」だけが現実であり真実であると思い定めて生きているのが人間の自然である。美は、そこにこそある。
「なりゆき」とは、身体が勝手に動いてしまうことである。野球のバッターでもピアニストでも、身体が勝手に動いてしまうレベルになるまで練習する。舞の美しさもそこにこそあるわけで、じつはその作為性のおよばない「なりゆき」が人間社会の動きの根源のかたちでもある。
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