「漂泊論」・1・直立二足歩行の旅心

   1・はじめに
このテーマでは一度書いたことがあるのだが、5年たったし、もう一度やり直してみようかと思う。あのころよりは、もうちょっと深く遠くまで分け入ってゆけそうな気がしている。
内田樹先生や上野千鶴子氏が、「上機嫌」であることをこの生のテーマに語るのなら、僕はもう徹底的に「嘆きかなしむ」心の世界に分け入っていこうと思っている。これが、これから書こうとしている「漂泊論」のテーマだ。
あのアホどもには、ほんとにうんざりだ。
日本列島の伝統としての「漂泊=旅」の心性、みたいなこと。それを通して、現代を生きるわれわれの生きにくさや希望や美意識や生命観などの原型を探ってみたい。
気取っていえば、日本的な心性の源流に遡行する旅、ということだろうか。
日本列島の住民は旅が好きで、その旅とは、漂泊することだった。
漂泊の旅には、「もとのところに戻ってくる」という目的がない。「住めば都」というように、たどり着いたところがそのまま故郷であるような旅心がある。
中世以来、武士はどこへでも移住してゆき、移住していった先がたちまち故郷になっていった。つまりそういう習慣がかんたんに定着していったということは、じつは日本列島の歴史がはじまって以来の、そんな心性の伝統があったからだろう。
日本列島の歴史は、1万3千年前に氷河期が明けて海面が上昇し、大陸から切り離されたところからはじまっている。
江戸時代に会津に移っていった武士や職人や農民はたちまち会津の人間になっていったし、三内丸山遺跡に移っていった縄文人は、たちまち三内丸山遺跡の住民になっていった。
弥生時代には奈良盆地が日本列島でいちばん人口が密集した地域であったが、そこだけが食糧事情に恵まれてとくにダイナミックな人口爆発が起きたというわけではなく、列島中からそこに人が集まってきた結果であるはずだ。そうしてみんな、たおやかな山並みに囲まれた奈良盆地の景観を「まほろば=理想郷」として愛着し、ここが自分の死に場所だと思い定めて住みついていった。
古代以前の旅なんか、宿も地図もまともな道も乗りものもない、どこで野垂れ死にするかわからない旅だった。たどり着いたところが故郷だという気分が持てなければ、旅なんかできなかった。奈良時代には、旅人が野垂れ死にをすることなど日常茶飯事で、その死体の始末をどうするかという、長年の習俗から生まれてきた法律もあった。
われわれ日本列島の住民にとって生まれて死んでゆくこと自体がひとつの漂泊の旅にほかならない。
さすらう、といってしまうとちょっと気恥ずかしいが、日本列島の住民にとっては、生きてあることの気分そのものが、ひとつの漂泊の旅である。
ともあれこの考察は、直立二足歩行の起源のところからはじめなければならない。それによってはじめて「普遍」が見えてくる。
・・・・・・・・・・・・
   2・直立二足歩行は効率的な歩き方か?
人類は、いつから旅をするようになったのか。
たぶん、直立二足歩行をはじめたときから、すでにそんな習性になっていたのだ。
猿が二本の足で立ち上がることは、不安定な姿勢だし、胸・腹・性器等の急所を外にさらして、生き物としては極めて危険である。このことによって人類は、猿よりも弱い猿になった。
しかしその姿勢は、歩くにはとても効率的で、どこまでも歩いてゆけるようになった。こうして、人類の旅をする習性の歴史がはじまった。
四足歩行の動物は、どうしても歩かねばならない事情がないかぎり、すぐ歩くのをやめてしまう。それは、自分の意思で足を動かしているからで、動かそうとする意識がなくなったら足の動きも止まってしまう。
しかし二本の足で立っている人間は、体の重心を前に倒すだけで、勝手に足が動いてゆく。だから、景色を眺めたり考えごとをしたりして意識が足から離れてしまっても、足が勝手に動いて歩き続けることができる。
動物は、景色に見とれたり考えごとをしていると、自然に足が止まってしまう。歩きながらまわりの気配をうかがっている動物なんかいない。そんなときは、かならず立ち止まっている。
人間が長く歩き続けられるのは、意識の問題である。直立二足歩行をすれば疲れない、というわけではない。二本の足で全体重を支えているのだから、疲れないはずがない。おそらく、四足歩行よりももっと疲れる。長く歩き続けると、足が棒のようになってしまう。
足が棒のようになっても歩き続けられるのが直立二足歩行なのだ。そのとき、景色に見とれたり考えごとをしたりして、足のことなんか忘れてしまっている。
人間は長く歩き続けることができるが、疲れないわけではない。長く歩き続けて疲れるということが骨身にしみているから、乗りものを生み出したし、「座る」という文化も生まれてきた。
人間が歩き続けることができるということは、歩き続けて疲れ果てている存在である、ということでもある。
漂泊の文化とは、疲れ果てているところから生まれてくる文化のことだ。人はそこにセックスアピールや生きてあることの醍醐味を見出していった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   3・伏す
古いやまとことばでは、座ることを「伏(ふ)す」といった。
この「ふ」という音韻には、日本列島の住民のさまざまな感慨がこめられている。
「ふす」「ふる」「ふむ」「ふく」「ふかす」「ふける」「ふさぐ」「ふえる」「ふるえる」等々、これらの動詞の頭についている「ふ」には、ある共通したニュアンスが含まれている。
「ふふ」と笑う。「ふうっ」と安堵したりため息をついたりする。
語源としての「ふ」は、歩き疲れて座り込んでゆくときに洩れてきた音声である。「終了」「結果」「消去」の語義。古代人は、この音韻にことさらの愛着があったらしい。「ふす」だけでも、「伏す」「付す」「臥す」「附す」「賦す」と、さまざまなニュアンスがある。
日本列島の漂泊の文化は、「伏す」の文化でもあった。野垂れ死にとは「伏す」ことであり、それもまたひとつの文化であった。
そしてそれは、直立二足歩行の起源を引き継いでいる文化でもあった。
人間が長く歩き続けることができるということは、疲れ果ててしまう存在でもある、ということだ。
「病に伏す」という。それは、まず体の変調に気づき、やがて「病に伏す」という状態にたりつくことだ。「伏す」とは、「たどり着く」ことでもある。だから「たどり着く」という意味で、「歳をふる」といい「古(ふる)い」という。「雨が降(ふ)る」ことは、空の雨が地上に「たどり着く」現象である。
そのようにして日本列島の住民は、いろんな現象を漂泊の旅になぞらえてイメージしている。
「気持がふさぐ」の「ふさぐ」は、「伏す」から派生してきた言葉にちがいない。いやなことや辛いことがあれば、人はそういう心の状態にたどり着く。このときの「ぐ=く」は、「苦しい」の「く」である。「嘆く」の「く」と同じ、「たどり着く」の「く」もまた「疲れ果てる」というニュアンスを含んでいる。
「伏す」は、「たどり着く」ことであると同時に「疲れ果てる」ことでもある。
・・・・・・・・・・・・・・・
   4・疲れ果てる
漂泊の旅は、疲れ果ててたどり着く旅である。そしてこれが、われわれの生きてあるかたちである。人間はそういう存在であるがゆえに、さまざまな文化や文明を生み出してきた。
まったく、「上機嫌で生きている」などといって薄っぺらな自慢をするなよ。そんな安っぽいポーズで格好つけたって、みっともないだけだ。そんな安っぽいポーズで格好をつけるおまえらに、いったいどれほどの美意識や人間についての深い思考があるというのか。
人間は、長く歩き続けて疲れるということが骨身にしみているから、「たどり着いたところが故郷だ」という気分になる。そうやって原始人は、地球の隅々まで拡散していった。歩き続けてもとのところに戻る気力も体力も残っていなかったから、地球の隅々まで拡散していったのだ。
人間は、歩いている足のことなど忘れてしまうほどに景色に対して親密になってゆく存在であり、漂泊の心性は、直立二足歩行のはじまりとともに生まれてきた。
足のことなど忘れて歩き続けているうちに疲れ果ててしまっているのが人間なのだ。すなわち人間は、この世界にときめいて疲れ果てているのだ。生きようとするのではない。すでに生きてしまっているのだ。われわれは、すでに歩き続けてきてしまっている存在なのだ。そのようにときめきながら生きてしまって、気がついたら疲れ果てているのが人間存在のかたちである。
そうやってわれわれは、疲れ果てて眠りにつく。そうやって生き、そうやって死んでゆくのだろう。
_________________________________
_________________________________
しばらくのあいだ、本の宣伝広告をさせていただきます。見苦しいかと思うけど、どうかご容赦を。
【 なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか 】 山本博通 
幻冬舎ルネッサンス新書 ¥880
わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

幻冬舎書籍詳細
http://www.gentosha-r.com/products/9784779060205/
Amazon商品詳細
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4779060206/