「ケアの社会学」を読む・52・死んでしまう命

ここまでくると、どうしても「生命の発生」みたいなことを考えたいわけだが、それはちょっと、僕の知識では手に負えない。
かといって、ここでやめるわけにもゆかない。
だから、こわごわ、そろりそろりと書き進んでいる。
参考文献なんかありません。自分の思考だけが掘り進む道具です。
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   1・生物の発生
この地球上で最初に生物が発生したとき、何か環境に異変が生じたのだろうか。無生物でも化学変化というのは起こるのだから、塵のようなものが生物に変わってゆくことはあるにちがいない。
何もないところから生物が発生したのではあるまい。何かが生物に変わっていったのだろう。そして、急に変ったのではなく、だんだん変っていったのだろう。
生物と無生物のあいだには無限の隔たりがあると同時に、無限のグラデーションがあるのだろう。分子は生物だという説と生物ではないという説と両方あるのだとか。それはきっと、何かが生物に変わっていった、ということを意味するのだろう。
それは、生物に進化していった、ということか。それとも、退化してゆくことだったのか。
その塵は、環境に順応して塵であることができなくなってゆき、生物になった。つまり、つねに塵であり続けるというフィードバックの能力を失ったものが生物になっていったのではないだろうか。
もしも、原初の塵が生物に変わったのなら、生物とは先験的にフィードバックの能力を喪失している存在である、ということになる。
最初から生物だった、というわけではあるまい。この世界の最初に生物が存在し、その生物の一部が無生物に派生していった、というわけではあるまい。
無生物から生物が派生してきたのだろう。だったら生物とは、先験的にフィードバックの能力を喪失している存在だ、ということになる。フィードバックの能力を喪失して生物になったのであり、生物とは先験的にフィードバックの能力を喪失している存在である、ということになる。
生物が死ぬということは、フィードバックの能力を喪失している、ということではないだろうか。
フィードバックできないことが、生物の生きてあるかたちなのではないだろうか。
生物の発生とは、あるとき無生物のままでいることができなくなってしまった、ということではないだろうか。環境の変化に対応して生物になったのではない、対応できなくなって生物になってしまったのだ。
内田樹先生や上野千鶴子氏は、「自分が床の間の置き物の壺だったらどんなに幸せだったことか」という感慨など持ったことがないだろう。あんなにも美しく完全に存在することなど、どんな人間にもできない。人間の美を鑑賞する心は、そういう感慨(=嘆き)の上に成り立っている。そういう感慨(=嘆き)を持っていないから、彼らはセンスが悪いし、人間としても野暮ったいのだ。
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   2・生まれたからには、死ぬまで生きているしかない
フィードバックできないから生物なのだ。
フィードバックできないことを「命」という。
命は、たえず「上書き」されてゆく。
無生物に何かが上書きされて生物になったのだろう。
しかし上書きするとは、何かを獲得することではなく、何かを喪失することである。
無生物ではいられなくなって、生物になったのだ。
「命」とは、喪失する機能である。
進化とは、何かを喪失してゆくことである。原初の人類が二本の足で立ち上がったことはまさしくそうした事態だったのであり、生物の進化そのものがそのようなかたちになっているのではないだろうか。
最初の微生物が人間へと進化してきたことは、何かを喪失し続ける過程だったのではないだろうか。
たとえば、単体生殖する完全なアメーバではいられなくなって、不完全な個体どうしの雌雄の生物になっていった。
進化とは、どんどん不完全になってゆくことだ。
猿の脳は、右と左の機能の違いはあまりない。しかし人間は、右脳と左脳の機能は対照的ともいえるほどの違いがある。つまり猿は完全なひとつの脳を持っているが、人間は不完全な二つの脳をやりくりして生きている。右脳だけでも左脳だけでも生きにくい。
進化するとは、命の不完全性が上書きされてゆくことだ。
命のはたらきは、「完全=安定」に向かってフィードバックしない。これによって、進化が起きてきた。
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   3・不安定・不完全であること
人間社会が「貨幣」を持ったことは、良くも悪くもひとつの「進化」といえるのかもしれない。
では貨幣とは、「完全=安定」を獲得するものだったのか。そうではないだろう。もともとは、きれいな石とか貝殻とか、生きるのになんの役にも立たないが人々が大切にせずにいられないものだった。
内田先生は道学者ぶって「貨幣を退蔵して守銭奴になるのはよくないことで不自然なことだ」といっているし、まあほとんどの人がそういっているのだが、もともと貨幣は退蔵されるものだったのであり、退蔵されるものだったから交換価値が生まれてきたのだ。
貨幣を退蔵しようとするのは、人間の自然であり貨幣の本質なのである。みんな、そういうことをどうしてわからないのだろう。
貨幣は、退蔵することが不可能な貧乏人のあいだにおいてのみ「天下のまわりもの」になるのであって、退蔵する余裕のあるものは退蔵するに決まっているのだ。そして、もっと効率よく退蔵しようとして家や土地や美術品や宝石を買う。
人間は、生きるのに不要なものをためこむ。貨幣は、生きるのに不要なものであるがゆえに退蔵される。
人間は、衣食住よりも快楽を優先して生きている。それが愛であっても美であっても金であっても女とセックスすることであっても同じことだ。
人間は、衣食住だけの完全な生よりも、衣食住から逸脱した不完全な生を生きようとする。
なぜなら命のはたらきは、不完全なところで起きている現象だからだ。
人類は、歴史とともに、衣食住だけの完全な生にフィードバックすることができなくなってゆき、きれいな石や貝殻をためこむようになっていった。毎日めざしを食ってぼろを着ても金を退蔵しようとするのが人間なのである。
近ごろの若者だって、缶ジュースを飲むのを我慢しながら貯金に励んでいる人もいる。人間は、衣食住だけではすまない不完全な生き物なのだ。だから僕は、「下部構造(経済)決定論」では人間の歴史や行動の説明はつかない、といってきた。
生き物は「生きられない」不完全・不安定な状態を「上書き」してゆく。なぜなら、そこにおいて「命」がはたらくからだ。命のはたらきの必然として、避けがたく不安定・不完全な状態になってゆく。
人類が貨幣を発見したことは、人類の生がより不安定・不完全になっていったということなのである。そして、より不安定・不完全になることによって、命がより深く豊かにはたらくようになった、ということだ。
内田先生や上野氏のように「上機嫌」のひとまず完全な生を生きている人たちよりも、不安定・不完全な生を嘆き悲しんで生きている人たちの方が、ずっと深く豊かに人間の自然を生きているのであり、ずっと深く豊かに美や快楽を体験しているのである。二人とも、ただの鈍くさいブスとブ男じゃないか。
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   4・原初の生物は、生まれた瞬間に死んでいった
生き物の命は、どんどん不安定・不完全になってゆく。それが、身体が成長するということであり、身体が老いてゆくということだ。
安定・完全な状態にフィードバックできるのなら、成長もしないし衰弱もしない。フィードバックできなくなって、生物になったのだ。フィードバックしないでどんどん不完全になってゆくのが、命のはたらきなのだ。
われわれの心の動きだって、そういう命のはたらきに沿っている。だから、原初の人類は二本の足で立ち上がった。それは、命のはたらきの問題であると同時に心の動きの問題でもあった。
原初の生物は、生物になった瞬間に死滅していったのだろう。生物になる、ということは、死滅する、ということだった。いちばん最初は有機物という栄養などなかったのだから、生きられるはずがない。
生物になった瞬間に死にそうになってもがく。死にそうになってもがくことが、生物になったことの証しだった。そのひとあがきが、一生だったのだろう。
最初は、「摂食する」という行為はなかったはずである。そんな暇などなかった。しかしそれらの死骸が有機物として蓄積してくれば、それと出会ってそれを「摂食する」という機会が生じてくる。
そのとき摂食することは、生き延びるためにそれを食べる、ということだったのか。たぶん、そうではない。原初の生まれたばかりの生物と死骸とは同じ大きさだったのだから、食べることなんかできない。その有機物に寄生してゆくことができるだけだ。
生物と死骸がくっついて、生物は死にそうになってもがくから、死骸の栄養が生物の体内に流れ込んでくる。それは異物が入ってくることだから、またもがく。これで、二回もがくことが一生になる。この繰り返しが、だんだん増えていった。
摂食するとは、異物が入り込んできてもがくことだ。そうやってわれわれは、ものを噛んだり飲み込んだりしているのだろう。
はじめに、それを取り込もうとする衝動も機能もあったはずはない。
ただ、入ってきてもがいただけだろう。それが、命のはたらきだ。
息をすることは死にそうになってもがくことであり、それが命のはたらきの基礎なのだ。それを、ホメオスタシスという。だから生き物は、不可避的に死にそうな状態に身を置いてしまう。死にそうな状態にならなければ命のはたらきは起こらない。
死にそうな状態として原初の生物が発生したのだ。死にそうな状態こそ、われわれの生きてあるかたちである。
原初の摂食行為は、死にそうな状態のひとあがきとして発生した。
とにかく、生き物の命の根源までさかのぼって考えれば、生きようとするとか生きるためにものを食おうという衝動などあるはずがない。
原初、生きるということを体験したことのない塵のような存在が生物になったのである。生きるという体験をしたことのない存在が生きようとなんかするはずがない。
ただ、「死」という命のかたちを帯びてひとあがきしただけだ。
「死」という命のかたちを帯びることが、命のはたらきが起きる契機なのだ。
生き物は、「死」という命のかたちを帯びることがより豊かになり、より何度も繰り返されるというかたちで進化してきた。
だから、進化すればするほど、その命はより不安定で不完全になってゆく。
だから、不安定で不完全な命を嘆き悲しんでいる人ほど、より深く豊かに高度にこの生を味わいつくしていることになる。そういう人の方が、より深く豊かなセンスや思考を持っている。「上機嫌で生きる」などとアホづらこいて吹聴している内田先生や上野氏のあの下品なセンスと思考を見れば、そのことがよくわかるではないか。
進化した生き物ほど、死にそうな状態を生きている。人間だって同じだ。より不安定で不完全な死にそうな状態になりながら進化してきた。
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   5・人間は傷つく生き物だ
内田先生は、恋愛なんてただの自己愛だ、というようなことをいっておられる。
たとえば……「内田くん、好きよ」と言ってキスしながら彼女はかたわらのガラスウィンドウに映る自分の姿を横目で確認してウットリしている、とか。女はみなそのようで、男としては例外的な観察力をもち冷静な自分は他の男のように騙されない、と思っておられるらしい。
しかし僕がもしそういう体験をしたら、この女はよほど自分に関心がないんだなあ、と思って傷つくだろう。女が、自分ごときとキスをしてウットリするとは思えない。ただ退屈のあまり、ついよそ見してしまっただけだろう、と思う。
普通の女に、自分がキスする姿をガラスや鏡に映してうっとりするという趣味などあるとは思えない。それは、男にありがちな生態なのだ。内田先生はきっと、そうやってにんまりしたことがおありなのだろう。普通の女は、自然に目をつぶってしまう。コンパの帰りにふざけ半分でするキスならそういうこともあるだろうが、普通はよそ見などしない。
あるいは、内田先生はそうやって女に軽くあしらわれた体験を、自分のようないい男とキスをしている自分にうっとりして見ていたのだろう、と合理化して考えることによって傷つくことを回避したのかもしれない。
普通の男なら、おおいに傷つく。そして傷つくのが、人間なのだ。そのとき内田先生は、みずからの思考を安定した状態にフィードバックしていった。しかし普通の男は、傷つくことを上書きしてしまう。傷つくという生きられない不安定で不完全な状態を上書きしてしまう。
男だろうと女だろうと、生きられない状態を上書きできない人間に恋なんかできない。せいぜい「女の恋はぜんぶ自己愛だ」と自分を合理化するのが関の山だ。
自己愛で恋をするのは、むしろ男にありがちな生態であって、女の方が自分を投げ出す度胸を持っている。その度胸がなければ、子供産んで育てるということだってできない。
傷つかないで安定した状態にフィードバックするのが人間の証明ではない、傷つくのが人間の自然であり、進化していることの証しなのだ。傷つかなくてもいいのに傷ついてしまうのが人間なのだ。
生きてあることそれ自体にすでに心が傷ついているのが人間なのだ。
傷ついている人に向かって傷つかない方法なんか教えても無駄なのだ。人間は傷つく生き物であり、傷つく方が人間的なのだ。
命は、死を帯びることによって「はたらき」が起こる。原初の生命は、死を帯びる、というかたちで発生した。死を帯びて不安定・不完全になってゆくことが進化なのだ。
人間が傷ついたり嘆き悲しむことを「愚かなことだ」と否定することはできない。愚かだというおまえらの方が何倍も愚かだ。
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しばらくのあいだ、本の宣伝広告をさせていただきます。見苦しいかと思うけど、どうかご容赦を。
【 なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか 】 山本博通 
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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