「ケアの社会学」を読む・30・介護のストレス

この本で上野千鶴子氏は、介護されるものの都合のいいことばかり並べ立てて、介護する人の身になって考えるということはほとんどできていない。それは、賃金が安いとか体がきついというだけの問題ではない。
介護をすることのストレスは、介護するものとされるものとの心理的な「関係」の問題がいちばん大きいのではないだろうか。
上野氏が扇動するような「介護される権利」を自覚し主張してくる老人なんか、鬱陶しくて介護するのがいやになってしまう。
誰だって、生きてゆくためにはいくばくかのお金が必要である。しかし、人間の介護をするという行為の本質は「せずにいられない」という心の動きから起きてくる無償の行為であって、「しなければならない」という「賃労働」ではない。
それは、「せずにいられない」行為だからこそ、「しなければならない」という義務など誰にもないのだ。
介護する人に介護せずにいられない気持ちになってもらえない年寄りなんて、介護してもらえなくても文句はいえないのだ。「介護される権利」などというものは存在しない。
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介護するものとされるものとの関係を考えることは、人と人の関係の根源について考えることだと思う。
老人を介護することには、どうしてこんなにもストレスが付きまとうのだろうか。おそらく、一部の老人が「介護される権利」をむやみに振りかざしてくることに象徴されるように、老人がぶざまになってしまっている社会だからだろう。
老人たちがむやみに「介護される権利」を自覚し主張したがる世の中だから、介護をすることのストレスが救いのないものになってしまうのだ。
そりゃあ賃金の安さや体のきつさのストレスも並大抵ではないのだろうが、介護される相手の顔を見たらストレスを忘れてしまう、という関係がひとまず理想だろう。そういう老人があまりにも少ない世の中なのだろう。
上野千鶴子とか内田樹とうい騒々しいブスやブ男がオピニオンリーダーとしてのさばっているということは、そういうブサイクな老人ばかりの社会になってしまっているということを意味する。
誰だって美しく感じのよい老人になりたいと願っているが、それはけっしてかんたんなことじゃない。現代社会のほとんどの老人が、その願いをかなえることに失敗している。
社会学の問題として、「介護をされる権利」などという概念は、あまりにも低レベルで倒錯的だ。少なくともこの概念が世界の介護学をリードすることなんか絶対にあり得ない。
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快適な介護を受けながら、そのときになってもまだ死と向き合うことができなくて「介護を受ける権利=生きる権利」にしがみついていたら、本人も不幸だし、まわりもうんざりしてしまう。
「介護を受ける権利」など自覚しないで死と向き合っている存在だからこそ、まわりは介護をせずにいられない気持ちになる。「介護を受ける権利」を自覚しないものこそ、介護を受ける資格があるのだ。そういう年寄りを、人は介護せずにいられなくなるのだ。
老人のほうだって、まわりが介護したくなるような存在になってくれなくては困る。そうなってはじめてまともな介護し介護される関係になるのだろう。
介護者と被介護者のあいだには、どんな権利も義務も介在しない。これが、介護という行為における原理原則ではないだろうか。それは、人間の「しなければならない」行為ではなく、「せずにいられない」行為なのだ。
たとえ介護者がそれによって賃金を得ていても、被介護者は自分が「消費者」だと思うべきではない。誰だってできることなら介護を受ける身でありたくないのだし、介護を受けねばならない身になってしまったら、死んでしまっても文句はいえないのだ。それは、原理的に上野氏のいうような「需要と供給」の関係ではない。
介護は、人間性の根源において結ばれている関係なのだ。たとえ金が介在しているとしても、金(経済)の問題として考えるべきではない。
死を受け入れているところには、「介護を受ける権利の自覚」ははたらいていない。あくまで「介護をしていただいてもうしわけない」と思っている。そういう普通のおばあさんの境地は、尊敬に値する。人は、そのようなかたちで死の恐怖を克服している。
なのに上野氏は、その境地を、家父長制に抑圧されたいじましい心だ、と非難する。いつも「権利」を主張して生きてきた人間は、こういう下品で薄っぺらなことを平気でいう。それはたぶん、上野氏ひとりだけの問題じゃない。世の中全体が、そういう言説に煽られやすい風潮になっている。
しかしこういうことを騒いでいるところに、果たして介護社会の新しい展望があるだろうか。
上野氏は、「現在の世界の介護社会学をリードする言説は日本から発信される」といっておられるのだが、少なくとものそれは、上野氏の言説ではあるまい。
世界の新しい介護社会学は、その「介護される権利」を疑うところからはじまろうとしている。少なくとも介護に携わる人たちは、誰もが、避けがたくそのことを疑い、そのことで思い悩んでいるのだ。
たぶん、の話ですけどね。僕は部外者のど素人だから、断言できる立場ではないのだけれど。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
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