やまとことばと原始言語 40・「異民族」と「神」

人類が「神」という概念を持ったのは、いつごろからだろうか。
二万年前の氷河期のヨーロッパ・クロマニヨンは、「頭がライオンで体は人間」という彫刻を作っている。古人類学の研究者たちのあいだで、これは「神像」だろうといわれている。
ヨーロッパには、「全能の神」というイメージがあり、根強い能力信仰がある。
ではその像は、超越的な能力を持った存在を表しているのか。
そうではあるまい。
ライオンのライオンたる能力は体にある。体が人間なら、能力において人間を超えているとはいえない。まあ、ただのライオンの顔をした人間、というだけである。
もしかしたらこれは、彼らが想像した「異民族」の姿かもしれない。
彼らにとっての生活世界はまだそれほど狭く、漠然とこの地平線の向こうにはそんな姿をした人間がいるのかもしれない、と想像しただけかもしれない。
あるいは、たまたま地平線あたりとか山奥までいって帰ってきたものが、向こうにはこんな人間がいるぞ、と語ったのかもしれない。彼らが居留地から遠く離れた山奥などで野宿をしたとき、たまたまそんな人間と出会った夢を見たのかもしれない。
人類がことばの通じない異民族との出会いを本格的に体験していったのは、1万3千年前の氷河期明け以降のことで、それ以前の時代においては、居留地から見渡すことのできる範囲が世界のすべてで、その向こうは「何もない」と思うか、「あの世=他界」だと思っていた。
つまり、「頭がライオンで体が人間」の像は、人類史における「あの世=他界」の発見を意味するのかもしれない。
そのとき彼らは、そんな姿をした「異民族」と出会ったのではなく、「あの世=他界」を発見したのだ。
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われわれ人間は、「死んだらどこに行くのだろう?」と想像する。
原初の人類がそんな心の動きをもつようになってきたのは、死者を埋葬をするようになったからかもしれない。そんな心の動きを持ったから埋葬するようになったのではない、埋葬をしたからそんな心の動きをもつようになったのだ。
はじめはただ、生き残ったものたちの悲しみにけりをつけるための行為だった。それがやがて、埋葬してしばらくたつと骨だけになっていることに気づいた。人々は、このことの意味を考えた。そうして、死の世界に旅立っていったのだろう、と思った。そういう体験がなければ、死の世界などイメージできるはずがない。埋葬したから、そういうイメージを持つようになっていったのだ。
死者は、埋葬した土の中にいるはずなのに、いつのまにか骨だけを残していなくなっている。
では、死の世界はどこか?
きっと地平線の向こうだろう、と思った。
そのころ、地平線の向こうにももうひとつの世界があるらしいということがわかりはじめていた。そうしてその世界こそ死の世界だろうと思った。
歴史の流れとしては、そういうことになるはずだ。
この時点では、まだ「神」という概念は生まれていない。
「あの世=他界」という概念を持っただけである。
そういう「異次元」の空間のイメージを持った。ともあれこの体験が、「神」という概念が生まれてくる契機になったのだろう。
人間にとって死の世界は、この世とは決定的に異質な世界である。
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ここで少し横道に逸れてみる。
そのとき人類は、「死の世界」というイメージとともに、決定的に異質な異次元の対象を見出していった。そのようにして「頭がライオンで体が人間」という異民族の姿が描かれ、それはまた死者の姿でもあった。
彼らにとって異民族は、自分たちの世界とはまったく異質な死の世界の住民としてイメージされていった。
そして異民族をこのようにイメージするということは、この時点でまだ本格的な異民族とは遭遇していない、ということを意味する。
人間は、まだ見ぬ異民族を、じつに奇怪な姿で想像する癖がある。
中世のヨーロッパにおいても、われわれアジア人を、タコのような火星人とあまり変わらない化け物の類の存在としてイメージしていたのである。
人間は、異民族のことを、根源的に異質な存在、すなわちけっして和解できない相手として見てしまう習性がある。
だから、現代の世界においても、民族対立が続いている。
19世紀ヨーロッパの植民地侵略主義も、異民族を根源的に異質な存在として見てしまう原初以来の歴史の必然的な帰結であるのだろう。
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原始人にとって異民族は、根源的に異質な存在である。
氷河期のヨーロッパクロマニヨンが「頭がライオンで体が人間」という想像上の異民族の姿を彫刻したのが2万年前。
とすれば、3万年前のヨーロッパにおいて原住民であるネアンデルタールとアフリカからやってきた異民族であるホモ・サピエンスが出会って混血した、ということが現代の人類学の定説になりつつあるのだが、なんだか疑わしくなってくる。
原始人は、異民族とは混血しないのである。異民族は、異次元の死の世界の住人なのだ。
もし出会えば、ネアンデルタールは死に物狂いで戦うだろう。和解なんかしない。異民族を受け入れたら、この世界まで異次元の死の世界になってしまう。
異民族は、死の世界からやってきたのだから、死の世界に送り返してやらねばならない。
現在でも、そういう文化人類学の例証はいくらでもある。殺して食べてしまうとか、神への捧げものにするとか、それが、普遍的な異民族の扱い方である。
仲良く混血し共存していった、などということはありえない。
一方が相手を滅ぼした、ということしかありえない。
しかしクロマニヨンの骨の遺伝子を調べた結果、ネアンデルタールの遺伝子が混じっていて、いまやもうそういう仮説が成り立たなくなってきている。もしアフリカのホモ・サピエンスネアンデルタールを滅ぼしたのなら、少なくともクロマニヨンの半数以上は純粋なホモ・サピエンスであらねばならない。
だが、おそらくそうはならない。発掘されたすべてのクロマニヨンの骨にネアンデルタールの遺伝子が混じっているはずである。
なぜなら、ネアンデルタールの遺伝子が勝手に混血の遺伝子に変わっていっただけだからである。
大雑把にいえば、混血は、一回だけ起きた。
そのころネアンデルタールの遺伝子を持った人間の群れは、ヨーロッパからアフリカ北部のナイル川下流域まで広がっており、その地域のネアンデルタールが、隣接するホモ・サピエンスの群れと混血した。
隣どうしなら、遺伝子が違っても、ことばは通じる間柄なのだから、「異民族」とはいえない。彼らは、女を交換し合っていた。
で、その混血の遺伝子が、ネアンデルタールの群れどうしの隣から隣へと伝わって北上してゆき、一万年後にはヨーロッパのすべてのネアンデルタールが混血の遺伝子のキャリアに変わっていった。
ネアンデルタールの遺伝子はとても早熟で寿命が短かったのだが、ホモ・サピエンスとの混血は長生きした。そしたらもう、最後には、混血の遺伝子をもった個体ばかりになってしまう。
それだけのこと。
アフリカの地を出ていった純粋ホモ・サピエンスなどひとりもいない。遺伝子が旅をしていっただけのこと。
原始人は、隣の群れとしか混血しない。
はるか遠くの地域からやってきたことばの通じない異民族とは、けっして混血しない。
そのとき彼らにとっての「異民族」は、人間以外の存在だったし、「異民族」と出会うこともなかった。
「異民族」と出会わなかったからこそ、「あの世=他界」を発見し、やがて「神」という概念を見出していったのだ。(つづく)
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