草食系

この国に「草食系男子」が増えてきたことを何か嘆かわしいことのようにいう大人たちがいる。
貧富の格差が広がって社会の階層化が進んでいることが原因だという話も聞く。
しかしべつに、階層下位の若者だけが草食系になっているのでも、階層下位の若者はみんな草食系になってしまうのでもなかろう。
一流大学から一流企業に入った若者がすぐに会社を辞めてしまうという例だっていくらでもある。
会社を辞めてから草食系になるのではない、草食系だから辞めてしまうのだろう。
辞めないでがんばっている若者だって、肉食系の大人の社員とはずいぶん意識や行動形態が違うことだろう。階層上位でがんばっているから草食系ではないともいえない。
肉食系の大人の社員だって、自分たちが社会全体の空気から少しずつずれてきてしまっていることを感じるときもあるだろう。たとえば、ある日ふと、自分が望むほどには他人に慕われていないと気づかされる。そういう体験もまれではないにちがいない。
草食系を嘆きつつ自分の肉食系をいくら自慢しても、もう以前ほどには説得力がない。いつのまにか自分が嫌われ者になっていたことに気づき、愕然とする。いや、愕然としたくないから、なおがんばって自分を正当化し草食系を批判するが、もうこの流れは止まらない。
肉食系のオヤジなんか気持ち悪い、という傾向は、もうとっくの前から始まっている。電車の中で若い娘たちが、そういうオヤジを「くさい」とか「うざい」といってうんざりしている。
ダイエットが流行するのは、肉食系がブサイクに見える時代だからだろう。
そして、近ごろの若い娘の中にひどく肥満した体型の持ち主がよく見られるようになってきたのは、彼女らがそうなるほかない強いストレスにさらされて生きているからだろう。
肉食系にならないと社会的成功は望めない。だから、なんのかのといってもこの社会は肉食系の大人たちが牛耳っているわけで、若者たちはそこから追いつめられながら、なお草食系になってゆく。というか、草食系だから、追いつめられている。
若い娘が、「あのオヤジ、くさい!」とか「うざい!」と顔をしかめることだって、そういうかたちで追いつめられているのだ。
時代の気分としてはますます草食系になってきているのに、いつまでたっても肉食系が牛耳る社会になっている。肉食系が牛耳らないと、社会は繁栄しない。繁栄しなければならない、繁栄こそ正義だ、と肉食系が叫ぶ。
そうして、繁栄なんかなくてもいいと思う草食系の若者たちは、ますます追いつめられてゆく。
そう思う若者たちは、間違っているのか。
そうともいえない。
原初の人類は、繁栄なんかなくてもいいと思って二本の足で立ち上がり、地球の隅々まで拡散していった。
繁栄なんかなくてもいいが、この限度を超えて密集した群れの中での人と人の関係はちゃんとやりくりして生きていたい。それができないと生きられないし、そこにこそ生きてあることの深いカタルシスがある。そういう体験として、二本の足で立ち上がり、地球の隅々まで拡散していったのだ。
そして、それこそがじつは、都市生活のコンセプトでもある。
現在の若者たちはそういうことに気づいていて、だから、草食系男子の群れが現れてきた。
まじめな人格者になるとか、上昇志向の旺盛な肉食系の大人になるとか、戦後社会は、それが人間の生き方のロールモデルになってきた。
しかし今や、そうやって生きてきてボケ老人になったりインポになったり鬱病になったり、さらには死ぬ間際にあわてふためいて大騒ぎしたり、そういう大人たちがたくさんいる社会になった。
そんな景色をを眺めながら若者たちは今、そういう「自分をしっかり持つ」という価値観や生き方を疑いはじめている。
「自分をしっかり持っている」人間になっても、それですべてよしというわけにはいかないし、そうなることを目指すのが人間としての自然であるのでもない。
自分なんか捨ててときめき合う関係にこそ、この限度を超えて密集した群れをつくっている人間としての自然があり、この関係をつくってゆくことこそほんらいの都市生活の流儀にほかならない。
原初の人類は、自分なんか捨てて二本の足で立ち上がっていったのだ。
人間はもともと、自分なんか捨ててときめき合うようにできている。そういう体験として「ことば」が生まれてきたのであり、「おはよう」というあいさつも生まれてきたのだ。
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ある人にいわせると、青春時代にさんざん「モテない苦しみ」を味わった人間が、自分をしっかり持って人格者になろうとしたり、上昇志向をたぎらせたりしているんだってさ。
いえてるかもね。
僕だってモテなかったさ。でも、そんなことに苦しんだり社会や誰かを恨んだりしたことなど一度もなかった。自分なんかしょうもない人間だからモテないのはとうぜんだ、と思っていましたよ。
だから、女に寄っていくことというか、人に寄っていくこと自体が怖かった。僕の場合、引きこもる家がなかったから、ひとりで町をさまよっていましたよ。あるいは、四畳半のアパートでうずくまっていましたよ。
非モテ男の苦しみ」なんかわかりません。
そのとき僕には、プレゼンテーションできる自分なんか持ち合わせていなかったから、そんな自分にどうけりをつけるかということばかり考えていましたよ。
人間に対しても女に対しても、モテようとがんばる、ということができなかった。もともとそういう衝動が希薄だったのかもしれない。
たとえモテても、その事態にどう対処していいか、わからなかった。つまり、うまく人と人の関係が結べなかった。
ここから先は馴れ馴れしくしてもいいとか、ここではしちゃいけないとか、そういう按配が、社会に出る一歩手前で、ほとほとわからなくなっていった。
今でも、よくわからない。
つまり、モテるとかモテないということ以前の段階でつまずいていた。
現在の若者たちが生身の女とセックスすることから逃げているということだって、女が苦手というよりも、自分をプレゼンテーションすることの嘘くささに耐えられない、とか、人と人の馴れ馴れしい関係に耐えられない、というようなことがあるのかもしれない。
彼らの場合、ふつうに異性と話しているのだが、その先にセックスがあり結婚があり家族があって、そういうことにおびえたり警戒したりしているのだろう。
けっきょく、「家族」という関係が怖いのだろう。家族は、自分というものをしっかり持っていないとうまくやっていけない。家族とは、人間と人間の関係を捨てて、夫と妻になり、親と子になってゆく関係のことだ。そういう妙に馴れ馴れしくてかたちだけの嘘くさい関係を、彼らは拒否している。
具体的なことをいえば、今どきの家族は、馴れ馴れしいだけで、人間としてそういうことはいうべきではない、ということがわかっていないんだよね。そうやって、仲良くしながら傷つけ合っているわけで、その延長上に児童虐待などのDVが起きている。
家族の中の人間と人間の関係を壊してしまったのは、いったい誰だ。
「ニューファミリー」の時代以降、家族の繁栄をスローガンに、夫婦も親子も、どんどん馴れ馴れしい関係になっていった。それはとても不自然なことであり、子供たちはもう、心の中まで干渉されて身動き取れなくなっていった。
戦後の核家族は、夫婦も親子も必要以上に馴れ馴れしい関係になってゆき、基本的な人間と人間の関係を失っていった。
だから子供たちは、自分の部屋に引きこもる。繁栄をスローガンにして必要以上に馴れ馴れしくなっていった家族だからだ。それでは、生き物として、みずからの「身体の輪郭」をうまく保てない。うまく保てなければ、身体は動くことができない。現在の家族は、そういう生き物としての根源を危うくさせる関係になってしまっているのだ。
社会の繁栄をスローガンに肉食系を自認する大人たちのやたら馴れ馴れしく他人を説得したがるその生態によって、現在の若者たちは追いつめられている。
現在の肉食系の大人たちは、青春時代にモテない苦しみをさんざん味わい、それをバネに社会や家族の繁栄を築いてきたが、家族の馴れ馴れしい関係のうっとうしさを味わいつくして育ってきた現在の若者たちは、たとえモテなくても、そう苦にはしていない。かつての大人たちのように、それをバネにして社会的成功を目指すというほどの根性はない。
現在の若者たちは、他人の心の中に土足で踏み込んで説得しにかかるような、そんな馴れ馴れしさに耐えられなくなっている。
もう、社会常識とか社会正義などというものを振りかざして若者を説得できる時代ではないのだ。彼らは、そういうことに対する拒否反応を持ってしまっている。
だから、勉強したがらないし、破れたジーンズを穿くし、にせものっぽいものに「かわいい」とときめいたりもする。
いや、彼ら自身が、大人たちから見たら「人間のにせもの」なのだろう。
しかし「人間のにせもの」で何が悪い。じつはそのほうがずっと人間的なのだ。
人間は、むやみにくっつき合う生き物であるが、馴れ馴れしくしたらくっつき合っていることができない。
内田樹先生も、村上龍氏も、他人を説得しようとばかりたくらんでいるということは、それだけ人間に対して馴れ馴れしすぎるということであり、馴れ馴れしく説得することによって自分がどれほど他人を踏みつけにして生きてきたかということの自覚がなさ過ぎる。
現在の草食系の若者たちには、他人を踏みつけにして不幸にしたくない、という思いがあり、僕はといえば、いろんな人間を踏みつけにし不幸にしてきた、という思いがあるわけで、だから、そんな若者たちをひとまず尊敬するのです。
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【 なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか 】 山本博通 
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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