祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」41

久しぶりに山姥さんからコメントをもらって、ほっとした。どうやら、読んでもらっているらしい。
それに、学ぶことも多かった。
たとえば「川(かは)」は、「K+AHA」と解釈することもできるということ。
原初のことばが一音だけの時代から二音のことばが生まれてくるとき、子音と母音が分裂する、という契機があったのかもしれない。
「ゐ」は「W+I」で、「を」は「W+O」。「か」は「K+A」または「K+WA」、そういう発音の仕方は、つい最近まで残っていた。
ただ僕は、子供のころ、一部の大人たちがそういう発音をあからさまにするのが、耳障りであまり好きではなかった。おばあさんならいいのだが、人格者ぶったオヤジ連中やジジイのそういう発音は、なんだかいやみったらしいというか威圧的で、すごく嫌いだった。
ともあれこの「川」における「K」のカ行は、輪郭のはっきりした感じや輪郭そのものを表出する音韻で、「AHA」は、「感嘆」すなわち「気持ちがふくらむ」といういうことで、「ふくらむ」というニュアンスの表出にもなる。とすれば「K+AHA」は、「くあはあっ!」という感じで、「圧倒的なものにおそれおののく」というニュアンスや、「川の水の輪郭がふくらむ」というニュアンスをあらわしていることになり、だったらそれは「洪水」のことだろうか。
あるいは、山の中の小さなせせらぎがやがて海にまでふくらんでゆく、ということだろうか。
また「かはゆし」の「かは」も「K+AHA」で、この場合は、「おそれおののく」ことではないが、ひとつの感慨として「気持ちの輪郭がふくらむ」というニュアンスをあらわしているのかも知れない。「恥ずかしい」とか「かわいそう」という感じで。
そんなあれやこれやを考えてゆくと、なんかもうややこしくて、山姥さんのいわれるとおり、語原は、「一義的・定義的」には片付けられない。
僕は、ズルをして、発音のことはできるだけ単純化して考えてきた。やまとことばの性格を考えればそれでもいいはずだが、語原のことになると、やはりそうもいかない局面もありそうだ。