祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」40・女と「ジト目」

「ジト目」とは、ジトーッとしている目つきのことなのだとか。
物欲しげで恨みがましい目つきはわかりやすいが、腹の底から幻滅しきっている目つきは、何を考えているのかよくわからない。
どちらも「ジト目」だ。
そして近ごろの少女漫画家は、後者の「ジト目」が描けなければ一人前だとはいえないらしい。
それが描けなければ、女は表現できない。そういう時代なのだ。
女は、そういう目を持っている。それは、今にはじまったことではない。おそらく太古から女とは、そういう目つきを持っている生きものだったのだ。
そういう根源的なものを表現できなければ、いまや少女漫画家になれない。
女は、腹の底から何かに幻滅してしまう心の動きを持っている。
うっとうしい自分の体に幻滅している。
生きてあるというそのことに幻滅している。
幻滅しているから、「かわいい」とときめいてゆくことができる。
今どきのギャルが「かわいい」とときめいているということは、それほどに深く生きてあるというそのことに幻滅している、ということだ。
そしてそれが日本列島の歴史の水脈であり、この島国の女たちは、たぶん太古からそうやって生きてきたのだ。
いや、人間そのものだろうと他の生きものだろうと、ほんらいそのようにして生きているのであり、したがって生きものに「生き延びようとする衝動(本能)」が根源においてはたらいているということはありえない。
この生に幻滅しているからこそ、「かわいい」とときめき、「今ここ」に憑依してゆくことができる。それが、「生きる」といういとなみである。
そういう「今ここ」に対する憑依の能力が、生きものを生かしている。
「今ここ」に憑依できなくなったとき、うつ病になる。彼らは、「今ここ」ではなく、「自分」に憑依し、やがて「死という未来」に憑依してゆく。