祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」15

古事記によれば、日本列島の起源は、イザナギ尊とイザナミ尊がセックスをして海の上に八つの島を浮かばせた、ということになっている。
古墳時代の人々は、奈良盆地の湿原を干拓してあちこちに人の住める台地や耕作地をつくっていった。上記の国生み神話は、奈良盆地の人々のそういう体験から生まれてきたのだろう。
古墳時代奈良盆地の人々は、いつも、いくつかの集落の男女が集まって「歌垣」を催しながら、恋やセックスばかりして暮らしていた。そういう暮らしの延長として、集落間の連携が生まれ、その連携による干拓工事の成果としての稲作農耕が始まり、やがて大きな共同体へと発展していった。
この時代に次々に出現していった巨大な前方後円墳は、まわりの湿地の水を古墳の周濠に集めてしまうという干拓事業だった。
それは、巨大な権力がわがもの顔にのさばっていたことの証しではない。
そんな権力も圧政もなかったのであり、それは、民衆がみずから進んで計画していった事業だった。。
なのに世の歴史家たちがこぞって「巨大な古墳=巨大な王権」という図式でばかりで語っているから、古墳時代が何か戦争と侵略と圧政ばかりの暗い時代であったかのようなイメージになってしまっている。
そうではなかったのだ。
のどかな田園風景が次々に生まれ、人々は色恋と耕作地づくりの熱気にあふれていたのだ。
もしかしたら、日本列島の歴史で、もっとも民衆の明るく伸びやかな活気があふれていた時代だったのかも知れない。
いや、きっとそうに違いない、と僕は思っている。そういう時代の延長として、あの「万葉集」の時代がやってきたのであって、古墳時代の民衆が、ただ王族や豪族の支配や侵略にあえいでいただけだったのなら、「万葉集」のあの明るさや伸びやかさや格調高さなど生まれてくるはずもないのだ。
古墳時代大和朝廷が、朝鮮からやってきた一族の侵略によって打ち立てられたとか、吉備や出雲や九州の豪族の連合軍が侵略してきて打ち立てたとか、そんな陰惨な「古代のロマン」などいっさいなかったのだ。
ひたすら色恋にふけり、ひたすら耕作地をつくっていった奈良盆地の人々による集落間の連携が、自然に必然的に大和朝廷になっていっただけだ。
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杉山巡氏によると、現在の歴史家たちが、古代の歴史事項をなんでもかんでも朝鮮との関係にしたがるのは、明治以来の朝鮮併合政策の流れから抜け出しきれていないかららしい。
戦国時代のどこの馬の骨かわからない武将たちは、こぞってみずからのルーツを朝鮮の豪族や貴族として名乗っていった。
朝鮮をルーツにしておけば、化けの皮がはがれないからだ。
それを、明治以降の歴史家たちが、まるで全部ほんとのことであるかのように説明する論文を競って提出し、それが、朝鮮人も日本人も祖先は同じだという朝鮮併合論者の言い分にお墨付きを与えることになっていったのだとか。
なるほど、そんなところかもしれない。
いずれにせよ、古墳時代を語るのに、「古代王権」の支配や侵略がどうのというような説明など、全部くだらない、と思う。イメージ貧困だし、発想が卑しい。
古墳時代ほど、民衆の明るく伸びやかな活気があふれている時代もなかったのだ。それは、「プレ・万葉集」の時代だったのですよ。人々はまだ「文字」を知らなかったから文献こそ残っていないが、万葉集の時代よりも、もっと率直で伸びやかな感性が横溢している時代だったのだ。
奈良盆地の民衆が語り伝えてきた古事記は、もしかしたら、そんな古墳時代の空気を残しているのかもしれない。古事記を読むなら、そういう民衆の息遣いが読めなければならない、