祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」9

みんなが幸せになれる社会……などという。
そんなことをいったって、あなたたちのいう「幸せ」は、「人より幸せだ」と思うことではないのか。「幸せ」なんて、そのようなかたちでしか自覚できない。
人より幸せであることが、幸せなのだ。幸せの絶対的な基準などない。
「すべては相対的である」という理屈をあたかも絶対的なカードであるかのように振りかざし、「みんなが幸せになれる社会」などとおためごかしをいう。私は幸せだと思っているあなた、あなたの中に、「人より幸せだ」という自覚はないか。
他人がどれくらい幸せかなんてわかりようもないが、とりあえず、まあたいしたことないだろうと見くびることができれば、自分は幸せだと思うことができる。
幸せの自覚なんて、他人を見くびることの上に成り立っている。
他人を見くびることによって、みずからの個の固有性を確認してゆく。現代人は、知らず知らずのうちに、そんな観念の手続きを持ってしまっている。
人の命が「かけがえのないもの」なら、みずからの個の固有性を確認してゆくしかないのだ。
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人間は、先験的に他者との関係の中に投げ込まれてある。
人より幸せだと思ったらいけないのではない。人の心は、そう思うようにできている。自分だけで完結している幸せ感などというものはない。人の心は、そのような思い方ができないようにできている。
幸せが大切なら、人より幸せであることを確認してゆくしかない。
幸せなんか、みんなで共有できるものではない。そのことは、思い知るべきだ。
楽しいことは、もっと楽しく、と思う。幸せなら、もっと幸せになりたいと思う。
だから、人より幸せでないと、幸せだと思えない。「もっと幸せ」であることが、幸せであることなのだ。
「もっともっと」と思ってしまう対象は、人よりも「もっと」でなければ、それを獲得しているという自覚は得られない。
幸せは、共有できない。
共有できないから、欲しくなるのだ。現代人は、この密集しすぎた群れの中で幸せを自覚してゆくことによって、他人とくっついていないこと(観念的に)を確認してゆく。それが、すべてが相対化された現代社会を生きてゆく手続きであるらしい。
すべての人が幸せを共有してゆくことなど不可能なのだ。
たとえ百万円の収入があっても、ほかのみんなが二百万円もらっていたら、その人は不幸であることを自覚するほかない。
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人と人が共有できるものは、「もっと欲しい」という欲望が生じないものだ。人と人は、じつはそういうものを共有しているのであって、幸せなんかじゃない。
たとえば、江戸時代の農民たちは、「みんなで貧乏しよう」という思いで結束していった。そういう「嘆き」なら、きっと共有することができる。
「もうたくさんだ」と思ってしまうものだけが、人と人が共有できるものになる。
相手がそれを抱えていたら、自分も半分引き受けてやろうと思う。人と人は、そうやって「共有」してゆく。
そうやって彼女は、「もらい泣き」している。
杉山巡さんの好きな歌手が、たしかそんな歌を歌っていた。
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原初の人類の群れがより大きな群れになってゆくに際して共有していったものは、「幸せ」ではない。
「嘆き」なのだ。
それによって人は、限度を超えて密集した状態と和解してゆくことができた。
そのときもっとも必要だったものは、「幸せ」でも「食料」でもなかった。
たくさんの食料があったから寄り集まっていったのではない。たくさんの人間が寄り集まっていったから、そのぶんの食料を確保しようとして農耕栽培が起こったりしてきたのだ。
日本列島で最初にもっとも大きな人口密集地域が生まれたのは、奈良盆地である。そしてそこは、もっとも稲作農耕が発達していた地域でもあった。
しかしそこが、もっとも稲作農耕に適していた地域であったわけではない。現代の稲作地帯が、奈良盆地以外の大きな川のある平野に広がっているように、そのころだって、奈良盆地より稲作に適した地域はいくらでもあった。しかし、奈良盆地ほど人がたくさん集まっている地域は、ほかにはなかった。その人々が、灌漑施設などの土木工事をしながら、その困難な条件を克服していったのだ。
また、奈良盆地の人々ほど稲作農耕に熱中している民衆は、ほかにはいなかった。古代の米は、神聖な神の食べ物だったのであり、ただ自分たちの飢えを満たすためだけだったら、イモや粟やひえなど、ほかにもっと効率的な作物はいくらでもあったのだ。
古代人にとって米は、とてもリスキーで効率の悪い作物だった。それでも彼らは、その栽培に熱中していった。それは、奈良盆地の人々が共有していたものが、たらふく物が食える「幸せ」ではなく、「神への想い」だったことを意味している。
食糧の問題は、「結果」であって、「原因」ではない。
そのとき奈良盆地にたくさんの人々が寄り集まっていったのは、たくさんの食料があったからでも、どこよりも住みやすい土地だったからでもない。そこは、ほとんどが湿地帯で、人が住めるような土地ではなかった。それでも彼らは、懸命に干拓したりしながら、そこに住み着いていった。それは、ひとえに、古代人ならではの「神への想い」を共有してゆく「ときめき」がダイナミックに起きていたからであり、それを何よりのよりどころとして住み着いていったのだ。
奈良盆地は、四方をたおやかな姿をした山なみに囲まれている。山に対する信仰心の篤かった古代人にとって、これほど「神」を感じさせる景観を持った地域はほかにはなかった。
縄文時代以来、日本列島の住民は、山を眺めながら歴史を歩んできた。
そして、住みにくい土地に住み着いてゆく「嘆き」と神に対する「ときめき」を共有しながら、奈良盆地にもっとも大きな共同体がつくられていったのだ。
人間の行為を決定している一番の契機は、けっして食うことや幸せだとはかぎらない。少なくとも古代の歴史は、もっと別のところで動いていた。
人と人が共有できるのは、幸せではなく「嘆き」であり、「嘆き」が共有されているところで「出会いのときめき」が生まれてくる。古代の「神」や「神話」は、そのようにして見出されていったのであり、それが、共同体が生まれ発展してくる原動力になっていた。
奈良盆地は、もっとも「神話」が充実している地域でもあった。
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人間の歴史は、つねに飢えていた、といわれている。
直立二足歩行の開始以来700万年の歴史で、ひとまず飢えなくてもすむようになったのは、農耕牧畜を覚えたここ5,6千年のことなのだとか。
それはたしかにそうだろう。
われわれは、そういう弱い生き物として、なんとか長い歴史を生き延びてきた。
それは、飢えなかったからではなく、飢えてもかまわないような行動原理を持っていたからだ。
食うものだけのことを考えて、なんとか食うものを確保してきたからではない。食うものなんかなんでもいい、という習性を身に付けていったからであり、食うものよりももっと気になるものを持ったからだ。
ほとんどの人類学学者は、食い物を確保しようとしてきたのが人間の歴史だといっているが、食い物のことだけで原初の人類の行為がすべて説明つく、ということはありえない。
それは、短絡的な思考だ。
人間を甘く見ている。
人間は、そんなかんたんなものじゃない。
終戦直後の食糧難の時代に、人々は食い物のことしか頭にない暮らしをしていたかといえば、そうじゃない。食い物を削ってでも、娯楽を欲しがった。あんな時代に、「パンパン」という街娼が商売として成立していたのである。彼らは、食い物を削ってでも「出会いのときめき」を求めた。
昭和22年に流行した歌。
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君待てども 君待てども
まだ来ぬ宵 わびしき宵
窓辺の花 ひとつの花 青白きバラ
いとしその面影 香り今は失せぬ
あきらめましょう あきらめましょう 
わたしはひとり
(「君待てども」作詞作曲・東辰三)
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この歌が、戦争で大切な人をなくした人の心を慰めた、という背景があったのだろう。そういう「嘆き」を、日本中が共有していた時代だった。
この歌は、そういう「嘆き」をカタルシスに昇華してゆくことに成功している。
食い物なんかない時代でも、人に対する思いこそ、生きることの中心だったのだ。
食い物のことしか頭にないのなら、こんなうっとうしい歌はやめてくれという話だし、平和になって明るく生へのエネルギーに満ち溢れていた、というわけでもない。
あのころほど娯楽や人と人の出会いのときめきが切実に求められ、それが深いカタルシスになっていた時代もなかった。
飢えているものや貧しいものは食うことしか頭にないなんて、人をバカにしている。そういうものたちこそ、食うことなどではすまないこの生のカタルシスに敏感なのであり、深くそれを体験しているのだ。
人間の群れがこうして大きくなってきたのは、食料を確保できるようになったからではない。食うことよりも、「出会いのときめき」にこそもっと深いカタルシスを得ていたからだ。
飢えなくなったから群れが大きくなってきたのではない。飢えていたからこそ、「出会いのときめき」を深く体験し、群れを大きくしてゆくことができたのだ。
そして、群れが大きくなって、はじめて食料を確保できるようになって来た。
飢えているものたちは、食うことだけではすまない生き方を知っている。
幸せが欲しいなんて、食うことしか頭にないのと一緒なのだ。だから近頃のテレビでは、食っているシーンばかりが映し出されている。
人間は「出会いのときめき」を体験する生きものであるということ、このことが人間の歴史をつくってきたのであって、幸せや食糧確保の問題によるのではない。