祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」8

 人間にとって「神話」ほど豊かに感情移入して信じられる話はない。
それは、この世界の外の「もうひとつの世界」で起きた話だ。
この世界は、生まれてから死ぬまでのたった数十年の仮の世界にすぎない。その外に広がる永遠に続く「もうひとつの世界」こそ本当の世界である……そういう思いが誰の中にもある。
われわれにとっては、この世界の本当の話より、もうひとつの世界のうその話のほうがじつはリアリティがある。人間は、「うそ」を生きようとする。それが「神話」である。
「もうひとつの世界」を「もうひとつの世界」らしく語られると、人はもう、どうしようもなく信じてしまう。
その世界は、この世界と同じであって、同じであってはならない。「もうひとつの世界」らしく超越的であらねばならない。そうやって「神話」が語られてゆく。
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起動戦士ガンダム」の話だって、ひとつの「神話」だ。
今の30代から40代の世代だろうか。それが彼らに人気を博したということは、それが「もうひとつの世界」の話として信じられていった、ということを意味する。
信じられている話を「神話」というのだ。
お台場のあのモニュメントに彼らがこぞって集まってきて見たものは、「この世界」ではない。この世界のやめずらしい建物や新しいタワーを見るのとはわけが違う。
それは、「この世界」で作られたのではない。「もうひとつの世界」から運ばれてきたのだ。
彼らはそこで、「死の世界」を見た。
この感動は、あのころに「ガンダム」の話に熱狂したものにしか体験できない。彼らは、「神」と出会った。
ニュースの映像で流されている、あの忘我の顔、顔、顔。
ガンダムを見て死ね」……それが、彼らの合言葉になった。
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死の恐怖とは、自己意識である。
共同体が発展してくると、人々の自己意識が肥大化してきて、死の恐怖もまたふくらんでくる。
そこで人々は、「もうひとつの世界」との通路を持とうとする。そうして、神がこの世界をつくった、という話が生まれてくる。
古事記は、けっして原始的な神話ではない。原始的な要素の痕跡を残しているというだけで、すでに「もうひとつの世界」との通路がさかんに語られている。
すでに「共同体=システム」からの圧迫を受けている。
日本列島の原始宗教としての神道では、死んだら真っ暗でわけのわからない「黄泉の国」に行く、ということになっている。それは、彼らが、死後の世界をイメージしなかった、ということを意味する。
古事記でも、イザナギノミコトが大きな岩で黄泉の国との通路をふさいでしまった、と語られている。
そのようなことから考えると、弥生時代の原始的な「神話」では「神の世界」との通路も語られていなかったことが推測できるし、したがって神が「国生み」をしたという話もなかったにちがいない。
彼らにとっての「もうひとつの神の世界」は死後の世界ではなく、「今ここ」のどこか知らないところにあった。そしてその世界との通路もなかった。通路がないということが、「もうひとつの世界」であることの証しだった。
彼らは、死んだら「黄泉の国」に行くだけだ、と嘆くことができた。嘆くことからカタルシスをくみ上げてゆくことができた。それはつまり、みんなで嘆くことを共有していた、ということだ。共有することが、カタルシスだった。
人と人の関係に、カタルシスを共有してゆくダイナミズムがあった。誰もが自分を捨てて、他者とともに「今ここ」にいることを止揚していった。
そのへんは、現代人が「ガンダム」を共有してゆくこととは、ちょっと違う。現代人は、神との関係の可能性とともにその死後の世界でもある未来を共有し、古代人は、それらの不可能性の中で「今ここ」を共有していた。
ガンダムを共有している現代人にとっての他者は、ガンダムとの関係を深めてくれる仲間であるがゆえに、他者とともにあるということそれ自体に対するカタルシスは希薄であるほかない。彼らは、それによって、すでに「今ここ」を喪失している。すでに、死に浸されてしまっている。
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イザナギノミコトが巨大な千引石(せんびきいわ)で黄泉の国との通路をふさいでしまったという話は、古代人の共同体をいとなむ流儀が「もうひとつの世界」との関係の不可能性の中で「今ここ」を止揚してゆくことにあった、ということをうかがわせる。
それは、氷河期が明けて大陸から切り離された日本列島の歴史が「もうあの水平線の向こうには行けない、誰もやって来ない」と思い定めたところからはじまっていることに由来する。そのようにして「もうひとつの世界」との往来を断念しつつ「今ここ」を止揚してゆくという伝統がつくられていった。
日本列島の神話の起源は、そのような条件の上で考えてゆくしかない。
神話を語り継ぐことを始めた弥生人に、自分が生きてあるこの数十年は仮の世界での出来事である、という意識があったか。
おそらくなかった。死んだら黄泉の国に行くだけだと考えていた彼らにとって、わずか数十年のこの世界こそすべてだったはずだ。それが、日本列島の伝統だった。
彼らは、神話によって神の世界との通路をつくっていったのではない。神の世界との往来の不可能性を語ることによって、「今ここ」のこの世界をすべてだと思い定め、「今ここ」の他者との関係を止揚していったのだ。
大国主命の国づくりを助けたスクナビコナの神は海のかなたからやってきたことになっており、これを、日本列島の住民が縄文時代以来船で太平洋や日本海を往来していたことの証しであるかのようにいう歴史家も多いのだが、そうではなく、人間を超越しているところに神の神たるゆえんがあるわけで、その神が海のかなたからやってきたということは、海のかなたと往来することなど不可能だったことを意味しているのだ。
古事記の神の話を史実と結び付けて考えるなんておよそナンセンスであり、「うそ」であることが神話のアイデンティティなのだ。
またその小さな神が粟の茎にはじかれて神の国に飛び去っていったという話にしても、そのようなかたちで神であるゆえんの超越性を語っている。
そのありえなさこそ、神であることの真実だった。
彼らは、ただのうてんきにほら話を語っていただけではない。そこには、われわれはもうこの狭い島国の外のどこにもいけないという「嘆き」が共有されていたのであり、それによってひしめき合っている人と人の関係から「ときめき」というカタルシスをくみ上げていた。
たぶん、人と人がときめき合う関係は、「嘆き」を共有してゆくところからもっとも鮮やかに起きてくるのだ。
というか、「嘆き」を共有しているのが、限度を超えて密集した群れをつくっている人間存在の普遍的なかたちだろうと思える。