祝福論(やまとことばの語源)・「草枕(くさまくら)」

旅は、隠されてあるものに気づいてゆくこと、そういう感慨から「たび」という音声がこぼれ出る。これが、「たび」の語源だ。
何が隠されてあるか、ではない。日本列島の旅の醍醐味は、隠されてあるというそのことに気づいてゆくことにある。隠されてあるものは、美しい。秘すれば花
日本列島の歴史的な美意識の根底には、「たび」の感慨が潜んでいる。それは、隠されてあるもの、隠されてあるというそのことにときめいてゆく感性のことだ。
枕詞(まくらことば)はそうした美意識の表現であるはずで、「草枕」は「たび」にかかるまくらことばである、といっても、ただたんに「たび」の飾りことばとして機能しているだけでもあるまい。むしろ、まくらことばが主役なのだ、と思う。
「たび」に隠されている感慨がある。その感慨のかたちとして「まくらことば」がある。
まくらことばに、あまり具体的な「意味」を付与するべきではない。最初は、あくまで「感慨(内面)」を表現することばだったのだ。
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草枕」とは、草でつくった枕のことか。そうではあるまい。あくまでも、野宿のわびしさやつらさを象徴的に表現していることばだろう。
したがって、そのようなわびしさやつらさの感慨を表現する歌であるなら、「草枕」がかかることばは必ずしも「たび」である必要はない。
万葉集の東歌(あずまうた)である。
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わが恋は まさかもかなし 草枕 多胡(たご)の入野(いりの)の 奥もかなしも
訳・わが恋は、今の今もせつないが、多胡の入野の奥のようにこれからもずっとせつないことだろう。
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ここでの「草枕」は、「多胡」という地名にかかっている。「たび」と「たご」、語感が似ているから、つい「草枕」ということばをかぶせてしまったのだが、ここでは旅のことを詠っているわけではない。では何を詠っているかといえば、人の心のわびしさやせつなさを詠っている。その「嘆き」をなかば肯定的に、それ自体が生きてあることのカタルシスであるかのように詠っている。そしてそのカタルシスこそ、「草枕」というまくらことばが隠し持っている命というかアイデンティティなのだ。
もともと「草枕」は旅の感慨のことだから、「旅」といってもいわなくてもいいわけで、まあ、ついでにいっているだけだともいえる。「草枕」のほうが主役なのだ。「草枕」ということばが、全体の調子を支配している。
草枕」は、「くさ」と「まくら」の二つのことばで成り立っている。このことに、異論はない。
「くさ」の語源は何か。それは、「草」という植物の名称として生まれてきたのではない。はじめは、「くさ」という感慨を表すことばだった。草のははえるさまがその感慨のかたちに似ていたから「草」と呼ばれていっただけだろう。
それは、いったいどんな感慨だったのか。
胸の中が騒がしく落ち着かないことを、「くさくさする」という。たぶん、それが「くさ」の語源だ。試合に負けたり失恋したりして「くさる」というときも、同じような感慨のことだで、匂いの「くさい」も、まあそういう感じの匂いのことだ。
「くさ」の「く」は、「組(く)む」の「く」。「ややこしい」こと。
「さ」は「裂ける」の「さ」。
草むらの草の葉は、笹の葉に似ていくつにも裂けているような細長いかたちのものが多く、それらが入り組んで群がっている。それは、「くさくさする」という感慨のかたちに似ている。だから草のことを「くさ」というようになっていった。
「くさ」とは、胸の中がもやもやして落ち着かないこと。はじめにそういう感慨の表現があって、そのあとに「草(くさ)」ということばが生まれてきたのだ。
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つぎに「まくら」は、「まく」+「ら」。
「まく」は「纏(ま)く」という動詞がもとになっているらしい。
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愛(うつく)しき 人の纏(ま)きてし しきたへの わが手枕(たまくら)を 纏(ま)く人あらめや
訳・いとしいあの人の枕としたわが手枕を、ふたたびする人はもういない。
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これは、大伴家持が亡き妻をしのんで詠んだ歌。
「纏(ま)く」とは、「まとう」とか「まとわりつく」とかというようなこと。
枕は、頭をくっつけるもの。
「ま」は「まったり」の「ま」、「安定」「充足」の語義。
「く」は「組む」の「く」。組み合わせて安定させることを「まく」という。
「ら」は、「スペース」のこと。「空」「村」の「ら」。「空(そら)」は「そ=何もない」スペースのこと。「村(むら)」は、「む=定住の群れ」がつくられている、すなわち「人々が立ち止まっている」スペースのこと。
「枕(まくら)」とは、頭とくっつけて(組み合わせて)頭を安定させるスペースのこと。つまり、そういう安らぎ・カタルシスのことを「まくら」といった。
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草枕」ということばが生まれてきた古代人の旅とはどんなものだったのか。
まず、「くさ(=胸の中がもやもやして落ち着かない)」という感慨があった。旅に出れば、故郷のことを思ったり、行程の困難さに、心はちぢに乱れる。しかしそうした「嘆き」は、今まで自分の中にかくされてあった故郷の人や景色や暮らしに対する愛着に気づかされ、また、山の向こうに隠されてあった新しい風物にときめいてゆくことでもあった。つまり、その嘆きは、あるカタルシスを「まく=まとう」というかたちでもたらした。そうして、旅空の下とは、そういう心の動きが生まれる「スペース」である、と気づいてゆくことだった。
はじめに「旅とは草を枕に寝ることである」という詩的なイメージがあったのではない。はじめは「くさ」という感慨(=嘆き)があっただけだ。そこから「まく」というかたちでその嘆きと和解してゆき、さらには「カタルシス」へと昇華していったときに「まくら」ということばになった。
「くさ」から「くさ・まく」になり「草枕(くさまくら)」になった。
草枕」とは、たびのつらさやさびしさやせつなさと和解してゆく感慨を表すことばであって、ただ単純に旅を嘆き否定しているのではない。
「枕(まくら)」とは、頭を安定し、安眠というカタルシスをもたらすものだ。したがって古代人が「草枕」というとき、その旅の「嘆き」と和解し、そこから「カタルシス」を汲み上げていることを意味する。
中西進氏は、
「手や腕であれば、まきようがある(=手枕)が、草はまきようがない。でもそんな草を枕としなければならないところに、旅の悲哀感があります」
といっているのだが、そんな単純なことじゃない。古代人は、その「悲哀感」の中から「カタルシス」を汲み上げていったのだ。彼らは、その「まきようがない」草を、まいていったのだ。先生、わからないかなあ。
はじめに「草枕」という「意味」を持った「文字」がイメージされていったのではない。
「くさまくら」という、感慨の表出としての音声が吐き出されたのだ。
最初の「くさ」という感慨から最終的な「草枕」という文字表現にいたるまでには、千里のへだたりがある。
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草を枕に嘆くことの醍醐味もあるのだ。「草枕」とは、そういうカタルシスから生まれてきたことばであって、ただつらくていやなだけだったら「まくら」ということばなど使うものか。古代人にとっての「まくら」は、「カタルシス」の代名詞だったのだ。
だから、男女の愛の真髄として、「手枕(たまくら)」ということばも生まれてきた。
このあたりの機微は、お幸せな学者先生にはわからないらしい。
「嘆き」を持たない人生は、「カタルシス」のない人生と同義である。
古代人は、嘆きつつ生きてあることのカタルシスを汲み上げていた。
草枕」という嘆きのまくらことばには、古代人の旅への憧れとカタルシスが隠されてある。
草枕」とは、嘆きそれ自体をこの生のカタルシスにしてゆく感慨(=美意識)を隠し持っているまくらことばである。したがって歌の調べがそういう姿になっているのなら、そのあとにかかることばは、「たび」でも「たご」でもかまわないのだ。
一般的にまくらことばはたんなる形式であり記号であるかのようにいわれがちだが、そうじゃない、はじめはまくらことばこそ歌の心臓だったのであり、そこにかかっていることば(たび・たご)のほうがたんなる形式であり記号にすぎなかったのだ。
まくらことばは、それ自体として、古代人の世界観や美意識がこめられている。すなわち、隠されてあるのだ。「草枕(くさまくら)」が「たび」にかかろうと「たご」にかかろうと、そんなことはたいした問題じゃない。
もともとそれは、まだ文字を持たないころの日本列島の住民が、一回きりの音声体験として使い交わしていた表現技法であったのだ。
しかし、やがて文字を覚えたことによって、何にかかるかということに対するこだわりが強くなってきたために、そのかかっていったことばのほうが主役になってゆき、ついにはまくらことばはただの飾り(修辞語)になってしまった。
万葉集は、そうした歴史の過渡期のもので、そこからはじまっているのではない。
たとえば、柿本人麻呂は、あとにかかることばを生かすために、まくらことばを自由に言い換えたり勝手につくりだしたりしていった。それは、まくらことばの充実であると同時に、退廃でもあった。そうして、人麻呂以後、まくらことばの活躍の場はどんどん衰弱していった。