祝福論(やまとことばの語源)・「辻が花」4

日本史の通説では、弥生時代に大陸からたくさんの人がやってきたことになっている。
本当にそうなのだろうか。
そんなにたくさんの人がやってきたのなら、文字を知っていた人もいただろう。
知っていれば、何かに書き残したくなるものだ。漢字が記されてある土器とか銅器とか、そんなものが出てこなければならない。
いったん文字を覚えたものが文字を捨てて生きてゆくということをするだろうか。少なくとも、捨てたくはないはずだし、そんなに簡単に忘れられるものでもなかろう。
また、新し物好きの日本人が、それを覚えようとしなかったはずがない。
漢字が伝わるためには、最低限何人の漢字を知っている人がやってこなければならないのか。
そんなもの、一人がやってきただけでも、伝わるときは伝わる。
また、大和朝廷は、吉備や出雲や九州などの地方の豪族が連携を結んで打ち立てた、などともいわれているが、そんな「政治」には「文字」が必要なのです。言い換えれば、「文字」を持つことによってそんな「政治」を覚えてゆくのだ。
弥生時代から古墳時代にかけて「文字」がなかったということは、大陸の人間などほとんどやってこなかったことを意味するのではないか。
そうして米作りが大陸から伝わったものなら、稲作の用語もたくさん漢語や朝鮮語が残っていなければならない。最初はそういう外来語ばかりだったがしだいにどれもやまとことばに変っていった、などということは信じられない。ありえない話だ。
北九州の稲作は帰化人が主導権を握っていたというのなら、稲作の外来語はいくらでも残っているはずだし、奈良盆地よりももっと早く文字が普及していてもいいはずだ。
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初期の大和朝廷は、地方の豪族たちが連携して打ち立てたものではない。
いったい、文字を持たない国家共同体とはどんなものであったのか。それは、そこに住み着いた人々による自然発生的なものであったはずだ。彼らは、文字がなくても共通の合意を成り立たせていた。そんなことは、よそ者どうしの連立政権には不可能なことだ。大和朝廷だけでなく、吉備の国も、出雲の国も、そのころの日本列島では、どこもみんなそうだったのだ。
純粋に音声による「語らふ」という行為だけで成り立っていた共同体とは、どんなものであったのか。支配するものとされるものとの親密な関係。そこでの主導権はむしろ、支配されるがわにあったのだ。この国の支配者(天皇)と民衆との関係は、そうやって育ってきたに違いない。この親密な関係は、そうでなければ説明がつかない。
いきなり上から支配していったというような関係であったのなら、こうはならなかったはずだ。
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彼らは、「語らふ」という「空白=空間」を、「文字」という「物性」に置き換えることをしなかった。
彼らにとっては、その「空白=空間」こそが「世界」であった。
1万年前の初期縄文時代の日本列島は、石器や土器などにおいて、地球上でもっとも文化の進んだ地域であった。それは、狭い島国で人々の連帯感や共通の合意が深く豊かに成り立っていたからだ。それでもなぜ「文字」や「共同体」を持たなかったかといえば、だからこそ「語らふ」という現場の「空間性=空白」が何をさておいても止揚されていったからだ。
「文字」の「物性」によって人と人(支配者と民衆)をつないでゆく必要のない社会だった。
彼らはすでに緊密につながっていたから、それを、「文字」という「物性」に置き換えてつながってゆくということに興味がなかった。
彼らの意識は、つねに「空間=空白」のもとにあった。その「空間=空白」こそが人と人の関係を豊かにし、彼らの心をいやした、ときめかせた。
そこから空白の闇である「黄泉の国」のイメージが生まれ、「辻が花」「秘すれば花」という美意識の伝統がつくられていった。
原初の日本列島の住民にとっての「黄泉の国」は、けっしてネガティブなものではなかった。それ自体が救いだった。そうでなければそのイメージが定着するはずがない。
「空間=空白」を祝福してゆくこと、関係が密着してくると、それこそが人と人の関係の救いになる。それほどに彼らは、密着した関係の中で暮らしていた。
弥生時代のはじまりや大和朝廷のはじまりは、新しくやってきた帰化人と共存することでも、新しくやってきた支配者にひれ伏してゆくことでもなかった。弥生時代縄文時代の延長だったのであり、古墳時代は、弥生時代の延長だったのだ。そのような歴史の流れの中で、彼らの関係はすでに密着しすぎていたのであり、そこから「黄泉の国」というイメージが生まれてきたのだ。
大陸から大挙して弥生人がやってきたとか、大和朝廷は西方の豪族たちの打ちたてた連立政権であるとか、そんなことあるものか。彼らが「文字」を持たなかったとはそういうことであり、「政治」のことなんぞで薄っぺらな「古代のロマン」を語るな。
それは、人々がまだ「政治」などというものに侵されていない時代の話なのだ。
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「黄泉(よみ)の国」の「よ」は、「寄る」の「よ」。
「み」は、「やわらかいもの」のこと。
闇の空白は、とろりとやわらかい。そのやわらかいものの中に入って(寄って)ゆくことを「黄泉(よみ)」といったのだ。
体も心もやわらかい闇の空白に溶けてゆくことを「黄泉(よみ)」といったのだ。
それは、大陸文化の影響を受けた後世のものたちが表記した「常世(とこよ)=永遠の国」などというイメージとは別のものだ。
古事記では、「常夜(とこよ)」と記している。
あなたは、この世界の空気に粘り気を感じたことがありますか。
ナイスプレーをしたとき、その瞬間は無心(空白)で、あとになってなんだか世界がスローモーションのように動いていた記憶が残る。
なめらかな動きとは、空気の粘り気を受けているような動きのことだ。能役者は、そのようにして舞っている。
「辻が花」の「空白の花」にも、死に浸されてゆくようなとろりとしたあでやかさがある。
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天国やら極楽浄土やら輪廻転生やら、そんなものを信じるようになれば、もうあのあでやかさを見ることはできない。
日本列島の住民は、そういうことを心の底から信じきることができないような何かを持ってしまっている。「空間=空白」にときめいてしまう心の動きを、どこかしらに持っている。
それを振り切って、信じたければ、信じればいい。ひとまず信じることはできる。観念というのは、そのようにできている。ひとまずそういうつもりになることくらいはできる。
しかしあなたはもう、あの「空白の花」のあでやかさにときめくことはできない。人にときめくことはできない。
それは、ときめいているのではない。馴れ合って仲良くしているだけだ。そんなことくらい、猿でもできる。そんな猿でもできることに熱中している大人たちがたくさんいる。
ときめく心は、ひとりぼっちの心のもとにある。ひとりぼっちで、この島国の歴史に、人間の歴史に身を浸している心のもとにある。
若者は、そうやって「人間とは何か」とか「歴史とは何か」とか、そういうことを問うてしまうから、大人たちが信じられなくなる。
大人たちは、あの「空白の花」を、「意味」とか「価値」ということばで塗りつぶしてしまっている。共同体の制度が、文字が、貨幣経済が、その「空間=空白」を塗りつぶしてしまっている。
若者たちは、空気の粘り気を感じている。
大人たちは「空気」なんか見ていない。人間はつながりあっているものだと思っている。平気で他人を裁こうとし、平気で他人の人生をいじくりまわそうとしてくる、やつらのあのなれなれしさは、いったい何なのだ。(つづく)