祝福論(やまとことばの語源)・「辻が花」2

辻が花のことをつついてゆけば何かが見えてくるかもしれない、とふと思いました。
問題は、日本列島の昔の人はその「空白」の白い花にときめいていたということ、それだけです。
彼らは、その「空白」にとろりとした「豊穣」を見ていた。
夜の闇という「空白」には、とろりとした濃密な何かがある。彼らはそのようにして「死」を認識し、「死」と和解していった。
辻が花の衣装が戦(いくさ)に向かう武士が鎧の下に身につける胴服になっていたということは、それが「死」との和解を象徴し助ける衣装だった、ということを意味する。
橋本治氏は、「日本列島の歴史で江戸時代こそもっとも精神的に充実し人々は救われていた」というようなことを言っておられるが、辻が花が江戸時代に滅びたということは、そのとき人々は死と和解する心を失っていったということを意味する。江戸時代ほど妖怪や悪霊が跋扈して「迷信」がはびこっていた時代もかつてなかった。浮世絵のあのばかでかいペニスは、そうした「迷信」の象徴なのだ。彼らは、死との和解を喪失するということと引き換えに「貨幣経済」の充実を獲得していった。わかりますか、橋本先生。
貨幣経済」のことなんかめんどくさくて考える気にもならないが、お願いだからあほなことばかり言わないでいただきたい。
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この世の文化は、「存在=物質」の文化と「非存在=空間」の文化の二種類がある。
「生の文化」と「死の文化」、と言い換えてもいい。
あるいは、「色(しき)の思想」と「空(くう)の思想」と言い換えることもできるかもしれない。
われわれがものを見るとき、対象だけでなく、対象とのあいだの「空間」も同時に見ている。その「空間」を見ているから、「距離感」を持つことができる。その「空間」を見ていなければ、対象の像は、ぴったり目の前に張り付いてしまうだろう。
そして、意識は、二つのものを同時に意識することはできない。
「意識はつねに何かについての意識である」と現象学者もいっている。
であれば、われわれはもう「空間」を見るのをやめることはできないし、じっさい一瞬たりともやめていない、ということになる。
対象は、ついでに見えているだけかもしれない。何しろ「空間」は透明なのだから、空間を見ていれば、当然対象もついでに見えてしまう。
われわれはふだん、対象を見ているつもりだが、じつは対象とのあいだの「空間」を見ているだけではないだろうか。
対象が何かということはわからなくても生きていけるが、対象とのあいだの「空間=距離」がわからなければ生きてゆけない。
遠くに立っている人が生身の人間であろうとマネキン人形であろうとどちらでもかまわないが、その対象が遠くにいるということがわからなければ、危なくてもう街は歩けない。そんなようなこと。
われわれは、一瞬たりとも「空間」から目が離せない。われわれの視覚は、つねに「空間」のもとにある。
この「世界」は、ついでに見えているだけなのだ。
言い換えれば、この「世界」は、「ついでに見る」というかたちでしか見ることができない、ということだ。
意識はつねに「空間」のもとにある。これが、この生の原則だ。
対象を見ているつもりになっているだけのこと。そのつもりにならなければこの社会では生きてゆけない。
しかしほんとうは、「空間」を見ている。
だから、あるとき不意にそのことに気づかされて、びっくりする。おののきときめく。
辻が花の「空白」の花は、そういうこの生の根源が揺さぶられるという体験をさせてくれる。
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とりあえず西洋の文化は、「存在=物質の文化」であり「色(しき)の思想」を充実させてきた歴史であるといえるのかもしれない。
それに対してどうやら日本列島の文化は、「非存在=空間の文化」であり、「空(くう)の思想」の歴史を歩んできたらしい。
そんな歴史から、「辻が花」や「能舞」が生まれてきた。
デカルト先生、「われあり」ということが確認できれば人間は救われるのか。そんなことを確認するためにわれわれは生きているのか。
そんなことより、この身体が非存在の空間であると気づく瞬間がある。この世界は非存在の「空間」である……そこにおいてこそ、救いも生きてあることの醍醐味もある、と日本列島の古代人は考えていた。そういう体験をしてしまうから、彼らは「辻が花」という空白の模様にときめいていったのではないだろうか。
「われ」という自我意識は、「われ」を「存在」として認識する。そうして、この世界を「存在」として認識する。
しかし、そんな自我が生じる以前のところではたらいている意識がある。それが、「空間」を見ている意識だ。
「あなた」が泣いている。
「私」は、「あなた」の頬に手を伸ばして慰める。
それは、「あなた」と「私」のあいだに手を伸ばせばその頬に届く「空間」が横たわっていることに気づいていたからだ。その「空間」が、「私」と「あなた」の関係をつくっている。
その「空間」に気づいていたから、手を伸ばすということをするのだ。
そのとき「あなた」の頬に手を伸ばす行為は、その「空間」をいつくしみ祝福する行為でもある。
そのとき「私」という意識は、その「空間」の外に置かれている。「私」という意識で手をのばすことはできない。その「空間」をいつくしみ祝福する心が手を伸ばさせたのであり、それは、「私」という意識が発生する以前の意識によって認識された「空間」なのだ。
「私」という自我意識が起きたところからこの生のいとなみがはじまるのなら、人は
「あなた」の頬に手を伸ばすということをしないのである。
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フッサールは、対象を見るという知覚の根源を、自我の「ノエシス」とか「ノエマ」とかという概念で説明してくれている。もちろん対象は「自我」によって知覚されるが、それ以前に意識は「空間」を見ている。根源は、そこにある。「自我」ではない。
日本列島の住民は「自我」が希薄であるとよくいわれているが、それは「自我」を持つ前に「あなた」と「私」の「関係=空間」を祝福している、ということなのだ。
近代は、この「空間」に「貨幣」という「神」を投げ入れた。それによって人々は、自我を肥大化させ、「空白」にときめく心も死との和解も失っていった。人と人の関係も、「貨幣」とともに肥大化してきた「しがらみ」という意識で縛り付けられていった。
金の切れ目が縁の切れ目、などというが、「貨幣」は、人と人の関係を「しがらみ」にしてしまった。
自我(自己意識)によって他者との関係が認識される、などという信仰は、そろそろもうやめたほうがいいのではないか。自我は、他者との「絆」にしがみつく。「絆」といえば聞こえはいいが、ただのうっとうしい「しがらみ」のことじゃないか。
西洋人は、根底に「孤独」ということがあるから「絆」を大事にしようとするのだろうが、日本列島の歴史は、他人とくっついていることのうっとうしさからはじまっている。古代人が「空白」にときめいていったのは、そういう歴史意識でもある。
内田氏は、仲良しこよしの小さな共同体が理想だというが、そういう小さな集団ほど息苦しい集団もない。彼は、そうやって「家族」という「しがらみ」を止揚するのだが、彼の奥さんや娘は、その「しがらみ」の息苦しさに耐えかねて彼のもとから逃げ出したのだ。
大きかかろうと小さかろうと、共同体という「しがらみ」が、人と人の関係のややこしさや現代人の死の恐怖を解決してくれるのではない。他者とのあいだの「空間=空白」にときめいてゆく心を失えば、他人がますますうっとうしくなってこの世は生きにくいものになり、さらには死を怖がって大騒ぎしなければならない。そういうことを「辻が花」が滅びていった歴史が教えてくれている。
自我以前の「空間=空白」に気づく意識は、たしかにある。「辻が花」を愛した古来の日本列島の住民は、そういうところでこの生にときめき、「死」を見ていた。(つづく)