祝福論(やまとことばの語源)・「舞ふ」

肉体労働をしている人はともかく、ふかふかの椅子に座って他人を支配したり美味いものばかり食ったりしている人たちは、ふだん自分の体を楽させているから、自分の体と対話するとか、自分の体との関係にけりをつけてこの世界の「空間」に身を投げ出してゆくとか、そういう生きものとしての生きてあることの手続きから離れた暮らしになってくる。
生きてあることの実存的な感覚が希薄になってくる。
だから彼らは、仕事の合間に、謡や三味線を習うとか、ゴルフとかテニスとか、SMクラブの女王様に鞭でしばいてもらいに行くとか、そういう自分の体との対話の時間を持とうとする。
まあ近ごろはただの庶民でも、「フラダンス」や「そば打ち」などの習い事に熱中したりしている。
肉体労働をしている人たちだけが、そういういじましい「補償行為」とは無縁なところで生きている。
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内田樹先生も、そんな栄えあるセレブの一員として、このごろ「能舞」の習い事に凝っていらっしゃるのだそうです。
そういう習い事をするのがセレブの資格なんだぞ、とぬけぬけと自分でおっしゃっているのだから、まったく、面の皮千枚張りでいらっしゃる。
「つらのかわせんまいばり」と読みます。僕の母親が「おまえは……」と僕を叱るときの常套句だった。
で、「能舞」に凝る内田先生にとってのそうした習い事の効用とは、「何度失敗しても命をとられることも職を失うこともないから、思う存分失敗できる。重い責任を負って生きているものにはそういう息抜きが必要なのだ」ということなのだそうです。
何をあほなことを。
いつまでたっても失敗ばかりしているのは、あなたが鈍くさい運動オンチで自意識過剰だからだ。それだけのことさ。どんな習い事も、うまくなればなるほど面白くなってくるようにできている。いつまでたってもうまくなれない自分の鈍くささに居直ってそんな屁理屈をこじつけようなんて、考えることがいじましすぎる。
たとえたただの遊びでも、うまくなれない自分に身もだえして恥じなさいよ。そうすれば、あなただって少しはうまくなれる。その不幸を不幸として生きることができなければ、うまくはなれないよ。どっぷりとへたくそであることの不幸に沈んでいるくせに、それでも幸せだと居直ってくる。そんなの、みっともないよ。なおぶざまだよ。
言い換えれば、偉い人がそういう習い事をするのは、そこで自分に身もだえする不幸を体験できるからだ。偉くなってしまえばそういう体験が少なくなってきて人生に刺激がなくなる。だからそこで、習い事という「修行」を、ひとつの不幸として体験しようとするのだ。女王様に鞭で引っぱたいてもらうことだって、それはそれで、うっとりと不幸を味わうひとつの「修行」なのです。
仕事には「達成感」がある。しかし修行は、死ぬまで修行だ、という。それは、死ぬまで身もだえしながら修行という不幸を生きてゆくしかない、ということだ。
失敗してもかまわないと居直っていたらいつまでたってもうまくなれないし、それは習い事の何たるかを何もわかっていないということでもある。ようするに「不幸を生きる」ことができない薄っぺらな感性しか持ち合わせていないから、そういう面の皮千枚張りのことがいえるのだし、そういう面の皮千枚張りのことをいうしかないレベルから抜け出せないのだ。
内田先生のいうとおりなら、うまくなったらあほらしくてやっていられなくなるということであり、うまくなる甲斐なんか何もないということになる。
うまくなった人の「死ぬまで修行だ」という感慨なんか、内田先生には死ぬまでわからない。
そして内田先生のそういう愚劣な言い訳に感心してうなずいている人がたくさんいるというのだから、まったくどんな社会なのだと思ってしまう。
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悪いけど、もし僕がその習い事をしたら、内田先生なんかすぐ追い越してしまうだろうという自信はありますよ。
「能舞」は、「歩く」踊りである。跳びはねたり走ったりする踊りではない。
「歩く文化」こそ日本列島の伝統であり、歩くことを極めようとするのが、「能舞」なのだ。
それはたぶん、身体のまわりの「空間」とどうかかわってゆくかという問題であり、身体それ自身をどこまで「空間」として扱ってゆけるかという問題でもある。
「舞う」ことは、「空間」のチューブに入ってゆくことであり、自分が「空間」になってしまうことだ。「舞う」の「ま」は、「間」の「ま」でもある。「間」の空間で舞い、「間」の空間になる。
だから世阿弥は、「秘すれば花」といった。
したがって「身体」に執着ばかりして「空間感覚」が希薄な内田先生は、いつまでたっても「舞う」ことのカタルシスを得られないで、「失敗することの効用」などという倒錯したへりくつにしがみついていなければならない。
歩くことの究極は、山道を歩くことにある。日本列島の「歩く文化」は、縄文人が山道を歩き回っていたことからはじまっている。
山道を歩くことは、「舞う」ことなのだ。能役者は、そのようにして舞っている。
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人類はなぜ直立二足歩行を始めたのかという問題だって、日本列島の「歩く文化」とけっして無縁ではない。
その問題にはたぶん、日本列島の住民がもっとも接近することができるのだ。走ったり跳びはねたりする文化の西洋人には思いも及ばない「パラダイム」がそこに潜んでいるのだ、と僕は思っている。
直立二足歩行の問題については、世界の学者連中の論議なんかいいかげん行き詰っているじゃないですか。最近では、「遺伝子の突然変異」などという、まったく考えることを放棄してしまったかのようなおばかな本が堂々と学術書として出ていたりして、西洋人の考えることなんかそのていどさ、ということばかりです。
その問題だって、「パラダイム・シフト」はきっと必要なのです。
僕の友達は、おまえが何度そういっても、実験データもおまえ自身に権威もないのだから信じられない、手に棒を持ったからという今西錦司の説のほうが、権威者がいっているぶんまだ信用できる、といっていました。
まったく、想像力のないやつは、そんなふうにしかうなずけない。そんなふうなところで、嘘でも信じてしまう。
「直立二足歩行は他者とのあいだの<空間>を確保する姿勢である」と僕が何度もいっているのは、僕が思いついたのではない。あるときなんとなく、ああそうだよな、とうなずいてしまっただけだ。いったい誰が教えてくれたのかはよくわからないのだけれど、けっきょくそれは想像力の問題であり、教えてくれたのは日本列島の「歩く文化」かな、とも思っている。