やまとことばという日本語・「くはし」のエクリチュール

日本列島の「どうせ」ということばのニュアンスは、外国人にはきっとわかりにくいだろう。
それは、皮肉でも絶望でも怒りでもない。
この世界を希望のないかたちで受け入れつつ、その嘆きをカタルシスに変えてゆく心の動きからこぼれ出てくる言葉……とでもいえばいいのだろうか。
希望をもたないことが希望である心のかたち。
「人間なんてどうせそんなものさ」といいつつ、人間を肯定し、祝福してゆく。
 おれは河原の枯れススキ
 同じおまえも枯れススキ
 「どうせ」ふたりはこの世では
 花の咲かない枯れススキ
そんな歌謡曲があったが、嘆きがそのままカタルシスになってゆくかたちをうまくあらわしていて、ひと昔前の人たちの愛唱歌になっていた。
そんな時代がよかったというつもりはさらさらないが、自分のことを「枯れススキ」といえないで「幸せです」といわなければ格好がつかない強迫観念に追い立てられている現在がいい時代だともいいたくはない。 
近ごろ一部の若者が「俺たち頭わるいから」といったりするのは、「枯れススキ=どうせ」のタッチがよみがえっているのかもしれない。
内田樹氏は、彼らのことを、まるで頭が悪いことに居直っているふてぶてしい人間のようにいうのだが、そうじゃないのですよ。頭のいい妙なエリートより、彼らのほうがずっとやさしい心根の持ち主だったりする。
彼らは、「どうせ」と嘆きつつ、そこから生きてあることのカタルシスを汲み上げてゆこうとしている。そしてそれは、この国で古代以来ずっと地下水脈として流れつづけきた世界認識のタッチであり、美意識なのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
頭のいい人間は、言葉をもてあそぶ。
頭の悪いものたちは、嘆きつつ、ことばを模索している。
ことばをもてあそぶことができるのは、文字が生まれてきたからです。彼らにとってことばは、すでに存在している。彼らにとってことばは、文字を記すための道具に過ぎない。彼らはことばを豊富に所有しているが、ことばの起源に遡行できない。
ことばが生まれてくる契機としての「嘆き」にとどまる体験をしているものだけが、ことばの起源に遡行できる。
頭の中にことばが豊かにあふれているということは、ことばが文字を記すためのたんなる道具になってしまっているからだ。
ことばのためのことばを紡いでいるだけのことだ。現代人は、ことばの表現は豊かだが、ことばが生まれてくる「契機」を持っていない。現代人にとってことばは、すでに存在している。
文字を持つ前の時代のやまとことばの語彙はとても少なかったといわれています。ことばが生まれてくる契機としての心の動きをともなっていないことばなど存在することができなかったからです。
われわれは、文字を持ったことによってことばを豊富にしたが、ことばが生まれてくる契機としての心の動きが貧しくなった。
現在のギャルことばは、語彙が貧しくてもことばが生まれてくる契機を生きている頭の悪いギャルたちのあいだから生まれてきているのであって、ことばが豊富な知的エリートたちの主導によるのではない。
学問としてのことば、芸術表現としてのことば、どちらだって同じだ。彼らのことばは豊富だが、豊富であるがゆえに、もはやことばの起源に遡行することはできない。
この社会は、頭がよくてことばが豊富な人たちのものかもしれないが、彼らによってことばの起源が解き明かされるのではない。ことばが豊富でことばをもてあそんで生きているということは、ことばが生まれてくる心の動きを喪失しているということだ。
「おれたち頭悪いから」という「嘆き」を持っているものにしか、ことばの起源は体験できない。
だから、おえらい万葉学者が、あんな底の浅い語源論しか書けないのだ。
豊かにことばと戯れて幸せに生きる方法なんかいらない。「おれたち頭悪いから」とか「私、ブスだから」とか、「人間関係へただから」とか「貧乏だから」とか「仕事ないから」とか「病気だから」とか、そういう「嘆き」を生きる体験としてことばの起源が明らかになっていくのであり、そこにこそことばが生まれる契機がある。
心であろうと生活であろうと、豊かさを語るやつなんぞにことばの起源はわからない。
はじめにことばありき、ではないのです。
ことばが生まれてくる心の動きとしての「嘆き」があった。
今なぜ「語源論」かといえば、そういうことです。われわれの中では、ことばと戯れる時代は、すでに終わっている。
いずれにせよ、ひとまず「文盲」にならないと、ことばの起源に推参することはできない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
頭の悪いものは、考えないのではない。誰だって考えているさ。ただ、考えれば考えるほど、わからなくなってゆく。すべての答えが、無意味になってゆく。
考えることの向こうがわには、「何もない」。信じられるものはもう、「今ここ」にしかない。
遠ければ遠いほどわからなくなってゆく。遠い人のことは、忘れてしまう。目の前の「あなた」しか信じられない。「今ここ」が世界のすべてであり、「あなた」が人間のすべてだ。
海の向こうは、「何もない」。
この国の歴史は、そうやってはじまった。
「どうせ」そんなものさ……考えは、けっきょくそういうところに行き着いてしまう。そうして、目の前の「あなた」を抱きしめる。それだけが、生きてあることの証しである。
神は、「あなた」の中に宿っている。
古代の日本列島の住民が地上の森羅万象の中に神を見出していったのは、けっきょく「海の向こうは何もない」という感慨を抱いたところから歴史がはじまっているからかもしれない。「何もない」と思えばこそ、海に囲まれたこの島が世界のすべてだという感慨も深くなる。
それは、「今ここ」がこの生のすべてだという実感でもある。
水平線の向こうは「何もない」という感慨。すなわち、「ない」の発見。すなわち、カタストロフィー(消失点)の発見。
たぶんこの体験から、末広がりで先が細くなっているものをめでたいとする美意識が生まれてきた。
「消えてゆく=カタストロフィー」、これが、日本列島の美意識の原型なのだ。
消えてゆくかたち、そこに古代人は、「細(くは)し」ということばがこぼれ出る感慨を覚えた。
遠いものはしだいにぼんやりしていって、やがて何もわからなくなる。これが、古代人が海の水平線を眺めながら抱いた感慨であり、そのなやましさくるおしさから逃れるようにして空を仰ぎ、たしかなものは「今ここ」にだけあるという感慨を深くしていった。
そうやって「よこ」のパースペクティブ(時空)を断念し、「たて」の世界(時空)を仰いだ。
そこには、末広がりで先端が細くなっているかたちの「山」があり、その先に何もない「空」があった。そして、ああここが世界のすべてだ、と思った。この体験は、海を眺めてなやましさくるおしさにひたされ気持ちが停滞する「けがれ」対する、ひとつの浄化作用(カタルシス)になった。
まず気持ちが停滞する「嘆き=けがれ」の自覚があり、そこから山を眺めて「くはし」とつぶやく浄化作用(カタルシス)を体験していった。そういう浄化作用(カタルシス)として、「くはし」ということばがこぼれで出てきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
古代人が「くはし」といった感慨は、学者先生のいうような「こまやか」とか「小さい」とか「精密」だとか、そういうことじゃない。
「くはし」という音声がこぼれ出るカタルシスがあったのだ。そしてそれは、学者先生がいうよりももっと単純で具体的な体験であると同時に、もっと深く豊かな意味がこめられた体験でもあったのだ。
ただ単純に、末広がりで先が細いかたちをしたものを「くはし」といったのだ。それだけのことさ。それだけだが、しかし、そこにはもっと深く豊かな彼らの世界観がこめられている。
中西先生、あなたは古代人のそういう心の動きに推参できているか。
あなたのように豊かな知性の持ち主にはできない。
「おれたち頭悪いから」という嘆き、言葉が生まれてくる契機は、そういう「けがれ」を自覚しているものにしかわからない。
あなたたちはことばをもてあそぶことには達者だが、だからこそ、「うっ」と息が詰まるような、ことばが生まれてくる契機としてのものぐるおしい体験はできない。そういうことは、われわれ頭の悪い人間の領分なのだ。
ざまあみやがれ。
「くはし」ということばの語源を、僕よりももっとリアルに綿密に解いて見せた学者先生がいるのなら、教えていただきたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「かわいい」の語源だって、「くはし」である。
「くはし」=「くはい」=「かはい」=「かわいい」
むかしは「かはゆ」といった。今でも「かわゆい」という人もいる。
「ゆ」は、「なってゆく」こと。「なる」というかたちで終わるのではなく、なってゆくひとつの状態のこと。
水が湯(ゆ)になってゆく。「湯になる」のではない。「湯になってゆく」のだ。「なってゆく」ものを、「ゆ」という。
温まってゆく水という意味での「湯(ゆ)」という言葉は、世界中のどこにもない。中国の「湯(たん)」は、「スープ」という意味である。中国人も西洋人も、温まってゆく水のことは、温まってゆく水(ボイルド・ウオーター)という。「ゆ」という名称はない。彼らは、温泉の「湯(ゆ)」とはいわない。温泉の「水」という。
「なってゆく」という感慨は、遠い水平線を眺めてだんだんわからなくなってゆき、ついにはその先はもう何もないと納得してゆく心の動きからから生まれてきた。地平線の向こうから人がやってきて地平線の向こうに出かけてゆくことのできる歴史を歩んできた彼らには、そういう体験がない。だから、「なってゆく」=「消えてゆく」という感慨もない。
彼らは、永遠に「なり続ける」ものを美しいと思う。したがって、「なってゆく」という感慨が生まれにくい。「なりつづける」ものは、「なってゆく」とはいわない。やがて終わるから、「なってゆく」というのだ。 この国では、消失点のある「なってゆく」ものを美しいと思う。
「湯」は、百度以上にならないし、百度になったら蒸発して消えてゆく。そういう「あはれ」のかたちに対する感慨(思い入れ)から、「湯(ゆ)」ということばが生まれてきた。
「湯(ゆ)」もまた、「くはし」と感慨される対象だったのだ。
「かはゆ」ということばは、やがてはかなく消えてゆくものに対する愛惜から生まれてきた。
われわれは、そういう「愛惜」をこめながら、「どうせ」といっているのであり、そこのところが、外国人はわかってくれない。
未来を忘れて「今ここ」を愛惜する感慨から、「くはし」という言葉が生まれ、「どうせ」というつぶやきになっていった。
末広がりで先が細い富士山のかたちこそ、もっともみごとに「くはし」というこの国の美意識を体現している。だから、日本一の山だという。風呂屋のペンキ絵といっしょじゃないかと強がっても、じっさいに新幹線の窓から眺めれば、すでに心は圧倒され浄化されてしまっている。
ちなみに、正月に食う「慈姑(くわい)」という芋も、三角錐の先が細くなっているかたちからそう名づけられたのでしょう。あんなもの、美味くもなんともない。ただかたちがめでたいだけなのだ。
姑(しゅうとめ」を慈しむ、と書いて「慈姑(くわい)」という。先に死んでゆく人を慈しんでまいとし正月になると嫁が煮るのだろうか。
「くはしき芋(いも)」=「くは(わ)い」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中西氏は、古代人の「くはし」という美意識は現代人とは無縁のものだというが、それは、今なおこの島国の住民の美意識として、その痕跡(エクリチュール)をとどめているはずです。
富士山が日本一の山だといったり、ギャルが「かわいい」といってはしゃいだり、正月に「くわい」という芋を食ったりすることも、みな「くはし」の痕跡なのだ。
僕は頭悪いから、万葉集源氏物語を読み解いたり味わったりする能力はありません。しかしやまとことばの語源として古代人の心の動きに推参してゆくことなら、はっきりいって中西氏は、僕の半分もできていない。