やまとことばという日本語・「詳(くわ)しい」の語源

弥生時代までさかのぼることのできる日本列島の住民の美意識は、「細(くは)し」ということばにあるのだとか。
万葉集にも「くはし」ということばはあらわれる。
しかしそれが現代では「詳しい」という意味に使われるようになり、「くはし」という美意識は消えてしまっている、と中西進氏はいう。
そうじゃないのですよね。
「詳(くわ)しい」ということばを使う現代人の意識の奥に、「くはし」という原初の美意識が隠されている。
原初の日本列島の住民は、この世界のすべての森羅万象の奥(うちがわ)に「神」という根源のはたらきが隠されている、と感じた。
隠されているものが根源であり美である……これはもう、今なおわれわれが引きずっている世界観であり美意識の基本的なかたちであろうと思えます。
日本列島の住民は、隠そう隠そうとする。「くはし」という美意識を隠すことによって、「くはし」という美意識がなおたしかになる。やまとことばが変容してゆくということは、「隠される」というかたちでよりたしかに原義が残ってゆくことでもある。たんすの奥に閉まっておけば、その着物はなくならない。女房を家の中に閉じ込めておけば、俺の女房だという実感がより確かになる。良くも悪くも日本列島の住民は、意味をことばの奥に隠そうとする。
古代人の「くはし」という美意識は、「詳しい」ということばの奥に生き続けている。
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中西氏は、古代人のこの「くはし」という美意識がよくわからないらしく、次のように言っています。
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 早ばやと「古事記」から姿を見せる「くはし」は「万葉集」にも登場するが、美を示すことばとして、今日「くわしい」を使うことはない。これも漢字をあてると「細」があてられるから「こまやかな美しさ」をあらわすと説明されるが、このことばは古典では山の形にも武器の矛にも、また当然美女にも用いられるから、一概に理解することはむずかしい。武器は「精巧な」といわれるが、山容はどういう現代語におきかえればよいのか。美女にしても「こまやかな美しさ」を持つ美女といいかえても、反対に、大まかな美女がいるのだろうかと思ってしまう。
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まず、現代の「くわしい」と古代の「くはし」が別の意味のことばだと思うこと自体が、すでに思考停止におちいっている。古代の「くはし」が現代の「くわしい」になったのだもの、後者から前者へと遡行できるはずです。遡行できるかたちで、現在の「くわしい」ということばが成り立っているのだ。
そして「こまやかな」という解釈が気に入らないのなら、それに代わる仮説を中西氏は提出するべきでしょう。ただ気に入らないで済ませているのなら、やっぱり思考停止だ。
それは、やまとことばの権威がとるべき態度ではない。
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「くはし」の「く」は、「苦(くる)しい」の「く」。「熊(くま)」の「く」。熊と出会ったとき、恐怖で体が固まってしまう。
「く」と発声するとき、息も声も胸に閉じ込められているような窮屈な心地がする。
「く」は、「収縮」「苦痛」「固定」の語義。
「くすり」は、「苦(く)=病気・怪我」を「こする=なでる=いやす」もの。たぶん最初は、怪我したところに木か草の葉をすりつけていたのでしょう。そのとき(たぶん縄文時代)から、すでに「くすり」ということばがあったはずです。
「は」は、「はかない」の「は」。「はるか」のは。はるかなものの姿は、はかないかたちでしかとらえられない。「空虚」「あいまい」「仮定」「衰弱・消滅」の語義。「はあ」といぶかる。「はあ」とためいきをつく。心もとない感慨からこぼれ出てくる音声。声が息に溶けてゆくような発声。
「し」は、「しーん」の「し」。「静寂」「孤立」の語義。
「くはし」は、先が細くなっているもののこと。「収縮」の「く」、「衰弱・消滅」、あるいは「はるか」の「は」、「孤立性」の「し」。古代人は、先端が細くなって消えてゆくかたちの孤立性に、ある「端正さ」を感じていた。
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「くはし」とは、「先鋭・尖鋭」のこと。
武器の矛は、まさにそんな形をしている。山も、同じように先(頂上)がとがっている。そしてそれは、はるかに遠い対象でもあった。はるかに遠いということ自体が「くはし」でもあった。また、十二単(ひとえ)の着物をまとった女性の姿は、すそが広がって先が細い富士山のようなかたちをしている。古代の高貴な女性の衣装は、平安時代以前からすでにそんなかたちになっていた。卑弥呼の衣装だって、そんなふうだったのかもしれない。たぶん、そういうところから、美女のことも「くはし」と形容するようになった。古代においては、美女こそ女の中の女だった。その孤高性・希少性も兼ねて、「くはし」といったのかもしれない。
現在の「くわしい」ということだって、微に入り細に入り知っていたり説明したりすることをいうのだから、それは「くはし」というかたちでしょう。
古代人にとって「くはし」は、山の姿であり、山に住む(=隠れている)神のかたちであった。まず、そこからはじまったのでしょう。これが、「くわしい=くはし」の語源であるはずです。
「消えてゆく」かたち、その「くはし」のさまが、古代人にとっての「美」であった。そのような「はかない」もの「小さい」もの「はじらう」もの「かくれている」ものが「美」であった。
日本列島の住民の美意識は、たぶん縄文時代から、そう大きくは変わっていない。縄文時代に、すでに原型はつくられていた。