やまとことばという日本語・動詞が先にあった

「青空」ということばは、ひとつの単語です。
英語なら「ブルー・スカイ」と、二つの単語が並んだことばになる。
「あおぞら」は、「もの」ではなく、自然現象という「こと」だともいえる。つまり、「空が青く広がっている」という動詞的なことばであるのかもしれない。
あるいは、そのことばから、青い空を眺めている体験がイメージされている。
それは、青い空という「こと」をあらわすことばであって、青い空という「もの」を表しているのではない。
「浅瀬(あさせ)」も、二つの単語を一つにまとめたことばです。
川の浅い部分のこと。もともと「瀬(せ)」ということば自体に「歩いて渡れるような浅い部分」という意味があるのだから、さらに浅いという感じだろうか。いや、「瀬」ということばがすでに浅いことをあらわしているのだから、「あさ」ということばはただの「浅い」という意味だけではないのかもしれない。
「浅い」という漢字はじつは当て字で、ただもう「あさ」という感慨をともなう「瀬」という意味だったのかもしれない。
「あさ」は、「朝」でもある。「あ」は、「あ」と気づく感慨からこぼれてくる音韻。「察知」「注目」「方向」の語義。「さ」は、「裂く」の「さ」。空の闇が裂けて明るくなってくる時間帯のこと。そして「さ」という音韻は、ものごとが「裂ける」ことに対する緊張感やさっぱりする感慨を表出している。そういう朝のすがすがしさを表すことばでもある。
浅瀬を渡ることは、川を「裂く」行為である。あるいは、浅瀬それじたいが川を裂いている、ともいえる。そして浅瀬を渡るときは気持ちを集中しなければならない。油断していると、深みに足を取られて流されてしまう。そういう心の動きから「あさ」というのかもしれない。ただ「浅い」というだけじゃない、なんだか着物のすそをまくり上げてそろりそろりと渡っている様子がイメージされてくる。とすればそれは、「動詞」のニュアンスもそなえている。
「浅瀬」とは、歩いてわたることのできる瀬。いや、「瀬」ということば自体にそういう意味が含まれているのだから、「あさ」という感慨で渡ってゆく瀬、ということになる。
このことばはもう、ほとんど動詞なのだ。
「あ・さ・せ」、という動詞。「せ」という音韻には、「不安」とか「焦燥」という意味もある。「せっぱつまる」の「せ」。「気が急(せ)く」の「せ」。もともとは、漢字が示す意味など関係なく、ただ「あ・さ・せ」という浅瀬をわたる感慨から生まれてきただけのことばだったのかもしれない。
われわれは、「あさせ」ということばから、水の底が透けて見えているのを想像する。それは、川底の形状というよりも、浅瀬を渡っているという「こと=動詞」のイメージである。
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和歌の「まくらことば」は、一般的にはあまり意味のないただの飾りことばのように考えられているが、そうではなくて歌全体の屋台骨になっているのだ、という意見の研究もある。
それは、和歌の誕生とともにあった率直な表現であって、あとの時代の技巧的な退廃として生まれてきたのではない。
まくらことばが和歌を生み出した、ともいえる。古代の人々は、まくらことばが語りたくて、和歌という形式を生み出していった、という側面もある。もちろんそれだけではないのだろうが、まくらことばを語ることのカタルシスも、ひとつの大きな契機だったはずである。
文献として残っているもっとも古い和歌は、古事記の中に出てくる次の歌らしい。
出雲の地にやってきたスサノオが美しい姫と出会って結婚したときの歌。
八雲(やくも)立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣つくる その八重垣を
八雲立つ」は、「出雲」にかかるまくらことばです。そしてこの歌が一番表現したいのは、「八雲立つ」ということばであるはずです。そのあとの「出雲八重垣……」ということばの並びは、「八雲立つ」の語呂合わせのようなものというか、「八雲立つ」という表現を盛り上げるための装飾として機能しているにすぎない。まくらことばが飾りなのではなく、あとのことばの並びが飾りなのだ。
美しい妻をめとっていろんな雲の湧き上がる豊かなこの地に立っていることのめでたさ、高揚した気分、そんなようなものを表しているのでしょう。
「その八重垣を」という最後のフレーズは、あとに続く動詞が隠されている。隠されることによって、「八重垣」ということば自体が動詞になっている。八重垣とはたくさんの垣根という意味だが、たくさんの人に祝福されているという「こと=動詞」の比喩であり、それはけっきょく、「八雲立つ」という「こと」が起きているという体験のよろこびに帰ってゆく。
肝心なのは、「八雲立つ」というまくらことばなのだ。つまり、それがこの歌の「主題(テーマ)」であり、「八雲立つ」というダイナミックな自然に自分の高揚した気分を託している。
古代人の自己意識は薄い。自分を捨てて自然の「こと=現象」に同化してゆくよろこび。
彼らにとってまくらことばこそ、神の霊魂であり、「ことだま」そのものだった。
まくらことばは、「もの=物性」のしがらみから離れ、ここで世界が生起しているという「こと」を実感させることばだった。
まくらことばは、そういう「動詞」なのだ。
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じっさい、「動詞」の姿になっているまくらことばは多い。
「茜(あかね)さす=日(にかかる)」「天(あま)かざる=雛(ひな)」「天つたふ=日」「天飛ぶや=雁」「岩走る=滝」「うちなびく=草・春・黒髪」「君が着る=みかさ」「空に満(み)つ=大和」「高(たか)知るや=天」「行く鳥の=群がる」「千早振る=神」……そのほかにも、いくらでもある。
まくらことばは、飾りではない。いかにしてまくらことばを止揚してゆくかが、その歌の生命だったのだ。
「山」にかかるまくらことばである「あしひき」は、まさに足を引くという動詞でしょう。「ひきあし」とはいっていない。足を引きながら登るからとか、山のすそがなだらかになっているからとか、一般的にはそのように説明されている。
しかし、それだけではまだ不満です。
「あし」は、「もの」としての「足」の説明以前に、「立っている」という「こと」の表出だったはずです。植物の「葦(あし)」のことでもあったのだ。葦は、竹のように垂直に立っている植物です。
すなわち「あし」という言葉には、「孤高」とか「孤独」という意味が隠されている。
奈良盆地の香具山などは、平地にぽつんと盛り上がっている。富士山が愛されているのも、それが「孤高」の姿をしているからでしょう。「孤高」すなわち「神」。
あの山に神が宿っている、と気づいたときの感動。「あしひき」ということばは、そういう「こと」の体験の表出でもある。そういうひりひりしたというか、身が引き締まるような感慨=体験を語りたくて、そのあとのことばを修飾しているだけなのだ。
まくらことばこそ、主題であり主役だった。
まくらことばは、自己表現のためのことばではない。自分を捨てて「こと」に身をゆだねてゆくためのことばである。自分を捨てていることを宣言することばである。それによって「こと」が浮かび上がる。
それは、神の「ことだま」を体験することだった。
つまり、まくらことばは、神に捧げることばである「祝詞(のりと)」から派生してきたものであるのかもしれない。
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やまとことばの起源の多くは、まず「動詞」として考えるべきである。
「かむ」という動詞が「かみ」という名詞になった。
「神奈辺(かむなべ)」というように、「かむ」という動詞がそのまま残っている例もある。
「神無月(かんなづき)」も、「かむなづき」から転化したのだろう。
「噛(か)む」は、食物の中身を味わうこと。
「かみ」とは、「内実」「本質」、たしかな中身。
空を飛ぶ鳥の中には、「かみ」が宿っている。
まくらことばの中にも、「かみ」が宿っている。
まくらことばなんて陳腐で類型的なことばにすぎない、というべきではない。「あなた」だって「私」だって、うんざりするくらい陳腐で類型的な存在ではないか。
そうやって「人間嫌い」になってしまった若者は、秋葉原事件の彼だけではない。多くの若者が、人間嫌いになってしまっている。人間嫌いになって、ニートや引きこもりになったり、自殺したりしている。
内田樹先生、この社会にあなたみたいに陳腐で類型的な俗物の大人がうようよいてのさばっているのであれば、若者が「人間嫌い」になってしまうのはしょうがないことなのですよ。
彼らが人間嫌いを克服できるすべはあるのか。
「あなた」の中に神が宿っている、と「あなた」を祝福してゆくことはできるのか。
その答えが、たぶん古代の和歌の「まくらことば」にある。
古代人は「あなた」や「私」という「もの」など問わなかった。「まくらことば」に託してひたすら「あなた」や「私」が存在しているという「こと」、すなわち今ここで世界が生起しているという「こと」を「動詞」としてとらえながら祝福していった。
中西進氏は、まくらことばは古代の「序詞」と同じで、ただの前ふりのような言葉だといっているが、われわれはそうは思わない。
まくらことばこそ結論であり主題だったのだ。
やまとことばでは、いいたいことをまず先にいう。「きれいだね、この花」というように。
それは、「この花」という「もの」よりも「きれいだね」という「こと」の体験のほうが優先されている、ということだ。
「あなた」という「もの」よりも、「あなたが存在する」という「こと」のほうが大事であるように。