やまとことばという日本語・「もの」と「こと」 2

「楽しい生き方」とか、「充実した生き方」とか、「美しい生き方」とか、「ほんとうの生き方」とか、「救済」とか、そんなものをお探しなら、「ほかを当たってください」というしかない。
このブログには、そんなものは、何もありません。
「生きてあるとはどういうことだろう」と問うて書いているだけです。
やまとことばの美しさとか、日本人感性の豊かさとか、そんなものにも興味はありません。
ただもう、どんなふうにしてやまとことばが生まれてきたのだろう、と問いたいだけです。
あなたが、やまとことばの美しさや日本人の感性の豊かさをあげつらう権威的な学者の受け売りだけで満足しておられるのなら、そんなものはくだらない、というこのブログの記事はうっとうしいだけです。
われわれは、ぜんぜん不満です。
人間が生きてあるということはそういうことじゃないだろう、といいたいことがたくさんある。
彼らのように、そんなふうに安直に人間を規定して語られても、ぜんぜん納得できない。
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やまとことばは、「こと」に気づく体験から生まれてきたのかもしれない。
だから「ことば=ことのは」という。
意識は、「もの=物性」に対するストレスとして発生する。そこから「こと=空間性」に気づいてゆく体験から「ことば」が生まれてくる。言葉を発するとは、そういうかたちでストレスが沈静化してゆく体験であったのかもしれない。
「もの言わぬは腹ふくるるわざなり」という。言えば、すっきりすることが多い。「ものを言う」とは、「もの」を「こと」として表出してゆくことであるらしい。
「もの(たとえば妖怪など)」ということばの重くよどんだ響きに対する「神(かみ)」ということばの軽く開放的な響き。それは、物性に対する空間性です。
鳥は、「もの」である。しかし「鳥が飛んでいる」といえば、それは「こと」である。そのとき意識は、鳥の物性を忘れている。「こと」において、物性は存在しない。
意識は、世界を「こと」として認識することによって、世界の物性から解放される。
われわれが空を飛んでいる鳥の姿を眺めるとき、その姿はたんなる「画像」であって、鳥の「物性=もの」など感じていない。
「鳥が飛んでいる」という事態において、鳥は「もの=物体」ではなく、たんなる「画像」であり、そのとき鳥の体の中は空っぽの「空間」である。
その「空っぽの空間」の中に、原始人は「神」を発見した。
この世界を「こと」として認識したとき、世界のかたちあるものはすべて「空間=画像」であり、そういう「こと」が生起する契機として、彼らは「神」を見出していった。
この世のすべての森羅万象の中に「神」がいる、鳥や獣や虫だけでなく、太陽の中にも雷の中にも雨や風の中にも、そして空の向こうにも神がいる、と。
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「ことば」の中にも「神」がいる。それが、「ことだま」です。
ことばは、「こと」を認識する道具です。
「あ、花が咲いた」というとき、「咲いた」という認識をあらかじめしていたか。
たぶん、していない。
「咲いた」、といってしまってから、「咲いた」という事態を了解する。
われわれは、ことばから「こと」を知らされる。
知らせてくれたのは、ことばの中に宿る「かみ=ことだま」である。古代人は、そう考えた。
一番最初に「咲いた」という言葉を発した者は、発する前に「咲いた」という言葉が浮かんだのではない。「咲いた」という言葉を知らないものが、「咲いた」という言葉を思い浮かべることはできない。「咲いた」といってしまう感慨があっただけだ。その感慨から、「咲いた」という言葉がこぼれ出た。そうして、こぼれ出てしまってから、「咲いた」という「こと」を了解した。
彼は、ことばから「咲いた」という「こと」を知らされた。
では、「花」ということばと「咲いた」ということばと、どちらが先にあったのか。
「花」は、「もの」である。「咲いた」という事態は「こと」である。「もの」を認識しているとき、心はよどんでいる。「こと」に気づいたとき、はじめて心が動く。
であれば、原始人は、「咲いた」という「こと」を表出することばを先にもったことになる。
だから「ことば」というのだ。「こと」の表出のほうが先だったから、「ことば」というようになったのだろう。
「花」ということばは、あとから生まれてきた。
赤ん坊が、自動車のことを「ぶーぶー」という。それは、自動車という「もの」の名称ではない。「自動車が走る」という「こと」の表出なのだ。
「もの」に気づいたからことばが生まれてきたのではない。この世界の現象という「こと」に気づいたところから「ことば」が生まれてきたのだ。
やまとことばは、最初に「動詞」があった。やまとことばが動詞を中心としたことばであることは、研究者の意見の一致するところであるらしい。
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やまとことばにおいては、「橋「と「箸」と「端」と「嘴」、ぜんぶ「はし」と読む。これほど名詞があいまいなのは、それが主体になっているのではなく、たんなる動詞に付随することばだったからだろう。というか、動詞の表出の流儀そのままで表出されていった。「もの」として区別しようとする意図は、あまりなかった。
「こと」に対する感慨が、「ことば」になった。だから、名詞も、それの物性を表現するのではなく、それに対する感慨として表出されていった。上記の4つの名詞は、すべて二つのものを繋ぐことに対する心もとなさの感慨から生まれてきた。
まず「離(はな)れる」という動詞があった。「は」とは、離れること、離れることの心もとなさの表出。原初の日本人は、たぶん離れることを「は」といっていたのであり、そこから「はし」ということばが生まれてきた。動詞が先にあったのだ。
「橋「も「箸」も「端」とも嘴」も、すべてその物性に関しては何も説明していない。
そして花にだって、花びらという平面が折り重なっているだけの、そのかたちの存在感の薄さに対する心もとなさを感じるわけで、だからともに「は」という心もとなさを表出する音韻からはじまっている。
違うのは、花には「愛着」の感慨の表出である「な」という音韻がついているが、それらの「はし」は二つのあいだで「孤立」しているから、その「こと」に対する感慨としての「し」がくっつけられている。
「し」は、「静寂」「孤立」の語義。「し−ん」の「し」。
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やまとことばにおいては、名詞すらも動詞のように表出されている。
「はる」の「る」、「なつ」の「つ」、「あき」の「き」、「ふゆ」の「ゆ」、すべて、動詞の最後につく音韻です。
「はる」の「は」、心がぼんやりしてしまうことの「は」。景色もぼんやりしている。「春がすみ」「おぼろ月」、「ひねもすのたりのたり」の川の流れ。そういう動詞としての「は」が基調になって、「はる」という。
「なつ」は、木も草も虫も雲も、ものみな成長する。すなわち「成(な)る」。「なつ」の「な」は、「なる」の「な」。
「あき」は、風の気配から、夏が終わったことに「あ」と気づく。夏は一年のクライマックスであり、木の葉が紅葉したり、熟した木の実のどんぐりや栗が落ちてくるなどの現象とともに、一年の終わりに気づかされる。「あ」は、「気づく」感慨の表出。「飽(あ)きる」ということも、気持ちの高揚が終わったことに気づかされることにほかならない。
「ふゆ」は、体が「震(ふる)える」こと。人間も動物も、じっとして「伏(ふ)す」状態で暮らす。そういう動詞としての「ふ」。
少なくともやまとことばにおいては、まず動詞、すなわち「こと」に対する表出のことばから先に生まれてきたのだ。
たぶん、「花」ということばよりも、「咲いた」ということばのほうが先に生まれてきた。
「あ、咲いた」……これが、やまとことばの起源におけることば体験だったのだ。
そのあとに、「もの」という「嘆き=ストレス」の対象が見出されていった。
「もの」とは、浄化作用(カタルシス)としての「こと」が起きなくなっている穢れた存在のこと。だから、重苦しくまとわりつくような響きの「もの」という音声がこぼれ出てきた。
もしかしたら「もの」ということばが本格的に使われるようになったのは、共同体が成立して以後のことかもしれない。
「もの」は、けっしてやまとことばの原初的なことばではない。
日本列島の原初の人類は、あまり「もの」にわずらわされることもなく、「こと」に気づくことの浄化作用とともに暮らしていたのだろう。
縄文時代には、共同体(国家)とか家族というよな「もの」はなかった。
まあ「身体」という「もの」はあったにせよ。
しかし彼らが体の内部のことを「はら」といっていたということは、彼らがそこを何もない空間として扱っていたことを意味する。
「はら(腹=原)」とは、何もない空っぽの場所、という意味。彼らにとって身体は、あくまで空気の出し入れをする場所であって、食うことに対する関心はあまりなかったらしい。だから、食うものなんかなんでもいいというような暮らしをしていた。
彼らは、身体の「空間性」に気づいていた。
「こと」とは、この世界の「空間性」である。人類は、この「空間」において「神」を見出していった。
まず「こと」に気づくことばとしての動詞が生まれ、その結果、その契機としての「もの=名詞」が見出されていった。
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「あなた」という「もの」を問うているのではない。「あなたが存在する」という「こと」がすてきなのだ。たぶん、これが、原始人の心の動きです。
しかしわれわれ現代人は、すぐ「あなた」という「もの」を問いたがる。美しいか否か、正しいか否か、と。
そんなふうに「もの」を問うて、「もの」を止揚してゆきもすれば、「もの」のうっとうしさから逃れられなくもなる。
「いい人だ」といってほめ合っているということは、そうではない人を責めたり無視して排除したりしているのと同じなのだ。
「いい人だ」と評価することそれ自体に、「もの」に対するこだわりという制度性がひそんでいる。
原始人は、「もの」から離れて「こと」に気づいていった。そこから「ことば」が生まれてきた。
やまとことばの成り立ちが徹底的に動詞的だということは、そのことばを生んだ原始(縄文)人は、「あなたが存在する」ということそれ自体にたいしておどろきときめいてゆく心の動きをもっていたということを意味する。
われわれ現代人のように「もの」に対する執着を持っている人種は、なかなかそこまでピュアにはなれない。中西進氏が、古代人の「もの」に対する感覚を「自然との一体感」などというステレオタイプな解釈に閉じ込めてしまうのも、けっきょく現代人の物指しで人間を問うているからだ。
古代人にとっての「もの」は、そんな安楽なものではなかった。重苦しくまとわりついてくるイメージだったから「もの」といったのであり、そう感じていたから「こと」の表出としての「ことば」を生み出していったのだ。
ともあれ人間は、「ことば」を生み出しつづけている。「ことば」は、変様してゆく。それは、われわれの中にも、「あなたが存在する」という「こと」それ自体に対しておどろきときめいてゆく心の動きがはたらいていることを意味する。
ふだんぶっきらぼうな頑固おやじや愛想の悪いニヒルな女でも、つい心がほどけて「おはよう」とか「こんにちわ」といってしまうときがあるのだ。
そういう「事件」のほうが、「いい人」どうしがほめあい仲良くしている制度的ななれ合いよりも、もしかしたらずっとすてきなことかもしれない。