内田樹という迷惑・神と死者

「神無月」は、旧暦の十月のことです。神がいなくなってしまう月。
秋が深まっていよいよ収穫が盛んになる季節です。
だったら、秋は神と出会う季節ではないではないか、という意見もあろうと思うが、いない相手だから「出会う」ことができるのだ。
一緒にいる相手と「出会う」ことはできない。いない相手がやってきて「出会う」のだ。
「出会う」ためには、神はひとまずいなくなってくれなくては困る。
空を見上げて、その向こうに神がいると感じるとき、それは、神はここにはいない、という感慨なのだ。
だから、空を見上げてばかりいる十月を「神無月」という。
そうして、収穫をお供えして、神を迎える。これが「新嘗祭」です。空の向こうかどこか知らないが、とにかくそうやって「遠い」ところからやってくる神をお迎えするのだ。
「神無月」だからこそ、神と出会うことができるのだ。
神がいないからこそ、より切実により確かに神のことを想ってしまうのだ。
「天高く馬肥ゆる秋」というくらいで、秋は、空が高く感じられる。見えないくらい遠くにいる神を想うのが、「神無月」の感慨なのではないだろうか。
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神とは、「不在の他者」である。
死者もまた、「不在の他者」です。
ここまでは、内田氏の言っていることと同じです。しかし内田氏は、ここから「死者ともコミュニケーションすることができる。それが埋葬という葬送儀礼である」と言う。
これは、おかしい。
コミュニケーションできないから「不在」というのだ。できるのなら、「不在」でもなんでもない。
人間は、死者とコミュニケーションをもとうとする。しかし、死者は「もうここにいない」ということを深く納得するためには、その欲望を処理してしまわねばならない。そうやって葬送儀礼が生まれてきた。コミュニケーションを断念するために、土に埋めたのだ。
葬送儀礼とは、死者とコミュニケーションをする行為ではなく、コミュニケーションを断念するための行為なのだ。
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数十万年前、北ヨーロッパネアンデルタールは、死体を洞窟の土の下に埋めていた。
おそらく赤ん坊の死体を埋めたのが始まりだろうと思えます。
人類が極寒の北ヨーロッパまで移動していったのが、およそ50万年前。その間、数万年ごとに氷河期が繰り返してやってきた。彼らは、洞窟に定住していた。寒いから、定住しなければ生きてゆけなかった。
移動生活なら死体は置き去りにしていけばいいだけだが、定住すれば、そうもいかない。おそらく遠くに捨てに行ったのだろう。
そこで、母親の悲しみは、どんな遠くに捨ててきても死んだ赤ん坊のことを忘れない。つまり、死んだ赤ん坊とコミュニケーションをもってしまう。
極寒の地は、乳幼児の死亡率が極めて高い。それでも彼らの群れが何十万年も生き延びてゆくことができたのは、つねにセックスし、子供を産みつづけていたからだろう。
抱き合うことが、夜の寒さから逃れるもっとも有効な方法だったし、子供がかならず育つという環境ではなかったから、次々に産み続ける必要があった。最初のころは、おそらく半数も成人まで育つことができなかったでしょう。
産んですぐ死んでしまうなんて、母親としては、悔やんでも悔やみきれない。
しかし、どんどん生んでゆく必要があったし、男たちも抱き合う相手がほしい。また、いつまでも死んだ子供を抱いて悲嘆に暮れていたら、母親じしんの命も危なくなってくる。
もう洞窟の土の下に埋めてしまうしかなかった。それがいちばんあきらめることのできる方法だった。
死んだ子供と「コミュニケーション」するためではない。忘れるためだ。その土の上で新しい子供を育てれば、しだいに忘れてゆく。遠くに埋めれば、かえっていつまでも気にかかる。同じ場所で同じことを繰り返してゆくことによって、つぎつぎに前のことが忘れられてゆく。
忘れてしまうためにこそ、洞窟の土の下に、やがて大人も、どんどん埋めていった。
大人も子供も死と隣り合わせで生きていた彼らは、死者を忘れることによってしか生きてゆくすべがなかった。
最初はたぶん、遠くに捨てに行っていたのだと思います。でもそれだと、かえっていつまでも死者のことを想ってしまう。想わないですむためには、そばに置いておく必要があった。
われわれだって、使いもしないものを、捨てられないで机の引き出しに入れておくことがよくある。それは、捨ててしまうとかえって欲しくなってしまうからだろう。ネアンデルタールが洞窟の中に埋葬したのも、おそらくそういう心の動きがあったからだ。
彼らは、死者のことを忘れねばならなかった。コミュニケーションすることを断念しなければならなかった。だから、洞窟の中に埋めた。
子供は、死んでも死んでも新しく生み続けていかなければならなかったし、いつも男と女が抱き合っていなければ凍え死んでしまう環境だった。だから西洋人は、今でも夫婦が同じベッドで寝る。それは、ネアンデルタール時代のなごりなのだ。
ネアンデルタールの平均寿命は30数年、彼らの居住区では、死は、日常茶飯の出来事だった。だからこそ、いつも泣き暮らしていたし、泣き果てて、つぎつぎ新しい生命を誕生させていった。知能が発達したから人類は埋葬することを覚えたのではない、悲しみを抑えきれなくなったからだ。
死者はもういない、ということをいやでも思い知らされる生存状況だった。であれば、みずからもまた、やがていなくなる、と思い定めて生きていた。
彼らにとって埋葬とは、死者を忘れるための行為だった。
このとき人類は、死者とコミュニケーションすることの「病理」を体験し、死者を忘れるための「葬送儀礼」を身につけていった。
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猿の母親は、死んでしまった子供を、腐って原形をとどめなくなるまでは、とにかく離そうとしない。そのとき母猿は、死者とコミュニケーションしている。
人間だけが、死者とのコミュニケーションを断念することができる。
死者は、コミュニケーションできない「不在の他者」である。だから、コミュニケーションするためには「お迎え」して出会わなければならない。それが、次のステップとしての、盆や正月の祭礼行事である。
葬送儀礼によっていったんコミュニケーションを断念し、コミュニケーションするために、あらためて祭礼行事をおこなう。言い換えれば、葬送儀礼によってコミュニケーションを断念したからこそ、コミュニケーションするための祭礼行事が生まれてきたのだ。
死者を葬るとは、そういうことなのですよ、内田さん。
古事記」によれば、イザナギの神は、死んだ妻のイザナミとのコミュニケーションを断念するために、黄泉の国の入り口に「千引石(せんびきいわ)」という巨大な石を置いた。
葬送儀礼は、コミュニケーションを断念する行為なのだ。
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現在では、映画や小説などで、死者とコミュニケーションをとる物語が氾濫している。とることができると思いたい病理、とることができると思えてくる病理。そうやって安らかに死ねると思っている観念制度がこの社会をどれほどゆがんだものにしているかというかことを、内田氏は気づいていない。
死者に対してそういうイメージを抱くほどに、この社会の死の世界(=未来)を「監視」しようとする欲望は肥大化してしまっている。
死は「受容」するものではなく、自分たちの欲望のままに都合よくイメージしてしまえるものなのか。そんな虫のいいことばかりいって何もかも解決できるつもりでいるその思考についてゆけるほど、僕はおりこうでもないし、すれてもいない。
そんなイメージをでっち上げてしまうほど現代人は死を怖がり、死を拒否しているのだ。死さえも、この生のもうひとつのかたちだと思いたがっている。あるかないかわからない未来の時間を「ある」と決めてかかっている普段の暮らしのタッチそのままで、あるかどうかわからない死の世界も「ある」と決めてかかっている。そんな暮らしを繰り返していった果てに、認知症鬱病になるのだ。
そういう現代人の傾向=欲望を、内田氏は、「人間の本性である」と居直る。
天国をイメージしようとしまいと、古代人は、葬送儀礼によって「死者はもうここにはいない」と深く納得した。しかし現代人は、そういう観念のタッチを喪失している。
「正しい葬送儀礼」は、死者とのコミュニケーションの欲望を処理することにある。内田氏は、葬送儀礼は死者とのコミュニケーションの欲望を実現することにあるというが、そうじゃない。死者とのコミュニケーションをすることに絶えられないくらいその人の死を嘆くようになったからこそ、それを断念するために葬送儀礼をはじめたのだ。
死者とコミュニケーションしようとする「欲望」を持っていることが人間の証しである、と内田氏はいうが、だからこそ、それを処理してゆかないと生きられないのが人間なのだ。
「文化」とは、欲望を処理する装置である。
たとえば、ネアンデルタールの母親が、夜中にふと、遠くに捨ててきたはずの死んだ我が子がそばに寝ているような気がして思わず手を伸ばす。しかし、その手の中には、何もない。そんなとき、気が狂いそうになるでしょう。そういうみずからの「欲望」におびやかされる体験の蓄積から「埋葬という文化」が生まれてきたのだ。
人間には、「欲望」を処理する装置が必要なのだ。わかりますか、内田さん。そうして世の人類学者たちは、人類は知能が発達したから埋葬をするようになった、という。ばかどもが、何をくだらないことをほざいていやがる。
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われわれは、高く晴れ上がった秋の空を眺めながら、神の不在とともに、より深く確かに神のことを想う。
また、冬と夏は死の季節であり、春と秋は、その死者を弔う季節である。しかし春のおぼろな空は、死者を忘れさせる。だから、死者を思い出すための彼岸の中日がもうけられた。そして秋の高く晴れ上がった空は、より深く確かに死者のことが想われる。だから、死者に会いに行くための彼岸の中日がもうけられた。
秋は、死者のことを想う季節である。一年のうちで秋祭りがいちばん盛り上がるのは、より深く確かに神や死者のことを想う季節であるからだ。