アンチ「私家版・ユダヤ文化論」・18

ナチス政権下で悲劇を演じてしまったドイツ人を、われわれは責めることができるのだろうか。
僕は、反ユダヤ主義を告発することも、ユダヤ人をとくべつ知性的だと持ち上げることも、どちらも納得しきれない思いがある。
20世紀に入ってからのドイツでは、キリスト教徒とユダヤ教徒の結婚なども珍しいことではなくなり、ユダヤ人が、かつてないほどにドイツ社会に溶け込んでゆこうとしている状況があった。さらに第一次大戦の敗戦後の深刻な経済不況は、ユダヤ人の手を借りないと社会の運営がやっていけない状況をもたらし、ユダヤ人の活躍がますます目立つようになっていった。
このままではユダヤ人に国を乗っ取られてしまう・・・・・・それは、ヒットラーだけではなく、多くのドイツ人の気分だった。だから、政権の座についたナチス党の初期の政策は、ユダヤ人の活躍の場と財産を奪ってゆくことにあった。そうして、これ以上奪えないところまで奪い尽くして、あとはもう追い出すだけになったのだが、皮肉なことにそのころのナチスドイツはヨーロッパの大半を侵略して支配下におさめていたから、追い出しきれないほどのユダヤ人を抱えることになり、追い出すところもなくなってしまっていた。
また、世界的な不況の上にドイツじしんが孤立していたために、ユダヤ人を受け入れてくれるヨーロッパ以外の国も限られていたし、身ぐるみはがされて逃げ出す能力を失ってしまった人も多かった。
そのときドイツは、軍事力の華やかさを誇示するあまり、経済的には倒産寸前だった。残ったユダヤ人はもう、全員殺してしまうしかなかった。殺してもまだ、たとえば死体から金歯を抜き取るとか、執拗に金目の物をあさった。それはもう、徹頭徹尾、ユダヤ人の富を収奪しようとする行為だった。
とにかく、ユダヤ人がいなくなればこの世界はよくなる、といって政策を推し進めてきた手前、もう引っ込みがつかなくなっていた。
そうやって、「ホロコースト」の嵐が吹き荒れていった。
ドイツユダヤ人といっても、金持ちのほとんどはさっさとアメリカなどに逃げてゆき、殺された人たちの多くが老人や子供や失業者をはじめとして色んな意味で社会的に惨めな立場のユダヤ人だったということも、やりきれなさはなお募る。
惨めな立場だったから従順にならざるを得なかったし、虐殺するがわの殺意を助長させもした。
惨めな者たちは、それだけでもう神の子である・・・・・・とキリストも言っている。彼らは、神の子として受難を引き受けた。
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地球上でもっとも知性的であるユダヤ人と、ヨーロッパでもっとも知性的であるドイツ人が出会い、知性的な者どうしだからこそ、ともにより深く知性を解体していってしまった。
そのとき疲弊しきったドイツ民衆はたしかにユダヤ人なんかもういなくなってほしいと思っていたが、ユダヤ人を愛してもいたから、まさかナチスが殺すまでのことはしないだろうとも思っていた。
そしてユダヤ人もまた、財産を奪われたりして生かさず殺さずされてきた歴史的な関係から、つまり迫害されてきたからこそ、殺されるまではしないだろうとどこかで楽観していた。彼らは、迫害されることには慣れていたし、他の国のユダヤ人よりもチャンスを与えられる歴史的な機会も多かった。ドイツのユダヤ人は、フランスのユダヤ人がフランスを愛するよりも、もっとドイツを愛していた。そしてフランスのユダヤ人がフランスから愛されるよりも、もっとドイツから愛されていた。だからドイツのユダヤ人は、どんなに迫害されてもなんとか生きていければそれでいいという気持は、フランスのユダヤ人よりも強かった。生きていれば、いつかチャンスがやってくる。ドイツのユダヤ人は、そういう歴史を生きてきた。
彼らは、より高い知性の上昇と、より深い知性の解体の歴史を歩んできた。
そのときドイツ人もドイツのユダヤ人も、われわれのようにのんきに上昇しつづけていられるような半端な知性とは無縁だった。われわれは、彼らのように空気の薄い高みまで上昇してゆくことができないから、上昇しつづけていられるのだ。どこまで上昇したって、しょせんは低空飛行なのだ。
しかし彼らは、その知性で薄い空気にあえいだ。いずれにせよドイツ全体が追いつめられていたのだ。
そうして、悲劇が起きた。
どちらも、歴史という舞台にのせられ、悲劇を演じてしまったのだ。
あんなにひどい大虐殺だったのだもの、内田氏のいう「凶悪な心」などという言葉で語り尽くせるものではないはずです。
あんなにもひどい大虐殺をしてしまい、あんなにも従順に受難を引き受けてしまうことの、知性を解体する知性のはたらき、そんなことがしばしばヨーロッパでは起きる。そのダイナミックなサディズムマゾヒズムの歴史は、ユダヤ教キリスト教による罪の教えが土壌になっている。もっとも知性的である者たちは、もっとも動物的にもなる。もっとも激しい欲望は、もっとも絶望的な諦めにたどり着くこともある。
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ヒットラーは、若いころはむしろユダヤ人に好意的な感情を持っていた、といわれています。それが、権力をめざすようになったころから、反ユダヤ主義の思想を持つようになっていった。
おそらくそのときヒットラーは、反ユダヤ主義者になることが権力を獲得するためのもっとも有効な方法だと直感したのだ。
第一次大戦後の、ドイツがもっとも疲弊しきっていた時代です。なのに、ユダヤ人の多くは(あるいは一部は)けっこういい暮らしをしており、ドイツの民衆のあいだに反ユダヤ主義が盛り上がってこようとしている時代だった。そういう気配を、彼は、獲物の匂いを嗅ぐ肉食獣のようにいちはやくとらえた。
ヒットラーにとって反ユダヤ主義は、彼じしんの実感ではなく、権力を得るための手段だった。反ユダヤ主義は、民衆のがわにあった。すなわちそのとき民衆のユダヤ人に対する感情は愛憎相半ばするところだったのだろうが、彼には愛も憎悪もなかった。権力を目指す野心だけがあったのだ。
ヒットラーユダヤ人にたいする感情がいかに覚めたものであったかということは、枚挙にいとまがないほどの資料や証言があるはずです。
彼にとってユダヤ人を殺すことは、権力をたしかにすることだった。ユダヤ人を殺すことは、権力の実感だった。それ以上でも以下でもなかったのだ。
彼は、途方もない権力主義者であったが、本当の意味での反ユダヤ主義者ではなかった。
すなわちそのユダヤ人の大量虐殺は、反ユダヤ主義によってではなく、獰猛な権力への執着から起こったのだ、ということです。
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ヨーロッパ人、ことにドイツ人のユダヤ人に対する感情には、1500年の歴史とともに繰り返されてきた連帯感と確執の上につくられている。ドイツ人ほど、ユダヤ人との「関係」に閉じ込められてしまいやすい民族もいない。僕は、ナチス政権下のドイツ人の反ユダヤ主義がたんなる理不尽な錯誤だとは思わないし、ユダヤ人がまるごと「善」なる存在だとも思わない。
反ユダヤ主義より、人間の権力志向のほうがずっと恐ろしいのだ。
人は、「殺意」で人を殺しはしない。殺すことが「目的」ではなく「手段」になったときに、それを実行するのだ。
殺意が、すでに閉じ込められてある関係(絆)を壊そうとする衝動であるのだとすれば、ヒットラーは、その関係(絆)をつくろうとした。彼の本意は、ユダヤ人を絶滅させることにあるのではなく、ユダヤ人を殺すことにあった。だから「もしもユダヤ人が地上からいなくなったら、われわれはまた新しい<敵>を探さなければいけない」と語った。民衆を支配するもっとも有効な方法は、民衆を共犯者の関係に閉じ込めてしまうことだ。これこそ、母と子の絆よりももっと強い絆だということを、ヒットラーが教えてくれている。
それと、もうひとつの強い絆は、受難を共有すること。ナチス宣伝文句は、「この世界はユダヤ人に支配されている」というものであり、そういうかたちで受難者意識を国民と共有していった。もちろんユダヤ人もまたそういうユダヤ人どうしの絆に閉じ込められていたわけで、ひとりが殺されたならもうみんなして殺されるしかない、というところに追いつめられていった。
レヴィナス先生は、「受難意識」をユダヤ人の特権的な美質のように言うが、人間なら誰だってそういう意識で「絆」をつくっているのだ。ナチスドイツ国民だって、そうやって結ばれていた。
殺意を抱くことが「すでに受難者意識に閉じ込められている」ことだとすれば、殺すことは、「受難者意識に入ってゆく」ことです。そのとき、誰もが受難者意識を持っていたし、ドイツ国民とユダヤ人は、ともに「すでに受難者意識に閉じ込められている」という観念を共有していた。
受難意識は、制度性であると同時に、人間存在の本性でもある。そこがやっかいなところです。胸・腹・性器等の急所を他者に晒す直立二足歩行という姿勢は、そのような「受難を受け入れる」という観念性の上に成り立っている。「人間」であることは、ひとつの「受難」なのだ。
人間の「絆」という制度性に、ヒットラーは病的なくらい敏感だった。だから、「宣伝」の天才でもあったのだ。俗な言い方をすれば「愛に餓えていた」ということでしょうか。
たぶんヒットラーは、反ユダヤ主義者ではなかった。支配者と被支配者、そういう「関係=絆」に国民を閉じ込めてしまいたかっただけで、その目論見はみごとに成功した。もしもそのときユダヤ人のシンパになることが権力への近道だったら、彼はためらわずにユダヤ人を妻にしていたことだろう。
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戦後におけるドイツ人のユダヤ人に対する有責感は、気の毒なくらいとても深い。すくなくともわれわれ日本人の中国人や韓国人に対する感情の曖昧さや、ときに嫌悪をあらわにして恥じない態度などに比べたら、同じ人間かと思えるほどの深い後悔を抱いている。
内田氏は、殺意だけの人間よりも、殺意とみずからの殺意に対する「有責感」の両方を抱いている人間のほうがもっとたちが悪い、そういう人間が実際の人殺しをするのだ、といいます。そのとき人は、みずからの殺意を打ち消すことによって、みずからの愛情を確認する。そうやってみずからの愛情を確認しながら、打ち消すための殺意を「もっともっと」とエスカレートさせてゆくことによって、最終的には殺意だけが暴走してしまった「殺意のドーピングの虜囚になる」のだとか。
しかし、だったらそれは、最終的に「殺意だけの人間」になってしまって殺せなくなっている、ということではないか。そうやって、自分でレトリックの罠にはまってしまっているだけじゃないか。くだらない「言葉遊び」だ。
殺意に対する有責感を持っている人間は、殺意のぶんだけ有責感が募って、ついに殺すことができなくなってしまう。誰よりも激しく殺したいと思っているのに、殺したいと思えば思うほど殺せないという、そのダブルバインドの中で、やがては精神を病んでゆく。それが「殺意のドーピング」というものでしょう。
内田氏はこのことを、フロイトによる「父殺しの無意識」の理論から援用しているのだが、フロイトはそれによって「精神の病」を分析しているのであって、「殺人者の心理」を語っているのではないのです。
殺意の「有責感」を抱いているものは、精神を病むのであって、人殺しをするのではない。人殺しができなくなって、精神を病むのだ。
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内田氏は、反ユダヤ主義者による「ユダヤ人殺し=父殺し」の衝動は、「ユダヤ人に対する(もっと愛したいという)激しい欲望」であるというが、それが「殺す」という行為を伴っているということは、「愛する」というよりも、ユダヤ人を「支配し返してやろうとする衝動」ではないかと思えます。「有責感」などともなっていないのだ。ともなっていないから、平然と殺してしまうのだ。
殺すという行為が行われるとき、殺すという行為それじたいが目的化されている。殺してしまったらもう殺せないのだから、「殺してしまう」ことを目的に、殺すという行動を起こすことはできない。「殺してしまう」ことは、殺すことの不可能性の中に身を置くことです。したがって、その状態を目的にした「殺す」という行為は、論理的に成り立たない。ただもう殺すという行為をしたいだけであって、殺してしまいたいと思っているのとはちょっと違う。
たとえばバラバラ殺人など、殺してからもう一度殺しているようなものです。殺すという行為は、相手の「命」を支配し所有することです。死んでしまったら「命」がなくなっているのだから、もう殺すことはできない。だから、まだ生きていることにして(というかまだ生きているような強迫観念にかられて)、あらためてバラバラにする。さらには、バラバラにして食べてしまう殺人者もいる。それは、「殺してしまうこと」が目的ではなく。「殺す」という行為が持っている究極的な「支配(権力)」のかたちにとりつかれた行為であり、それは、「殺してしまう」ことを目的とした「殺意」ではなく、「支配欲」という関係衝動なのだ。
「殺してしまう」ことを目的とした「殺意」を抱く者は、殺すことができない。そうした「殺意」を消去できた者において、殺すという行為が可能になる。
ヒットラーは、みずからのその残虐行為を「ユダヤ人支配に対する抵抗」と言った。
そういう「殺意」とはいささか異なる目的を設定したからこそ、大量虐殺というレベルまでエスカレートしてゆくことができた。彼は、ユダヤ人のいない世界を夢見たのではない。ユダヤ人を殺しつづけるという権力行為にとりつかれていったのだ。だから、「ユダヤ人がいなくなれば、ユダヤ人の代わりを探さないといけない」と言った。
ユダヤ人に「支配されている」と感じていたナチスは、ユダヤ人を逆に支配してしまおうという衝動にかられて殺しつづけた。そのとき彼らは、支配の正当性はわれわれのほうにこそあるのだ、と思い込んでいた。したがって、「有責感」など感じていなかった。彼らの目的は、ユダヤ人を完全に支配してしまうことにあった。「殺してしまう」ことは、支配し返したことの結果であって、それが目的であったのではない。目的は、あくまで「支配し返すこと」にあった。
しかし、ドイツの民衆は、そのときユダヤ人のいない国を望んだが、ユダヤ人を殺す行為もとめたのではない。彼らは、みずからの殺意の有責性に支配されて殺すことができなくなってしまっている人たちだったのであり、だからこそ戦後、あんなにも深くみずからを悔いたのだ。
そのように彼らが殺すことの有責感の強い民族(つまり、がちがちの原則主義者であるプロテスタント信者)であることを、ナチスは、同じドイツ人として百も承知していた。承知していたから、「ユダヤ人を殺す」とはけっして言わなかったし、民衆もまた、「殺してしまっている」とは思いたくなかった。ほとんどのユダヤ人は、隣国ポーランド強制収容所に連れてゆかれて殺されていた。だから、「いなくなっただけだ」と思いたかった。
民衆は、ユダヤ人のいない社会を願っただけであって、ユダヤ人を支配したかったのではない。もうユダヤ人のいる社会はごめんだ、と思っただけだ。
そのとき民衆は、ユダヤ人に対して「殺してしまいたい」という殺意を抱いたがゆえに、殺すという行為の不可能性に身を置いていた。
それに対して支配し返すというかたちでユダヤ人との関係を再構築していった支配者たちに、「殺してしまいたい」という殺意はなかった。なぜなら彼らは、みずからのアイデンティティとして、殺す相手であるユダヤ人がいてくれないと困る者たちだったのだから。
人は、「殺意」によって人殺しをするのではない。「支配」しようとする衝動によって殺してしまうのであり、「殺意」よりも「権力欲」のほうがずっと怖いのだ。
殺意があったら、大量虐殺なんかできない。支配者にとってその行為は、権力を得るためのただの「仕事」だったのだ。屠殺場の職員に牛に対する殺意などないように。
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一部のユダヤ人は、かんたんに権力と結びついてしまう。だから、権力欲の強い反ユダヤ主義者から支配し返そうとされる。内田氏のように、「反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望して(愛して)いたから」なんて、そんなきれいごとを言ってもしょうがない。ナチスは、権力を欲望していたのであって、ユダヤ人を欲望していたのではない。ナチスによるユダヤ人大虐殺は、一部のユダヤ人と一部の反ユダヤ主義者による権力闘争だったのだ。
一部のユダヤ人の過剰な権力志向が、一般のユダヤ人にかくも過酷な運命を強いることになってしまった、という面もないではない。
僕は、たとえばホワイトハウスの権力と結びついている一部の特権的なユダヤ人に、ドイツの犯した罪の深さがどうとかこうとかといわれると、めちゃめちゃむかつく。なんと言おうとそれは、ユダヤ人のユダヤ性がみずから招いた悲劇でもあったのだ。
僕は、それがどんなに残虐な行為であろうと、ひとりの非ユダヤ人として、ドイツばかりを非難するつもりはない。もしもどこかに罪があるのだとすれば、それは、ドイツの罪というよりも「人間」であることの罪だと思う。当事者ではないからそんな気楽なことが言えるのだ、と言うのなら、その通りです、と答えるしかない。しかし、当事者の言うことがぜんぶ正しいと思わねばならない義理なんか、僕にはない。
ホワイトハウスユダヤ人も、ユダヤ人の善性を特権化して語るレヴィナス先生も、それに追従する内田氏も、そうとうにうさんくさい。
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またドイツの民衆と一般のユダヤ人との関係においても、そのときユダヤ人だってドイツ人を「あまりに激しく欲望していたから」なおさらにみずからの運命を悲惨なものにしてしまった、という側面もきっとあるのだろう。
ユダヤ人とドイツ人は、歴史的に出会いのときからすでに「肉体関係」を結んでしまっていた。だから殺そうとしたのだし、抵抗できなかったのだろう。
ヨーロッパ大陸の中央に位置するドイツは、人が通り過ぎる地域です。また、とくに住みやすい気候風土でもない。したがって、住み着こうとする意欲の強い者だけが残って住み着いていった。好奇心が強くて軽薄な者や不満を持つ者は、みなどこかに行ってしまった。ざるで砂をすくったら、ごつごつした石の粒だけが残った。まあ、そんなようなことです。彼らの融通がきかなくて勤勉な国民性は、定住志向が強く、共同体の結束も固い。
そしてさすらう民であるユダヤ人は、ドイツ人とはもっとも遠い存在のようでいて、その頑固さはどこかで通底している。ユダヤ人だって、定住志向も共同性もたっぷりそなえている。そして彼らは原始的な小集団の単位でしかまとまることができない傾向があったために、ヨーロッパでいちばん広い国土を持ったドイツに、うまい具合にはまり込んでゆくことができた。
ちなみに、ドイツサッカーの伝統は、ひとりのストライカー(ポイントゲッター)に勝手気ままにやらせてあとの十人は働き蜂に徹するというスタイルです。だからヒットラーのような独裁者が現れてくるのだが、それはまた、ユダヤ人のユダヤ教の神に対する敬虔な態度にも通じるものがあります。
ユダヤ人とドイツ人は、歴史上のどこかで恋に落ちた。ユダヤ人のネットワークの能力をいちばん魅力的に感じているのはドイツ人だし、ユダヤ人の定住志向や共同性をいちばんよく知っているのもドイツ人だった。また、ドイツ人の頑固さをいちばんよく理解し尊敬しているのは、頑なにユダヤ教信仰を守ろうとしているユダヤ人だった。おたがいそれぞれ、異質で魅力的な他者であると同時に、ほかのどの民族よりも心が通じ合える相手でもあった。
両者の関係には、肉体関係がある者どうしならではの愛憎が潜んでいるように思えます。
女の幻滅は、愛情でもあるのだとか。これももまた「知性の解体」のひとつのかたちであり、人を愛するということは、知性を解体することだ。そのときユダヤ人は、ドイツの愚かさをどこかで許していた。世界中の誰も許さないその愚かさを、たぶん、泣きながら許していた。
「体」=「歴史」が許してしまっていた、とも言える。
そしてドイツもまた、泣きながら意地を張っていた。そのときドイツの民衆は、ユダヤ人に対する殺意とその有責感との狭間で、殺してしまうことの不可能性に身を置いていた。だから、殺すことは、殺意のないヒットラーが引き受け、その代償として彼は絶大な権力を手にした。
知性的であるということはとても愚かなことであり、それはまさに、人間の「知性」が演じた正真正銘の悲劇だったのだ。