「置換説」なんてくだらない

赤澤威先生だろうとストリンガーだろうと、子供だましみたいな分析をもったいぶって吹聴しまくるばかりで、まったく頭にくる。彼らの言うことなんか、分析にすらなっていない。
たとえば赤澤先生の「ネアンデルタール・ミッション」にいたってはもう、小学生の夏休みの絵日記です。今日、友達と魚釣りに行ってきました。たくさん釣れてうれしかったです・・・・・・そんなレベル以上のことなど、何も書いてない。この発掘体験記を読んで自分も考古学者になろうと思う若者はいるかもしれないが、ネアンデルタールの何がわかるというのでもない。遠足の楽しさがのんきに綴られているだけです。
彼らが親方日の丸のお気楽な「遠足」に出かけているあいだも、われわれはずっと、人間とは何か、歴史とは何かと問いつづけてきたのだ。発掘体験をしたからえらいというものでもないでしょう。はっきり言って、赤澤先生の人間理解や歴史認識は、レベルが低すぎる。何が悲しくてわれわれが、あんな安っぽい「置換説」を尊重し肯かなければならないのか。
現在のこの国では、「置換説」の上に立ってものを言わないと誰もまともに聞いてくれないような状況があるらしい。「置換説」はもう、動かしがたい定説であるのだとか。「置換説」に異をとなえると、「古い」と言って軽蔑されるらしい。
3万年前のヨーロッパでネアンデルタールはアフリカのホモ・サピエンスに滅ぼされた、という「置換説」は、遺伝子の研究がさらに進み、このごろ少しずつあやしくなってきている。古いのは、もしかしたら「置換説」のほうかもしれないんだぜ。
「置換説」なんて、戦争ばかりしてきた現代の歴史を物差しにして原始人を語っているだけじゃないですか。そういう短絡的な思考しかできない連中が、多数派をかさにきてわめいているだけのことだ、と僕は思っている。たとえ日本中の人間からバカにされても、「そんなの嘘だ」という主張を墓場まで持っていくつもりでいる。
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古代人の心映え、というのがある。原始人の心映え、というのがある。それらは、われわれ現代人のものとは違う。現代人の物差しではかるべきではない。
たとえばわれわれ現代人は、とても死を怖がっている。その気分を、そのまま古代人や原始人に当てはめることはできない。死を怖がっているということは、みずからの死に、「殺される」という意識がまとわりついているからです。それは、この生にたいする執着を奪われる事態であり、われわれは、「死」そのものから「殺される」のだ。死にたいする怖さとは、「殺される」怖さなのだ。現代人は、「殺される」怖さを、死の恐怖として抱えている。だからそれを、「殺す」行為によって相殺しようとする。「殺す」行為を正当化することは、死んでゆくことは怖いことではないのだとみずからに納得させることです。人を殺せるなら、自分が死んでゆくことも納得できる。たぶん、そんな意識が人を戦争に駆り立てるのではないかと思えます。
人類の歴史において、生活のレベルが上がり、共同体をつくりなどしてゆくうちに、みずからの生にたいする執着が強くなってゆき、そこから戦争の歴史がはじまった。
共同体は死を忌み嫌う。共同体は、この生に執着する装置です。
7、8千年前の人類は、農業を覚えたことによって、群れとして土地を「所有」するようになった。土地と人を「所有」するのが共同体です。そうしてその観念によって人びとは、みずからの生を「所有」していった。そして死は、その「所有」する生を奪われる事態です。だから、死は、共同体によって忌み嫌われる。
人類が必要以上にこの生に執着して死を怖がるようになったのは、共同体の発生とともに「所有」という観念を持ったからだろうと思えます。それが7、8千年前のことで、氷河期の北ヨーロッパネアンデルタールホモ・サピエンスが遭遇したといわれている時代は、そのずっと前の3、4万年前ことです。
われわれは、この生を「所有」している。だから、死が怖い。しかし、3、4万年前のネアンデルタールホモ・サピエンスには「所有」という観念は希薄だったから、死の怖さも現代人ほど強迫的なものではなかった。死の怖さが薄ければ、他者を殺そうとする衝動も起きてこない。原始人の暮らしに明日(未来)のスケジュールなどほとんどなく、いちいち未来の象徴である死のことを考えて必要以上におびえるということもなかった。彼らの生に、死のことは勘定に入っていなかった。であれば、人を殺すというようなイメージも生まれてきようがなかった。
人間は、チンパンジーとは違う。チンパンジーは、敵対する群れをときに滅ぼしてしまうが、直立二足歩行する人間である原始人は、そんなことはしなかったはずです。そんなことをしなくなることが、直立二足歩行して「人間になる」ということだったのだ。
人類は、直立二足歩行することによって、他者を「祝福する」ことの醍醐味を覚えた。そしてその観念性が昂じて必要以上に大きな群れになってゆき、共同体が生まれてきた。滅ぼしただの滅ぼされただのという話は、共同体が生まれてきた7、8千年前以降のことです。
原始人は、二つの群れが同じ地域に住んで勢力を張り合う、などという現代人のようなことはしなかったのだ。しなかったから、地球の隅々まで拡散していったのだ。
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「置換説」の研究者は、氷河期にはネアンデルタールでさえ寒いヨーロッパを捨てて比較的温暖な西アジアに移住していったのだ、といっています。たしかに発掘されたその時期の西アジア人の骨は、ネアンデルタール的な骨格の個体ばかりだった。
しかし、それは、移住してきたネアンデルタールかどうかはわからない。寒さに強いネアンデルタールの遺伝子が、その地域まで伝播していっただけのことかもしれない。西アジアには西アジア人がいただけのことでしょう。そして、氷河期にもたくさんのネアンデルタールがヨーロッパにいたことは、遺跡の発掘結果として証明されている。
およそ8万年前か1万年前までの氷河期には、人類のダイナミックな北への拡散が起きている。それは、ただ生活のレベルが上がったからというだけではないはずです。寒くなれば、人と人は寄り集まろうとし、群れの結束力が強くなる。だが、結束力が強くなれば、その群れから押し出される者が出てくる。そうして、寒いからこそ、押し出された者たちがまた寄り集まり、少ない人数でも結束して新しい土地で頑張って生きてゆこうとする。地球が寒冷化してくると、そういう循環運動が起きてくる。
おそらく1万年前までの地球上では、寒いときにこそ拡散が起きていたのではないかと思えます。寒さが、人類に、寒さに耐えて生き延びるすべを身につけさせた。寒ければ寒いほど、人と人は祝福し合おうとする。直立二足歩行によって祝福しあうことを覚えたからこそ、人類は、寒い土地にも拡散してゆくことができた。短絡的な思考の研究者たちが言うように、「獲物を追いかけて」とか「好奇心にせきたてられて」とか、そういうことではない。その寒い土地に寄り集まって、けんめいに住みついていったのだ。
寒くなったから南に移住する、などという習性を人類が持っていたら、地球の隅々まで拡散するということなどなかったにちがいない。
したがって、氷河期の8万年前から4万年前まで西アジアに生息していたネアンデルタール的形質の人種は、ヨーロッパから移住してきたネアンデルタールではないはずです。もとから西アジアに住み着いていたホモ・サピエンス的な形質の人たちが、ネアンデルタールの遺伝子の伝播を受けてそういう形質に変わっていっただけでしょう。氷河期だから、ネアンデルタールの遺伝子が混じった乳幼児ほど生き延びる確率が高く、千年か二千年のうちに、やがてすべての個体がそうなっていった。
もっと住みやすい土地は、すでに他の者たちが住み着いている。だから、そうした地域に移住してゆくことは原則的に不可能であり、じっさい群れごと移住してゆくなどということはなかった。移住していったのは、つねに、群れから追い出されたり自分からとび出していった者たちだった。そして彼らは、先住者のいない、より住みにくい土地に移住していった。それが、人類拡散の法則だった。より住みにくい土地では、寄り集まって祝福し合おうとする衝動がよりダイナミックに生まれ、そこからもたらされるカタルシスが、彼らの住み着こうとするモチベーションになっていった。
原始人は、どんな地域でも、けんめいに住み着こうとした。それは、他者を祝福し、他の群れのテリトリーを侵そうとなどしなかったからです。
アフリカのホモ・サピエンスでさえ、どこにも出て行かずに、大型肉食獣がうじゃうじゃいる危険なサバンナにけんめいに住み着いていったのです。彼らがもし、住みよい土地を求めてどこへでも移住してゆくような人種であったのなら、サバンナなんか、とっくに捨てている。そして彼らにとっては、10人から20人ていどの家族的小集団が、みんなで仲良く暮らしてゆける規模の限界だった。
人類は、住みよい土地をもとめて拡散していったのではない。寄り集まって仲良くやってゆこうとする衝動とともに、新しい土地に住み着いていったのだ。だから、寒いときほど、拡散の動きがダイナミックだった。その寒さと住みにくさこそが、寄り集まって仲良くやってゆこうとする衝動をうながした。
氷河期のヨーロッパに住んでいたネアンデルタールは、一部の者が、温暖な西アジアではなく、より住みにくいロシアやシベリア方面に拡散していった。いちおう考古学の発掘結果は、そういうふうになっているはずです。
新しい土地に、知らない者どうしが集まってくる。そこで生まれる「異人」との出会いのときめき。それが、より住みにくい土地でも住み着こうとするモチベーションになり、人類拡散が実現していったのだ。それがまあ、氷河期明けの1万年前までの原始人の歴史で、その後の戦争の歴史に関しては、とりあえず僕の興味の外にある。
原始人が戦争の歴史の予行演習をしていたといいたげな「置換説」なんてくだらない、原始人には、原始人の歴史と心映えがあったのだ。